書評

『戦後日本の中国観-アジアと近代をめぐる葛藤』(中央公論新社)

  • 2024/08/21
戦後日本の中国観-アジアと近代をめぐる葛藤 / 小野寺 史郎
戦後日本の中国観-アジアと近代をめぐる葛藤
  • 著者:小野寺 史郎
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(256ページ)
  • 発売日:2021-11-09
  • ISBN-10:4121101227
  • ISBN-13:978-4121101228
内容紹介:
長く影響を受けてきた国、中国。距離的にも心理的にも近いが、その政策、対外行動、中国で起こる事件は理解しがたいものである。本書は日本の中国近現代史研究をひもとき、日本人の中国観に迫る。文化大革命、日中国交正常化、天安門事件などを経て、日本の隣国への見方はどう変化したのか、丹念に追う。

学問対象と研究者の緊張関係に着目

近代日本の中国認識についてこれまでもさまざまなアプローチがあったが、本書は専門領域内の議論に焦点を絞り、研究史を主要な検討対象とするところに特色がある。書名は「戦後」となっているが、戦前までの中国観も論述の土台として簡潔にまとめられている。

戦後の中国史をどう区分するかは論者によって必ずしも一定しておらず、中国政治の変化に沿って語られているのが一般的である。著者は中国の状況変化を念頭に置きながらも、それに囚われることはなく、日本における研究傾向、学問対象と研究者の内面の緊張関係に着目して年代別の特徴を捉えようとしている。研究対象との心情的な距離を意識した時代区分は特色のある試みである。

近代日本において、中国史研究は独特な道をたどってきた。一九〇四年、東京帝国大学に「支那史学科」が設置され、後に「東洋史学科」と名称が変更された。やがて、歴史学は日本史、西洋史、東洋史の三つに区分されたが、東洋史では中国史が主要な地位を占めていた。ただし、近現代史は除外されている。江戸時代以来、「漢学」の素地があったとはいえ、世界史の地域区分において他の国と明らかに違っていた。戦前にはおびただしい中国論があったが、大学に専門学科が設置されていない意味において、学問の対象とは見なされていないといえる。

学者の手になるものも含めて、中国に関する戦前の議論は二つの類型がある。一つは日本と西洋の共通性を強調し、中国を停滞した特殊な社会とする「脱亜論」である。もう一つは日本と中国の共通性を見いだし、西洋文明の普遍性に疑問を呈する「アジア主義」だ。

終戦から一九五〇年代の前半までのあいだ、学問の世界では戦前からの東洋史学が引き継がれていた。中国の近現代史研究はまだ大学に居場所がなく、そのかわり、学会や研究会が中心的な場になっている。そうした研究の多くはマルクス主義にもとづいて歴史を把握し、民衆運動を重視する立場をとっていた。やがて、アメリカの研究手法を導入し、研究と政治とのつながりを重視するマルクス主義者を批判する学会や研究所も現れた。

五〇年代の後半以降になると、中ソ対立と文化大革命が起こり、学問と政治の関係が先鋭化した。後者の場合、文革を支持するか否かが問われ、学者は政治的な立場の決断と表明が迫られた。中国はたんなる学問の対象ではなく、研究者の主体的な問題意識の前景化が顕著になった。

七〇年代から八〇年代のあいだ、国交成立と改革開放の追い風で、民間の対中感情が大幅に好転した。戦後生まれの世代が登場するに伴い、研究対象への感情移入はあまり見られなくなった。研究課題は細分化し、実証的な手法が主流を占めるようになった。

天安門事件をきっかけに中国イメージは大幅に悪化した。それに追い打ちをかけるように、歴史認識や領土問題をめぐって対立や衝突が相次いだ。そのあたりの事情は広く知られているが、著者は学問のネットワークという垣根のなかに、研究の断片化がいかに展開されたかについて、多くの実例を挙げて紹介した。

本書の目的は中国近現代史研究の学問的展開をたどることで、言論界の中国認識まで広く検討するものではない。ただ、そのあたりの線引きは必ずしも自明ではない。じっさい、研究者の手になる時評は「現状分析」として紹介されている。専門書は小さな学者集団のなかでしか共有されていないのに対し、市民の中国観の形成は、ジャーナリストや中国ウオッチャーの発信に左右されることが多い。両者関係の解明は大きな課題で、そのことに深く立ち入らないのはむしろ賢明であろう。

戦後の中国観は中国近代思想をめぐる議論を抜きにしては語れない。本書では思想史に一定の紙幅が割かれているのもそのためであろう。それだけでなく、政治史、経済史、外交史、地方史の研究も多く紹介されている。近現代の歴史に限定しようとしても、現実的には難しいことがうかがえる。

中国論において史料の扱い方は多くの困難を抱えている。福沢諭吉の「脱亜論」は歴史のテクストとして解釈することもできるが、時論や批評としても読める。竹内好にいたっては、中国は一つの方法論に過ぎない。その言説も歴史の資料といえなくもないが、当初は現代思想と目され、さらには「文学」として消費されたという一面も見落とせない。そこには想像や隠喩ないし夢想の糸が複雑に絡んでおり、事実の歴史と想念の歴史は同じ政治空間のなかで重なり合っている。かりに学問的な正確さが誰の手にあるかについて議論しても、神学論争になりかねない。

時代背景の特殊性により、こと中国論にかぎっては、情緒的なものが伴いがちである。研究史を語るのも容易ではないが、そのことを自覚し、かつ多大な困難を乗り越えてあえて挑戦する姿勢を大いに称賛したい。戦後中国の研究史において今後、参照すべき基礎的な書物になったのはまちがいない。
戦後日本の中国観-アジアと近代をめぐる葛藤 / 小野寺 史郎
戦後日本の中国観-アジアと近代をめぐる葛藤
  • 著者:小野寺 史郎
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(256ページ)
  • 発売日:2021-11-09
  • ISBN-10:4121101227
  • ISBN-13:978-4121101228
内容紹介:
長く影響を受けてきた国、中国。距離的にも心理的にも近いが、その政策、対外行動、中国で起こる事件は理解しがたいものである。本書は日本の中国近現代史研究をひもとき、日本人の中国観に迫る。文化大革命、日中国交正常化、天安門事件などを経て、日本の隣国への見方はどう変化したのか、丹念に追う。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2022年1月29日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
張 競の書評/解説/選評
ページトップへ