書評
『恋文の技術』(ポプラ社)
「第一話 外堀を埋める友へ」
と記された目次を見ただけで、ああモリミーの世界だとにやりとしてしまう。外堀を埋める、というのは、女性にアプローチするという意味のモリミーこと森見登美彦特有の言い回しなのだが、京都を舞台に、妄想肥大気味の純情男子が奮闘する物語をいくつも書いてきた著者は、本作でそのベースを書簡体というアレンジで著してみせた。しかも徹頭徹尾〝往信のみ〟という構成で。
書き手は、京都の大学から能登半島の小さな実験施設に送られてしまった大学院生の守田一郎。うるおいのない日々の無聊を慰めるため、彼は研究室仲間や妹や、家庭教師をしていた頃の教え子の少年や部活の先輩だった作家の森見登美彦氏(!)に宛てて手紙を書きまくる。〈希代の文通上手として勇名を馳せ〉〈ゆくゆくは「恋文代筆」のベンチャー企業を設立してボロ儲けする〉という即席の野心を掲げ、〈匆々頓首〉など古めかしい言葉を混ぜ込みながら、〈外堀を埋め〉るべくとんちんかんな努力をする友人・小松崎にアドバイスしたり、妹や教え子に請われもしない人生訓を語ったり、気になる女性・伊吹さんの動向をさりげなさを装って探ったり。そう、一郎にとって彼らとの文通は、実のところ伊吹さんへの恋文を書く技術を会得するための練習、腕慣らしだったのだ。
半年にわたって書かれた手紙から、伊吹さんと一郎の妹、そして小松崎が想いを寄せる女性は「大日本乙女會」なる森見氏の同好会を結成していることなど、人間関係が少しずつ明らかになってゆくのだが、一郎はあろうことかその「大日本乙女會」の眼前で(つまり伊吹さんの眼前で)、これまでの森見作品でダメダメ男子が起こしてきた事件の中でも、1,2を争うほど致命的にダメで阿呆な〝ひと夏の大失敗〟をしでかしてしまう。著者のサービス精神が炸裂しているこのくだりは、爆笑で涙目にさせられるだけでなく、あまりの情けなさに身悶えさせられるほど。
しかしこれは、おバカな男子が笑わせてくれるだけの話、ではない。最初にも言ったように、この小説は一郎からの〝往信のみ〟で成り立っているので、読者は相手からの返信の内容を想像しながら文字を追って行くわけだが、読んでいるうちにある可能性がふっと頭に浮かんできたりするのだ。たとえば、小松崎宛ての二通目に記されたこんな言葉によって。
……もしかすると彼は、手紙を出していないのではないか? 〈机上〉でひたすら書いているだけなのでは? 伊吹さんの心に届く恋文を書きたいという気持ちだけが真実で、つまりすべては、一郎の……。
そう考えると、突然物語の色が変わって見えてくる。笑った分だけせつなさが押し寄せてくる。もちろん、それはうがった読み方かもしれない。けれど、どんな視点も許容する、読者の頭の中に個々の世界を構築する小説は、間違いなくいい小説だと言っていい。
最終話、一郎は伊吹さんへ長い長い手紙を書く。森見作品にはリンゴやダルマなど「赤くて丸いもの」が小道具としてしばしば登場するが、この小説では赤い風船が肝心な意味を持って使われている。その意味が分かったとき読者の胸に広がるのは、手紙というアナログな通信手段だけが持つ、他の方法では味わうことのできない温かさなのだ。
と記された目次を見ただけで、ああモリミーの世界だとにやりとしてしまう。外堀を埋める、というのは、女性にアプローチするという意味のモリミーこと森見登美彦特有の言い回しなのだが、京都を舞台に、妄想肥大気味の純情男子が奮闘する物語をいくつも書いてきた著者は、本作でそのベースを書簡体というアレンジで著してみせた。しかも徹頭徹尾〝往信のみ〟という構成で。
書き手は、京都の大学から能登半島の小さな実験施設に送られてしまった大学院生の守田一郎。うるおいのない日々の無聊を慰めるため、彼は研究室仲間や妹や、家庭教師をしていた頃の教え子の少年や部活の先輩だった作家の森見登美彦氏(!)に宛てて手紙を書きまくる。〈希代の文通上手として勇名を馳せ〉〈ゆくゆくは「恋文代筆」のベンチャー企業を設立してボロ儲けする〉という即席の野心を掲げ、〈匆々頓首〉など古めかしい言葉を混ぜ込みながら、〈外堀を埋め〉るべくとんちんかんな努力をする友人・小松崎にアドバイスしたり、妹や教え子に請われもしない人生訓を語ったり、気になる女性・伊吹さんの動向をさりげなさを装って探ったり。そう、一郎にとって彼らとの文通は、実のところ伊吹さんへの恋文を書く技術を会得するための練習、腕慣らしだったのだ。
半年にわたって書かれた手紙から、伊吹さんと一郎の妹、そして小松崎が想いを寄せる女性は「大日本乙女會」なる森見氏の同好会を結成していることなど、人間関係が少しずつ明らかになってゆくのだが、一郎はあろうことかその「大日本乙女會」の眼前で(つまり伊吹さんの眼前で)、これまでの森見作品でダメダメ男子が起こしてきた事件の中でも、1,2を争うほど致命的にダメで阿呆な〝ひと夏の大失敗〟をしでかしてしまう。著者のサービス精神が炸裂しているこのくだりは、爆笑で涙目にさせられるだけでなく、あまりの情けなさに身悶えさせられるほど。
しかしこれは、おバカな男子が笑わせてくれるだけの話、ではない。最初にも言ったように、この小説は一郎からの〝往信のみ〟で成り立っているので、読者は相手からの返信の内容を想像しながら文字を追って行くわけだが、読んでいるうちにある可能性がふっと頭に浮かんできたりするのだ。たとえば、小松崎宛ての二通目に記されたこんな言葉によって。
俺の座右の銘は「机上の妄想」である。
……もしかすると彼は、手紙を出していないのではないか? 〈机上〉でひたすら書いているだけなのでは? 伊吹さんの心に届く恋文を書きたいという気持ちだけが真実で、つまりすべては、一郎の……。
そう考えると、突然物語の色が変わって見えてくる。笑った分だけせつなさが押し寄せてくる。もちろん、それはうがった読み方かもしれない。けれど、どんな視点も許容する、読者の頭の中に個々の世界を構築する小説は、間違いなくいい小説だと言っていい。
最終話、一郎は伊吹さんへ長い長い手紙を書く。森見作品にはリンゴやダルマなど「赤くて丸いもの」が小道具としてしばしば登場するが、この小説では赤い風船が肝心な意味を持って使われている。その意味が分かったとき読者の胸に広がるのは、手紙というアナログな通信手段だけが持つ、他の方法では味わうことのできない温かさなのだ。
初出メディア

週刊時代(終刊) 2009年4月11日
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