書評

『幻想の過去―20世紀の全体主義』(バジリコ)

  • 2017/09/10
幻想の過去―20世紀の全体主義 / フランソワ・フュレ
幻想の過去―20世紀の全体主義
  • 著者:フランソワ・フュレ
  • 翻訳:楠瀬 正浩
  • 出版社:バジリコ
  • 装丁:単行本(729ページ)
  • 発売日:2007-08-00
  • ISBN-10:4862380433
  • ISBN-13:978-4862380432
内容紹介:
コミュニズムの「幻想」を通して、二〇世紀の総括を試みた初めての書。政治思想史の泰斗が、二一世紀に生きる我々に遺した究極のメッセージ。

それはブルジョワの自己嫌悪だった

もし、二〇世紀のあらゆる大衆的文芸の「悪者」を類型的に分類しようという野心を抱いた学者がいたとすると、その第一位はなんだろう。ヒットラー型か? いや「腹黒いブルジョワ」であるにちがいない。金儲(かねもう)けしか眼中にないブルジョワに対する憎悪というのは万国共通であるからだ。

かつては筋金入りの共産党員であり、「コミュニズムの幻想」に強く捉えられた過去を持つ著者は一九五六年のハンガリー事件を契機に共産党を離れて以来フランス革命研究に打ち込むこととなったが、ソ連崩壊という歴史的瞬間を前にして、自分を始めとするブルジョワ子弟がコミュニズムに魅惑され、「プロレタリア独裁」「科学的社会主義」「歴史理性の必然」といった空疎なマルクス・レーニン主義の標語をかくも容易に信じたのはなぜかという疑問に捉えられる。この謎から出発した著者が最初に見いだした事実とは次のようなものだった。

コミュニズムの幻想は、歴史のなかで進むべき道を見失った人々に、人生の意味を提供しただけではなく、強固な信念の持ち主にのみ可能な、大きな心の安らぎという恩恵さえ提供するものであった。(中略)コミュニズムの幻想は宗教的信仰に見られるのと同じ、精神エネルギーの全面的な傾注だったのである。

つまり、いまの世界と自分はこれでいいのかと倫理的煩悶(はんもん)を感じる人々に、コミュニズムは魂の救済をもたらす福音と見なされたのである。では、そうした人は、いまの世界のどこがいけないと感じたのか? いうまでもなく「腹黒いブルジョワ」の支配である。

ブルジョワは民主政治が何よりも必要としていたもの、すなわち責任者、あるいはスケープゴートになった。

ところで、「悪玉」ブルジョワも、もとはといえば「善玉」だった。フランス革命はブルジョワによって達成されたからである。つまりブルジョワは貴族社会を破壊し、自由と平等を人々に与えたが、富を蓄えたために人々から憎まれるようになる。しからば、ブルジョワを最も激しく憎悪したのは貧しい民衆だったのかといえば、答は否。ブルジョワを憎んだのはブルジョワ自身だったのである。

反ブルジョワ感情の本質は、ブルジョワの自己嫌悪だったのである。

すなわち、結論から先にいえばコミュニズムの幻想は、このブルジョワの自己嫌悪、自分が生まれ育った社会・政治体制を憎悪する鬼子の脳髄に宿ったのだ。

きっかけとなったのは第一次世界大戦である。ここからブルジョワの鬼子たるボリシェヴィズムとファシズムが生まれ、これが第二次大戦を用意したのだ。

この二つはブルジョワ憎悪で共通しているだけでなく、革命、党、人民(国民)の名による独裁などの概念において相似形をなしていた。しかし、さらに重要なのは両者の相互依存関係だった。

ファシズムが誕生してきたのは、コミュニズムに対抗する反作用としてであった。コミュニズムにとって延命が可能になったのは、反ファシズムを標榜(ひょうぼう)することが可能になったからだった。(中略)両者は互いに相手の殲滅(せんめつ)を求めていた以上、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵であることに変わりはなかったとはいえ、対決するためには、両者の中間にある民主主義を予(あらかじ)め殲滅しておく必要があるという、共犯関係に立つ敵同士だったのである。

では、民主主義の敵であるこの二つの全体主義のうち、知識人が圧倒的にコミュニズムに惹(ひ)かれたのはいかなる理由によるのか?

第一には、コミュニズムがフランス革命の継承者であると謳(うた)い、ブルジョワ民主主義批判の彼方に普遍主義を置いたこと。つまり、ファシズムが最上位に据えたのが国家や種族という人類の特定部分でしかなかったのに対し、コミュニズムは、革命の後に「人類全体」の解放を用意していると主張したことである。

第二は、コミュニズムが「科学と道徳を一つに結びつけているかのごとき外観を呈して」いたこと。

そして、第三はボリシェヴィキの一〇月革命が「成就した革命」だったという事実である。「人々が革命に夢中になった最大の理由は、革命が発生したという事実だったのであり、また革命は革命が持続しているというそれだけで、たちまち殆(ほとん)ど神話的な地位を獲得したのである」

以上が本書のテーゼである。著者は膨大な文献に当たりながら、「ブルジョワであるという不幸からついに解放された《新しい》人間の誕生を目にするという希望」をコミュニズムに託そうとした善意の人々の「幻想のパノラマ」を旺盛な筆力で描きあげていく。

格差社会の到来で反ブルジョワ感情が高まりつつある昨今、コミュニズムにもファシズムにも陥らないために精読すべき一冊。翻訳は明快で読みやすい。(楠瀬正浩・訳)
幻想の過去―20世紀の全体主義 / フランソワ・フュレ
幻想の過去―20世紀の全体主義
  • 著者:フランソワ・フュレ
  • 翻訳:楠瀬 正浩
  • 出版社:バジリコ
  • 装丁:単行本(729ページ)
  • 発売日:2007-08-00
  • ISBN-10:4862380433
  • ISBN-13:978-4862380432
内容紹介:
コミュニズムの「幻想」を通して、二〇世紀の総括を試みた初めての書。政治思想史の泰斗が、二一世紀に生きる我々に遺した究極のメッセージ。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2007年09月30日

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