世俗化への反動、世界的規模で
第二次世界大戦後、世界は、一部での熱い戦争や深刻なテロもあったにせよ、総じては平和と経済的繁栄が基調となったために、宗教の役割は、背景に退いた感があった。著者は、そうした言葉本来の意味での世俗化への反動の傾向が二十世紀終わり近くから、地球上あちこちで生まれかけてはいた、と判断する。そして現下、事態は急速に変わりつつある。というのもここへきて地球は、温暖化に加え、新型コロナウイルスによるパンデミック、そしてロシアによるウクライナ侵攻という、世界的規模での、社会の安寧を脅かす出来事を抱え込んだ。この二つの尋常でない状態は、各国、各民族における宗教のあり方に深甚な影響を与え、また逆に宗教が各国、各民族の社会に新しい局面を生み出しつつある。この視点で、地球の表面を鋭くスキャンしたレポート、それが本書である。
国家社会の形に制度的に影響力を持つ世界宗教、あるいは既成の宗教として、キリスト教(主としてプロテスタント)、ユダヤ教、ロシア正教、ヒンドゥー教、イスラム教が著者の対象である。例えば、トランプ政権時代、大統領扇動(?)の下で議会襲撃事件が起こったが、そこにはプロテスタントの一派の関与が大きかった。あるいはコロナ・ワクチンやマスクの拒否運動にも、同じような傾向がみられる。バイブルベルトと呼ばれる地域のアメリカ南部諸州は、原理主義的なプロテスタンティズムが根強いことで知られるが、多様性が合言葉のように拡散する今日、かつてアメリカという国家建設の主役だったWASP(白人アングロサクソン系新教徒)が享受してきた社会的地位の決定的な低下が、新しい徴候を生み出している。本書では「クリスチャン・ナショナリズム」という言葉で記述されるが、「古き良きアメリカ」への回帰が、素朴なキリスト教信仰と結びついて、侮りがたい力となっていることが指摘される。
ウクライナ問題を巡るロシア正教の関連も、教えられるところが多い。もともとカトリシズムのように、最終的にはローマ教皇の下で一元化されていないロシア正教では、それぞれの国家に教会の基盤が置かれる。ただその源をたどれば「ルーシ族」の支配が行き届いた地域での「キエフ(キーウ)・ルーシ公国が正教を受容したことが、このロシア正教会の起源であり、またロシアという国の起源でも」ある、という指摘は、今回の事件を理解する上でも重要であろう。モスクワの総主教が、「戦争」による殺戮を平然と許容し、賛同するかに見える映像を見るにつけ、宗教に絡む人間社会の難しさを、更(あらた)めて思わされる。
イスラム世界について言及する紙幅が残されていないが、原理主義的なイスラム圏と、インドネシアのイスラム教とは別に扱ったうえで、しかし、新型コロナのパンデミックへの対応において、様々な状況が生み出されている記述にも、参考とすべき点は多い。
総じて各宗教の成り立ちについての概説的な記述の部分も含めて、平明で、過不足のない解説も付されており、旧統一教会と政治との関わりが一方的に非難されるように、日本社会では宗教はお荷物感が強いなかで、本書の占める役割はことのほか大きい、というのが、素直な読後感である。