解説
『オマエラ、軍隊シッテルカ!?―疾風怒涛の入隊編』(バジリコ)
まだ20歳代のことだったが、当時、ソウルに住んで外人教師なるものを生業としていたわたしは、夏休みに二人の男子学生といっしょに全羅南道の山深くにキャンプ旅行をしたことがあった。
大きなリュックにテントや食器、食料などをぎっしりと詰めて、緑なる山中に踏み込んでいったのだが、二日目にしてわたしは大きな後悔に襲われた。体力が圧倒的に違うのである。二人の学生は、学生といってもわたしと同じ年齢なのだが、ともかく休むことなくグイグイと荷物を背負って、曲がりくねった険しい山道を登っていく。ひとたびリュックを降ろした瞬間、彼らはサッと振り返り、荷解きにとりかかった。片手で器用にナイフを扱ってジャガ芋の皮を剥いたり、あっという間に火を熾して調理の態勢に入ったり、動作には無駄というものがなかった。その迅速な立ち振舞いには一分の隙もなく、いかにも長期間にわたって規則正しい訓練を続けてきたことが推察できた。そう、彼らはいずれも2年以上にわたって陸軍兵士としての体験を積んでいたのだった。リュックを担いでのキャンプ行など、彼らにとっては、夜間の行軍に比べるならば、とるに足らないことだったのである。
いったい軍隊とはどんなところなのかと、わたしは彼らに質問した。だが、普段は気さくに冗談をいったり、ときに政府の批判を語ったりする間柄の彼らは、こと軍隊時代の話ともなると、牡蠣のように口を閉ざしてしまい、わたしがどう頼んでも話そうとしなかった。兵役時代に体験したことを外部に漏らすことは、軍規によって固く禁じられているのですと、一人が説明した。ただ自分たちがいえるのは、軍隊体験をすましていないと、韓国社会では一人前の男子とは見なされないし、自分たちはともかくも2年以上の時間を無事に終えたということだけです。
わたしは大学で授業をしていると、ふいに姿を見せなくなる学生がいることを思い出した。彼らは軍隊に行ったのである。また逆に、軍隊から戻ってきて、軍服姿のままで授業に出てくる学生もいた。巷では、軍隊に行っている期間中にガールフレンドが別の男と婚約してしまい、除隊後に必死になって彼女を奪還する青年を描いたコメディ映画が人気を呼んでいた。1970年代の時点では、陸軍で26ヵ月、海軍で28ヵ月、空軍で30ヵ月を過ごすことは、韓国の男子を悩ませるもっとも大きな問題であり、彼らの人格や世界観、将来構想を決定的に形作ってしまう体験なのである。
韓国と日本は、文化的にも、歴史的にも、もっとも近い間柄であるとは、よくいわれることである。とりわけ最近では韓国映画が日本でも大ヒットしたり、グルメとエステの観光旅行が女性の間で人気を呼んだりして、かつてなかったほどに日本人は韓国を身近に感じるようになっている。わたしは率直にいって、それはいいことだと思っている。だが、韓国人にとってもっとも根本的な問題である、ナショナリズムと国家=民族への絶対的忠誠意識を理解する上で、彼らの認識の根底にある軍隊体験については、これまで日本ではほとんど紹介されていなかった。これでは、いくら知韓派を気取ってみたところで、どこかで限界にぶつかることになるだろう。『JSA』や『シュリ』といったアクション映画のなかで、俳優たちの銃を構えるポーズがみごとにサマになっているのは、彼らが長期にわたって本物の銃器を扱い慣れてきたせいであるし、その格闘場面が堂に入っているのは、実際に軍隊でテッコンドーの厳しい訓練を重ねてきたからである。このことを認識せずに韓国男はカッコイイと叫んでみたところで、何になるのだろう。
韓国の軍隊生活のことがこれまで日本で知られてこなかったことについては、いくつかの理由が考えられる。ひとつには、先にも触れたように、韓国の軍隊体験者が申し合わせたように、みずからの体験を口にしようとしなかったことが大きい。軍規によって機密の漏洩が禁じられていたばかりではない。韓国の青年たちのうち少なからぬ部分は、軍隊時代に体験したさまざまな屈辱と孤独、喪失感と暴力の記憶を、できることなら心理的に封印しておきたいと望んでいるのであり、トラウマの裏返しとして、マッチョイズムを正当化してしまう傾向をもっている。韓国では日本と違って、カレースタンドが繁盛したためしがなく、まず見かけることがないのだが、それは軍隊でさんざん食べさせられたカレーを思い出させてしまうからだと聞いた。
2番目の理由は、日本人が世代的に抱え込んでしまった、軍隊をめぐる拒否反応である。できることなら陰惨な、恐ろしい話は聞きたくない、韓国については楽しいことだけを聞いておきたいという態度が、いまだに南北分断の厳しい状況下にある韓国のあり方を、ありのままに理解することを困難にしてしまった。
わたしが本書の存在を知らされたのは、2000年にふたたびソウルに長期滞在をしていたときであった。ついに韓国人が自分の軍隊体験を語りだした! そう思うと、政治における民主化が、緩やかにではあるが文化的成熟に向おうとする徴候として、この書物が出現したような感想を抱いたものである。もとよりわたしには、本書をもって、日本にも韓国のように徴兵制が敷かれるべきだと喧伝する意図はない。だが、軍隊を賛美するにしても、また忌避するにしても、肝心のその実態がわかっていないと、仕方がないではないか。その意味で本書は、韓国人のメンタリティを理解するばかりではなく、旧日本軍の延長上に設立された大韓民国の軍隊組織の歴史的あり方を認識するうえでも、基本的な文献となることだろう。
