書評

『読み解き「般若心経」』(朝日新聞出版)

  • 2017/10/27
読み解き「般若心経」  / 伊藤 比呂美
読み解き「般若心経」
  • 著者:伊藤 比呂美
  • 出版社:朝日新聞出版
  • 装丁:文庫(228ページ)
  • 発売日:2013-08-07
  • ISBN-10:4022647132
  • ISBN-13:978-4022647139
内容紹介:
【文学/随筆】死にゆく母、残される父の孤独、看取る娘の孤独。苦しみにみちた日々の生活から、向かい合うお経。般若心経、白骨、観音経、法句経、地蔵和讃??詩人の技を尽くしていきいきとわかりやすく柔らかい現代語に訳していく。単行本ロングセラー、待望の文庫化。

お経は詩であり、人間くさいのだ

父親が亡くなった時から、死はにわかにリアルな問題として私の目の前に浮上しました。「人間、誰でもいずれは死ぬ」ということはやっとわかったものの、しかし自分の問題として考えてみると、実感としては理解していないような気がするのです。

本書は、「死」についての本です。カリフォルニアに住む詩人の伊藤比呂美さんは、老いたご両親の介護のために日本に通います。いや応なく迫る死の気配の中で、著者はご両親が「安楽に死の境界をわたれるように、何か方向性をさししめしたい」と、お経を読んでいく。死を思う日々のエッセーと、その中で必要とされたお経と現代語訳とが渾然(こんぜん)となっているのが、この一冊なのです。

介護の日々の中で「死に取り憑(つ)かれている」と著者は書きますが、しかし死を見る伊藤さんの視線は、好奇心に満ちています。「こわかった。吸い込まれるようであった。でもおもしろかった」という死に対する意識によって、伊藤さんはお経を「あたし自身のことばに置き換えてみたくてうずうず」しながら、訳していくのです。

伊藤比呂美さんによって現代語に訳された般若心経、観音経、地蔵和讃(わさん)といったお経の数々を読むうちに、私が思ったこと。それは、お経とは、人が死(そして生、病、老)という苦に対峙(たいじ)した時にどのような心構えを持てばいいのかに関しての、昔の人たちからの申し送りのようなものではないか、ということでした。仏陀や昔の偉い僧たちも、死を前にして深く考えたのであり、その考えた結果を他の人や後世の人にも教えてあげたいな、と思って書いたのがお経なのではないか。

お経は、伊藤さんのような翻訳者を待っていたのだと思います。「色即是空」という文字だけを見ると「何か、格好いい」と流れていきますが、「『ある』と思っているものは じつは 『ない』のである」と訳されていると、「そうか!」と納得し、お経とは詩であり、そしてとても人間くさくて面白くて役に立つものだ、つまり自分たちと同じ人間の手によって書かれたものなのだ、ということに初めて気付くのでした。

様々なお経を著者とともに読んでいくと、死は身近なものになっていきます。やがてお母様の死に接した伊藤さんが目を転じれば、そこには3人の娘さんの姿。いずれも若くて生命力に満ちあふれているのですが、そんな娘さんの若さを眩(まぶ)しく見ながらも、「いつか萎(しお)れて、枯れるのだ」と、伊藤さんは書くのです。それは、生命を生み、育み、そして看取(みと)った経験を持つ人ならではの言葉でしょう。

生は死とつながり、死は生とつながる。永遠に続くものは何一つ無いけれど、何かは確実に、つながっていく。死についてたっぷりと書かれた本ながら、読み終えるとさっぱりと明るい気持ちになるのは、そんなつながりが「死」の先にうっすらと、見えてくるからなのでした。
読み解き「般若心経」  / 伊藤 比呂美
読み解き「般若心経」
  • 著者:伊藤 比呂美
  • 出版社:朝日新聞出版
  • 装丁:文庫(228ページ)
  • 発売日:2013-08-07
  • ISBN-10:4022647132
  • ISBN-13:978-4022647139
内容紹介:
【文学/随筆】死にゆく母、残される父の孤独、看取る娘の孤独。苦しみにみちた日々の生活から、向かい合うお経。般若心経、白骨、観音経、法句経、地蔵和讃??詩人の技を尽くしていきいきとわかりやすく柔らかい現代語に訳していく。単行本ロングセラー、待望の文庫化。

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2010年2月28日

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