徹底した史料批判による生きた実像
歴史を探るとき、これまで全く知られていない事実を明らかにすることは大きな楽しみだが、同時に、多くの人が関心を持ち知っていると思われていたことが実は間違っていたり誤解であったりしていることを正す楽しみもまた大きい。いうまでもなく新選組を歴史で探ることは、後者の楽しみに属するものである。NHKの大河ドラマの影響から新選組関係の本が急増しているなか、どれだけ新鮮な新選組像が提出されるのか、と興味を抱いて読んでみた。すなわちこれまでの「勤皇対佐幕」という、ありきたりの図式を越えて、新選組が歴史の中にどう位置づけられているのか、そうした関心による。
本書は最初に三つの課題を明快に設定し、その課題に沿って作業を試みる。一つは新選組を幕末期の政治史のなかにきちんと位置づけることであり、第二は新選組に関する史料を歴史学の方法で吟味し批判的に使うこと、そして第三にはその史料研究を学問的に進めるために今後何をすべきかを考える作業である。
第二・第三の課題はむしろ第一の課題の前提となるものだが、そのことをあえて課題として設定したのは、新選組関係史料が歴史小説のなかではしばしば無批判に利用されており、恣意的に使われることが多いことへの危惧による。また新選組組長の近藤勇の書簡などは、隊士の土方や沖田の書簡とは違ってほとんど翻刻されていない事情がある。
長年にわたって歴史史料の編纂に携わってきた立場からの、また歴史展示の在り方を探っている歴史博物館の館長の立場からの基本的態度の表明である。
さて第一の課題であるが、著者は新選組を「一会桑」グループという政治集団に関わらせて幕末政治史において位置づける。「一会桑」の一とは将軍後見職の一橋慶喜、会は京都守護職の会津藩松平容保、桑は京都所司代の桑名藩主松平定敬らをさし、孝明天皇と結んで朝廷と幕府との融合を第一の目的とした政治集団であったとする。
これに対抗していたのは、幕府体制を堅持しようとする「将軍譜代結合」グループであり、また幕府を排除して朝廷と諸大名との直接の結合を求める外様諸藩グループであって、その三つの政治集団の政治闘争を軸に幕末政治史を捉え直し、そこから新選組の動きを探ってゆく。
近藤勇は、「一会桑」グループにおける有能な活動家というのが著者の見方で、そのことから活動を追ってゆく。したがってこのグループは公武合体、勤皇攘夷を大方針にしていたから、新選組や近藤といえば佐幕勢力の走狗であったというこれまでの常識的な「知識」は全くの誤りとなる。では、あの薩長土佐の「勤皇の志士」たちとの苛烈な争いとは何だったのだろうか。
そこに新選組という浪士集団の集団としての性格の問題をみる。この時期には様々な脱藩浪士集団が生まれており、日本の在り方を憂いて各地で有志結合をつくりあげていたが、その有志集団を幕府が掌握すべくして生まれたのが新選組であった。
その有志結合のなかでも、新選組は力量の低下した武士に代わって豪農や中農上層部から腕前をあげてきた草莽の剣客集団という特徴があったという。
こうして政治過程論と政治集団論との組み合わせにおいて、新選組の活動を解明してゆく。新選組はやがて文久三年(一八六三)の八・一八クーデターにより長州藩勢力を京都から追い出して以後、超法規的武装集団化してゆくなかで、苛烈な対立と抗争がおき、さらに「死さざれば脱退するを得ず」と称される、脱走などの禁止条項に違反したならば切腹という厳しい規律を生むことになったという。
このように従来の枠組みを組み替えることと、史料批判の徹底とによって、新たな新選組像が構築されていったことは高く評価できよう。
転変の著しい政治の変革期を綺麗に整理して、生きた新選組像をつくったこと、そしてそのなかで近藤がどう考えて生きたのかを明らかにしたことは今後の研究の基礎をなすものであろう。まさに歴史の面白さ・奥深さが堪能できる作品である。
今後は、著者が指摘するように、新史料を積極的に翻刻する作業を行い、その批判的研究とともに新選組研究は展開されるべきであろう。近藤勇の書簡集はぜひとも翻刻してもらいたい。
それとともに、論理を鮮明にするために触れなかった部分も本書では多く、その部分を含めた広がりのある研究をさらに求めたい。それによってまた深みのある歴史小説が生まれてこよう。