書評
『晴れたら空に骨まいて』(ポプラ社)
大切な人の生を全うさせ新たに結ばれる弔いの儀式
親しかった友人の死後二年経(た)って、彼の妻が「散骨をすませた」と教えてくれた。好きだった海、しかも国内外五カ所に分けてまいたと聞いたとき、ふわっと明るい場所に出たような心地を味わった。以来、彼のことを思い浮かべると、なぜか幸せな気持ちになる。あちこち気ままに漂いながら本人も羽を伸ばしているに違いなく、そして、彼女は穏やかに言う。散骨がすんだら、むしろいつもそばにいると思えて目の前がぱっと開けた。想像もしていなかった心境が、自分でも面白い。
それを聞きながら、思った。散骨という見送り方は、悲しみの決算ではなく、大切な人の生を自分の手で全うさせた達成感、あるいは安心感をもたらす。散骨は、生きる者を支える弔いの方法なのかもしれない、と。
「晴れたら空に骨まいて」。本書の爽快なタイトルに、まず惹(ひ)きつけられる。生と死が親身に手を繋(つな)いでいるような、からりとした朗らかさ。じっさい、著者に執筆を促したというエピソードが痛快だ。串カツを食べながら、母の友人が言った言葉にはっとしたという。
もうすぐネパールに行くんだ。旦那の骨を撒きに!
八年前に亡くなった夫の遺骨を、彼女はクッキーの缶に保存し、何年もかけて世界中の川や海にまいていると聞き、著者は、生と死にまつわる自由の意味を拡(ひろ)げ、のぞきこむ。死を題材に扱うノンフィクションでありながら、本書がユーモアや開放感を伝えてよこすのは、“発見の目”が終始いきいきと弾んでいるからだ。
五組の家族の、大切な人をめぐる五つの物語。いずれも風の匂い、土地の日射しをふんだんに感じさせる。人間が生きるということは、おのずと自然との関係を深めることでもあるのだ。
亡き夫の骨を自分で砕き、何年もかけて旅をしながら、好きだった場所にばらまいた妻。ミクロネシアの小さな村に移住し、妻を見送った男性。絵を描く旅の途中、チェコで客死した父を現地で弔った家族。登山家だった夫との生前の約束を果たすため、ヒマラヤに挑戦した六十一歳のフランス人の妻。インドで出会った友人を看取(みと)り、インドの川に還(かえ)した青年とその家族--人生の中身はばらばらでも、みなに共通しているのは、あくまでも「個」として生きようとした自由人の気風だ。
その究極のかたちを描くのは、登山家、原真とエリザベスを描く「マカルーで眠りたい」。原は少人数・速攻登山を提唱、先鋭的な登山研究で知られた登山家であり、医師だ。実弟の山での遭難死を経験し、なおかつ数々の山を征服した原は、独自の死生観を培っていた。つねに死と背中合わせの夫の登山を見守る、アルザスから名古屋に嫁いだエリザベスが歩む人生もまた、驚くほど野太くたくましい。原一家のありかた、残された家族が五年後に行った鎮魂の登山、そして遺言の散骨。散骨という選択によって、家族がひと回り、ふた回りも大きな存在となって結ばれるさまが、死の意味をあらためて問い掛けてくる。
清潔な筆致に、著者のまっすぐな眼差(まなざ)しを感じる。好奇心を超えた共感の力。そこには、どこでどう暮らしても「個人」であろうとし、自由の意味を体現した人々への敬意がある。
読後、晴れやかに空を見上げたくなる一冊だ。
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