【この解説が収録されている書籍】
大きなリュックにテントや食器、食料などをぎっしりと詰めて、緑なる山中に踏み込んでいったのだが、二日目にしてわたしは大きな後悔に襲われた。体力が圧倒的に違うのである。二人の学生は、学生といってもわたしと同じ年齢なのだが、ともかく休むことなくグイグイと荷物を背負って、曲がりくねった険しい山道を登っていく。ひとたびリュックを降ろした瞬間、彼らはサッと振り返り、荷解きにとりかかった。片手で器用にナイフを扱ってジャガ芋の皮を剥いたり、あっという間に火を熾して調理の態勢に入ったり、動作には無駄というものがなかった。その迅速な立ち振舞いには一分の隙もなく、いかにも長期間にわたって規則正しい訓練を続けてきたことが推察できた。そう、彼らはいずれも2年以上にわたって陸軍兵士としての体験を積んでいたのだった。リュックを担いでのキャンプ行など、彼らにとっては、夜間の行軍に比べるならば、とるに足らないことだったのである。
いったい軍隊とはどんなところなのかと、わたしは彼らに質問した。だが、普段は気さくに冗談をいったり、ときに政府の批判を語ったりする間柄の彼らは、こと軍隊時代の話ともなると、牡蠣のように口を閉ざしてしまい、わたしがどう頼んでも話そうとしなかった。兵役時代に体験したことを外部に漏らすことは、軍規によって固く禁じられているのですと、一人が説明した。ただ自分たちがいえるのは、軍隊体験をすましていないと、韓国社会では一人前の男子とは見なされないし、自分たちはともかくも2年以上の時間を無事に終えたということだけです。
わたしは大学で授業をしていると、ふいに姿を見せなくなる学生がいることを思い出した。彼らは軍隊に行ったのである。また逆に、軍隊から戻ってきて、軍服姿のままで授業に出てくる学生もいた。巷では、軍隊に行っている期間中にガールフレンドが別の男と婚約してしまい、除隊後に必死になって彼女を奪還する青年を描いたコメディ映画が人気を呼んでいた。1970年代の時点では、陸軍で26ヵ月、海軍で28ヵ月、空軍で30ヵ月を過ごすことは、韓国の男子を悩ませるもっとも大きな問題であり、彼らの人格や世界観、将来構想を決定的に形作ってしまう体験なのである。
韓国と日本は、文化的にも、歴史的にも、もっとも近い間柄であるとは、よくいわれることである。とりわけ最近では韓国映画が日本でも大ヒットしたり、グルメとエステの観光旅行が女性の間で人気を呼んだりして、かつてなかったほどに日本人は韓国を身近に感じるようになっている。わたしは率直にいって、それはいいことだと思っている。だが、韓国人にとってもっとも根本的な問題である、ナショナリズムと国家=民族への絶対的忠誠意識を理解する上で、彼らの認識の根底にある軍隊体験については、これまで日本ではほとんど紹介されていなかった。これでは、いくら知韓派を気取ってみたところで、どこかで限界にぶつかることになるだろう。『JSA』や『シュリ』といったアクション映画のなかで、俳優たちの銃を構えるポーズがみごとにサマになっているのは、彼らが長期にわたって本物の銃器を扱い慣れてきたせいであるし、その格闘場面が堂に入っているのは、実際に軍隊でテッコンドーの厳しい訓練を重ねてきたからである。このことを認識せずに韓国男はカッコイイと叫んでみたところで、何になるのだろう。
韓国の軍隊生活のことがこれまで日本で知られてこなかったことについては、いくつかの理由が考えられる。ひとつには、先にも触れたように、韓国の軍隊体験者が申し合わせたように、みずからの体験を口にしようとしなかったことが大きい。軍規によって機密の漏洩が禁じられていたばかりではない。韓国の青年たちのうち少なからぬ部分は、軍隊時代に体験したさまざまな屈辱と孤独、喪失感と暴力の記憶を、できることなら心理的に封印しておきたいと望んでいるのであり、トラウマの裏返しとして、マッチョイズムを正当化してしまう傾向をもっている。韓国では日本と違って、カレースタンドが繁盛したためしがなく、まず見かけることがないのだが、それは軍隊でさんざん食べさせられたカレーを思い出させてしまうからだと聞いた。
2番目の理由は、日本人が世代的に抱え込んでしまった、軍隊をめぐる拒否反応である。できることなら陰惨な、恐ろしい話は聞きたくない、韓国については楽しいことだけを聞いておきたいという態度が、いまだに南北分断の厳しい状況下にある韓国のあり方を、ありのままに理解することを困難にしてしまった。
わたしが本書の存在を知らされたのは、2000年にふたたびソウルに長期滞在をしていたときであった。ついに韓国人が自分の軍隊体験を語りだした! そう思うと、政治における民主化が、緩やかにではあるが文化的成熟に向おうとする徴候として、この書物が出現したような感想を抱いたものである。もとよりわたしには、本書をもって、日本にも韓国のように徴兵制が敷かれるべきだと喧伝する意図はない。だが、軍隊を賛美するにしても、また忌避するにしても、肝心のその実態がわかっていないと、仕方がないではないか。その意味で本書は、韓国人のメンタリティを理解するばかりではなく、旧日本軍の延長上に設立された大韓民国の軍隊組織の歴史的あり方を認識するうえでも、基本的な文献となることだろう。
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