筆者たちは、このたびギヨーム・ド・ベルティエ・ド・ソヴィニー『フランス史』の全訳を講談社選書メチエより刊行した。私たちが本書の翻訳を決意した理由、それは至って簡単なことで、類書がほとんど存在していないからである。
そう、まことにもって意外だが、一人の著者、それも真っ当な歴史家による、それでいて一般読者が容易に読みとおせるような一冊読み切りのフランス通史というのは、まだ日本では存在していなかったのである。
では、本国フランスではどうなのか? さらに意外なことだが、フランスではこの本が出版されるまで、一冊で通読可能なフランス史は事実上、存在していなかったのである(ちなみに、現在でもこれを超える通史は出ていない)。フランス人であれば、わざわざ通史を読むまでもなく、「王の歴史」については一通り知っており、通史がなくても困らなかったからだ。
だが、私のような外国人で、フランス史の専門家ではないが、フランスの歴史の概要を一通りつかんでおきたいと思う人にとって、このことは極めて困った事態というほかなかった。おそらく、私のような人間が世界中にたくさんいたはずである。にもかかわらず、フランスの歴史家でそのことに気づいた人はほとんどいなかった。だが、われらがギヨームは、外国人の学生を積極的に受け入れていたパリ・カトリック学院に勤めていた。そこで、外国人学生に推薦できる「フランス語で書かれた簡便なフランス史」が存在しないという驚愕の事実を知るに至り、本書は執筆されたのである。
ギヨームは、一九五五年の『王政復古期 La Restauration』でその名が知られていた。王政復古期は輝かしい大革命とナポレオン帝政の後にやってきた幻滅の時代、反動の時代と思われていたが、ギヨームは厳密な資料批判により、王政復古期とはそのフランス語の語義通りに、大革命と帝政によって破壊された社会秩序がリストアーされていく活気ある過渡期であったことを見事に証明したのである。私も、王政復古期を舞台としたバルザックの小説を読むときには、この本を座右の一冊としている。
『フランス史』は一九七七年にフラマリオン書店から上梓されると、国内外で大きな反響を呼んだ。では、他の歴史書にはないどのような特徴があったのだろうか?
一つは、マルクス主義史観やアナール派史観によって退けられて久しい昔の歴史書のスタイルを復活させて、「王の歴史」すなわち政治事件史を中心にしたこと。
このことは現在、大学でフランス文化論を講義している私にはよくわかる。たとえば、ルイ七世とルイ九世、ルイ十一世とルイ十二世、フィリップ二世とフィリップ四世、シャルル五世とシャルル六世などのそれぞれの王の違いなどまったくわからない学生にフランス中世文化史を教えるのはほとんど無意味に近いのだが、実際には、これらの王がどう違うのかを学生が自主的に予習してこれるような教材というのは存在していないのである。あるとしたらウィキペディアくらいだが、教師としてはウィキペディアで予習してこいとはいえない。まことに困った状況である。
『フランス史』の第二の特徴は、あたう限り編年体の記述を採用している点である。それゆえ、歴史の流れというものがスッキリと頭に入ってくるからだ。クロノロジックな知識がなければ長期的持続の意味も理解できないからである。
第三の特徴は、時代区分ごとに政治・経済の状況が簡潔に分析されているばかりか、社会や文化の中にもたらされた構造的な変化も的確に記述されていることである。たとえば、私は『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』(講談社学術文庫)を書いたこともあってこの時代にはかなり詳しいつもりなのだが、そうした目をもって読むと『フランス史』の第二帝政の章はじつに見事に書かれていることがわかる。少ないページの中に事件史以外にもこれだけの情報を過不足なく、しかも初心者にもわかるように盛り込むといった離れ業はだれにでもできることではない。まったくフランス史を知らない外国人学生から博士論文を執筆する博士課程の院生まで相手にしてきた練達の教授であるギヨームならではの力技というほかはない。
第四は、先史時代からミッテラン時代までを網羅した全二十九章の配分の良さである。メロヴィング朝から百年戦争までの中世、ヴァロワ朝とブルボン朝、大革命とナポレオン帝政、立憲王政と第二帝政、第三共和政と両次世界大戦、第四共和政から二十世紀末まで。どの時代にも等しく光が当てられ、必要にして十分なページが割かれている。
第五は王党派の家系で在俗司祭という、左翼からは色眼鏡で見られそうな出自にもかかわらず、その歴史的判断は常に公正でバランスが取れていること。歴史家の鑑のような記述である。
と、このように本書の特色を列挙してきたが、これらを一言で言い表すとすれば、次のようなことになるのではあるまいか?
すなわち、完璧で誰にも文句のつけようのない理想的なフランス史の教科書、これである。一人でフランス史の教科書を著すことは決して不可能ではない。しかし、簡にして要を得た、しかも読みごたえのあるフランス史の教科書を一人で書くことは絶望的に不可能に近い。もし、そうでなかったら、とっくにだれかによって書かれていたはずなのである。
本書に不満を感じたフランス史家がいたとしたら、ぜひとも自分なりの「フランス史」に挑戦してほしいものである。これ以上のものを仕上げることが容易ではないことはすぐに了解されるはずである。