政党作る団体に切り込む行動力
泡沫(ほうまつ)候補という言葉がある。選挙で当選する見込みがきわめて薄い候補者のことだ。彼らは、たとえ一時的に話題に上がることはあっても、時間がたつにつれ忘れ去られてゆく。政治学の世界でも、泡沫候補に関する研究というのは皆無に等しい。本書は、宗教政党に属した候補という限定付きながら、昭和から平成にかけての泡沫候補に関する初めての本格的な研究である。もっとも本書は、その研究自体を目指してはいない。戦後日本の宗教運動を、独自の政党を作らず、既存の政党を支持するだけの「政治関与」型と、独自の政党を作って選挙に立候補する「政治進出」型に大きく分け、両者の事例について考察しているからだ。けれども圧倒的に面白いのは後者で、各教団の内部資料を集めるばかりか、選挙に打って出る宗教政党の会見にまで出席するなど、ただならぬ努力が費やされている。政治学者が避けてきたテーマに切り込もうとした著者の研究姿勢は、高く評価されるべきだろう。
創価学会、浄霊医術普及会、オウム真理教、アイスター(和豊帯〈わほうたい〉の会)、幸福の科学が、「政治進出」型に属する宗教団体として取り上げられる。このうち、創価学会を除く四つの団体は、国政選挙への挑戦を何度か試みるものの、議席獲得には遠く及ばないまま今日に至っている。この点ではすべてが泡沫候補と呼ぶべきなのだが、言うまでもなくオウム真理教と幸福の科学の著名度は突出している。本書では、1990年の総選挙での惨敗を機にオウム真理教が陰謀論的思考を深めてゆく過程や、2009年の政治進出と連動して幸福の科学で「霊言」が復活する過程についても、興味深い分析がなされている。
こうした分析を踏まえると、同じ「政治進出」型の宗教団体に属するにもかかわらず、なぜ創価学会だけが泡沫候補を出さずに政界に進出できたのかという疑問が、改めて湧いてくる。けれども本書は、この疑問に十分にこたえてはいない。「政治進出」型の宗教団体は、いずれも日本の伝統尊重や天皇・皇室への崇敬を中核とする「正統」的宗教ナショナリズムからは距離を置く「異端」性をもっているとされるが、この仮説だけで創価学会とオウム真理教の間に横たわる振幅の大きさを解明することはできまい。
本書を読んでいると、文章の表現などに良くも悪(あ)しくも「若さ」が目につく。だが、若さゆえになし得た研究ともいい得る。幸福実現党の会見に一人乗り込んだ著者の勇気と行動こそが、本書を生み出した原動力になっていることは間違いない。今後のさらなる研究に期待したいと思う。