書評
『「ほんもの」という倫理―近代とその不安』(産業図書)
現代社会憂う、成熟した知性のささやき
もっともっと日本語で紹介されていい思想家だ。チャールズ・テイラー。反帝国主義・反スターリニズムの立場から「第三の道」を模索するカトリック派マルクス主義者として出発したあと、自由主義とデモクラシー、共同体主義と個人の権利擁護のはざまで第三党「新民主党」の活動に身を投じ、やがて権力の脱中心化をめざすトクヴィル主義、あるいは多文化主義の提唱者として、現代思想を牽引(けんいん)する一人となった、カナダの哲学者である。
そのテイラーが、本書では、近代社会の「病弊」ないしは「不安」ともいうべきものについて、そのもっとも核心的な部分を語り下ろしている。
生の目的が効率要求に侵食され、道徳の地平が見えなくなったとか、共同生活のあり方への関心を失うというナルシスティックな視野狭窄(きょうさく)に陥り、政治的な自由の能力を喪失しつつある……といった診断がまずは並ぶので、哲学者のおおぶりな文化論のように思われるかもしれないが、現代だれもがあたりまえのように考えるその思考の作法が陥りがちな罠(わな)を鋭く取りだしている。たとえば、「多様性」や「差異」の強調が、目的の選択ではなく選択それ自体の肯定へとすべり落ちてゆく過程、自己決定的自由の主張が、市民がみずから下すというより、後見的な権力が下す選択に回収されてゆく過程、同時代の共同幻想を暴くその思想がひそかに大衆社会の欲望と連結し、「基準」を課すことのない社会を無際限に拡(ひろ)げてゆく過程、である。
テイラーの憂い、それは、現代社会が市民的自由への意思を掘り崩しつつあること、より根本的には、ひとびとがみずからを超えたところから発せられる要求に耳を貸さなくなったことに向けられている。これはかつてトクヴィルが「穏やかな専制」と呼び、藤田省三が「安楽への全体主義」と形容したものに近い。
個人、コミュニティー、市場、国家それぞれの存在を、単一の原理でではなく、民主的なイニシアティヴの下で、どう編んでゆくのか。すべてはそこにかかっていると、成熟した知性が低い声で語る。
朝日新聞 2004年04月18日
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