漢字学を突破口に拡がるフロンティア
「臥薪嘗胆」「酒池肉林」を学校で習った。どれも史実でなくて説話(つくり話)だ。中国古代の真の姿にどう迫るか。歴史学者・落合淳思氏の挑戦が始まる。まず司馬遷の『史記』。傑作すぎて、これこそ歴史だとみんな思った。でも説話が沢山まぎれ込んでいる。当時は、説話も実際の出来事だと信じられていたのだ。
儒学がそれに輪をかけた。儒学は過去を理想化する。孔子や弟子たちが編集した経典は、歴史の真実とかけ離れた内容になった。
儒学はいう。最初の王は堯。つぎが舜、そして禹。禅譲で王位を継承した。禹の後は世襲で、夏王朝が成立。それを湯王が倒して殷王朝が、それを武王が倒して周王朝ができた。孔子は武王の弟の周公旦を聖人として尊敬した。
夏王朝は実在したか。実在したに決まっている、と儒学はいう。でも実は、裏付け史料がない。
裏付け史料は甲骨文や金文(きんぶん)だ。金文は金属器に刻まれている。竹簡や木簡もある。遺跡や副葬品として発掘される。これらの研究が進んで、歴史学は古代説話の真偽を検証できるようになった。
発掘が明らかにした中国最初の王朝は「二里頭(にりとう)文化」。河南省の遺跡で、夏王朝の時期に当たる。でも支配地域が小さく、位置もずれている。そもそも殷や周の発掘文字史料に夏王朝への言及が一切ない。夏王朝の《説話は、すべて春秋時代以降に創作されたもの》だ。なお中国政府は夏王朝の存在を公認していて、話が複雑だ。
夏の桀王、殷の紂王は暴君だった。だから放伐(クーデター)は正しい。儒学はこの理屈で、歴代王朝を正統化する。「酒池肉林」はそのための創作なのである。
こんな具合で、中国人や日本人が抱く中国古代のイメージは、戦国時代につくられた説話が大部分だ。なぜ説話なのか。当時の無名知識人は、古人に仮託して考えをのべた。老子や孫子の実在も疑わしい。過去の実態が忘れられ、当時の常識を過去に投影した。細部が不自然で、すぐ創作とわかる。「合従連衡」の故事も、歴史的裏付けのない虚構であるという。
大事な指摘を紹介しよう。「覇権」の本来の意味。春秋時代は貴族制で、君主の権力は限定的。だから≪覇者は会盟を通して中小諸侯を保護≫し、≪緩やかに支配した。…覇者が主宰する会盟は、互恵関係(ギブアンドテイク)だ≫った。覇は当て字で元は「伯」。諸侯の「リーダー」の意だ。ところが戦国時代に戦法が歩兵主体に変化して貴族が没落、諸侯は専制君主に変貌した。儒学では『孟子』が王道(徳の統治)/覇道(武力の統治)を峻別した。「覇」は悪い意味になった。
国際政治に「ヘゲモニー」という概念がある。覇権と訳す。語感が悪い。かつて中国は、覇権主義反対、超大国にならないと言っていた。最近は聞かない。覇権を追求しているのかもしれない。
漢字でものを考えると、漢字の意味に縛られる。それから自由になりたければ、漢字の観念の成り立ちを探り、古代中国の真相を知らねばならない。中国人や日本人への宿題だ。本書は、最新の科学的知見と方法を武器に、古典とされるテキストを、真実/説話(つくり話)に、ばさりばさりと切り分けていく。白川静の切り開いた漢字学を突破口に、歴史学~文学~社会科学にどんなフロンティアが拡がるかをみせてくれている。