現在へとみちびく三つの「海の時代」の構図
一五九一年、スペイン領フィリッピンでは、膨大で安い中国の綿布や絹が運ばれて、先住民の産業が衰退したことから、先住民が中国製衣料を着るのを禁じる政令が出された。これは今を遡(さかのぼ)る四百年以上前のことだが、今とあまり変わらぬ事態が起きていたことには驚かされる。しかもこの少し前の一五七一年、スペイン人がマニラに都市を建設して、メキシコとフィリッピンを結ぶ太平洋航路が生まれており、ここに世界経済のネットワークが形成され、グローバリゼーションの始まりとなっている。これまた今と何と似ていることであろうか、驚きである。
現今、東アジアに起きている事態を考えてゆくためには、歴史を遡ってみてゆかなければわからない。特に日本という視点だけから見ていては、わからない問題が多々ある。本書はそのような東アジアの海域の歴史を、共同研究により探った成果の第一冊。
そもそも東アジアとは何か、海域とは何か、そして東アジアという地域的な特性とは何か、まずは編者がプロローグで示した後、本文では長い海域の歴史を三つに時期に絞って検討を加えてゆく。
最初は一二五〇年から一三五〇年の百年間、次が一五〇〇年から一六〇〇年の十六世紀、三つ目が一七〇〇年から一八〇〇年の十八世紀である。それぞれの時期の特徴を「ひらかれた海」「せめぎあう海」「すみわける海」と捉えて、時代の構図を描き、交流を担った人とモノ、情報について語ってゆく。
最初の時期では、モンゴルによりユーラシア大陸のみならず、東アジア、南アジアの海路が開かれてゆき、それとともに東アジアの海域では何が起こったのかを見る。日本ではモンゴル襲来と南北朝の動乱期に相当するが、それを東アジア海域の歴史から見てゆく。主に活動するのは華人海商であり、南アジアのムスリム商人であった。
その開かれた海が、明(みん)の採用した海禁と朝貢政策によって閉鎖的になるのが、続く百五十年ほどで、この時期については、本書では直接に扱わず、次の時期の前提として扱われる。
その「せめぎあう海」では、様々な勢力、華人海商や倭寇(わこう)、ムスリム商人をはじめヨーロッパ人までが活動を繰り広げて、彼らがせめぎあうなか、最初に見たようなグローバル化の出発点ともなった。日本は戦国時代に相当するが、それを東アジア海域の歴史から見てゆく。
やがてその「せめぎあい」のなかから東北アジアで新たな国家権力の形成が進む。日本での幕藩制国家、明に代わっての清の誕生となってゆくのだが、この時期についても本書では直接に扱わず、次の「すみわける海」の前提として扱われる。
日本の幕藩制国家と、清、さらに朝鮮・琉球によって、東北アジアでは「海域のすみわけ」がなされるが、東南アジアではそれがなされぬまま「せめぎあう海」が続くことになる。やがて国家の領域の問題が、東北アジアにおいて引き起こされてくることを告げて、本書は終わる。
多くの地域を扱う本ではどうしても難しい表現が多くなりがちだが、本書は共同研究をまとめるスタイルをとっていてわかりやすく、また単調な通史に陥るのを防ぐために、三つの時期を設定してメリハリを付けるなど、全体に読んであきさせることがない。現在の東アジアの状況を古く歴史に溯って考える上で好適な本となっている。
もちろん、三つの時期区分が妥当か、もう少し突っ込んだ分析がほしい、といった注文はあるが、それらは今後に続くシリーズの課題に託されてゆく。