書評

『シュルレアリスムと芸術』(河出書房新社)

  • 2017/12/15
シュルレアリスムと芸術  / 巌谷 国士
シュルレアリスムと芸術
  • 著者:巌谷 国士
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:-(357ページ)
  • ASIN: B000J8VTX0
幻視者たち―宇宙論的考察  / 巌谷 国士
幻視者たち―宇宙論的考察
  • 著者:巌谷 国士
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(271ページ)
  • 発売日:2003-05-01
  • ISBN:4309961568

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去年の六月(事務局注:執筆時時期は1983年前後?)、雑誌「ユリイカ」でシュルレアリスム特集が行われたとき、求められて一文を草した私は、その文中で、「今後しばらく、シュルレアリスムについて発言するのをやめたいと思う」と書いてしまった。したがって、ここに巖谷國士の二冊の本の書評を書くのは、何か前言をひるがえしたようで、気が咎めるのである。まあ、苦しい弁明をするとすれば、私はシュルレアリスムについて書くのではなく、巌谷國士について書くのだ、とでも言っておけばよいだろうか。

必ずしも苦しい弁明ではなく、これは事実でもあるのであって、私は何もシュルレアリスムに義理立てするために、巖谷國士について書く自由をも犠牲にしようとは、そもそも最初から思っていなかったのだ。

シュルレアリスムに義理立てするだって? ずいぶんおかしな理窟じゃないか、と言われるかもしれない。しかし私にとっては、べつに少しもおかしくはないのである。

これについては、巌谷國士の次の文章を引用しておこう。

墓掘人夫にもならず、通念の流布者にもならず、しかも何らかの形でシュルレアリスムの立論に与しようとする者にとって、逆説的な「隔離」の企てがある程度必要とされることはすでに述べた通りだ。(「シュルレアリスムの今日」)

私はもちろん、シュルレアリストではないし、また「シュルレアリスムの立論に与しようとする者」でもないが、かつて自分なりに身を入れてつき合った記憶が今も生々しい一つの思想が、あたかもオカルトの流行のごとく、市場に流布するのを見ては、やはり苦々しい思いを禁じ得ないのである。

馬鹿づらをしたヤングどもが、「シュールっぽい絵が好きなんです」などと言うのを耳にするたびに、私はむらむらと腹が立ってくる。いや、ヤングばかりでなく、れっきとした美術評論家某々先生までが、シュールなどと舌たらずなことを口走っているのだから、もはや何をか言わんやである。このシュールという無意味な言葉、やめてくれないものですかな。

巖谷國士は留保つきで、妙なほめ方をしているようだが、グザヴィエル・ゴーティエの『シュルレアリスムと性』という本も、私には我慢のならない愚劣な本でしかなかった。かつてボーヴォワールが『第二の性』のなかで、女を他者としてしか見ないアンドレ・ブルトンを批判したことがあるが、彼女のほうがまだ筋が通っている。こんな本にでも美点を見つけて、何とかほめるところをみると、巌谷國士もよっぽど女に甘いと言わざるを得ないだろう。まあ、これは冗談だけどね。

といったようなわけで、私は巖谷國士のいわゆる「隔離」の企てに忠実であるべく、シユルレアリスムについてではなく、もっぱら二冊の本の著者についてのみ述べることにしようと思う。

これまでの日本のシュルレアリスム研究に決定的に欠けていた視点を、この二冊の本の著者が初めて導入したと私は考えるのだが、その視点とは何かというと、およそ次の三つである。

まず第一は、あくまでブルトンの思想を中心としてシュルレアリスムの運動を眺めるということ。言葉を換えれば、美学的であると同時に倫理的でもあるものとしてシュルレアリスムの精神を眺めるということ。第二は、とくに第二次大戦後のシュルレアリストたちが目を向け出した、秘教的、呪術的、錬金術的傾向に積極的に接近しているということ。第三は、局外者のアカデミックな姿勢ではなく、自己拘束者の熱い共感をもって語っているということ。――以上である。

実際、或る種の情熱(誤解を恐れずに言うならば趣味と呼んでもよいようなもの)がなくて、どうしてシュルレアリスムに接近することができるだろうか、と私は言いたいのである。ブルトンの好んだファンム・アンファンとか妖精とかいった観念が、しかつめらしく研究室でテキストを研究することによって理解し得るようになるとは、私にはとうてい信じられないのである。

シュルレアリスムのおもしろいところは、まさにここなのであって、突飛な言い方に思われるかもしれないが、妖精を理解しなければ決して革命を語ることができない。妖精ぬきの革命は片手落ちだということを、それは語っているのである。

私があげた三つの視点のうち、最初のものを巖谷國士は現在、「海」に連載中の「評伝アンドレ・ブルトン」において、着々と結実させつつあるようであるが、第二の視点もまた、このたび刊行された『幻視者たち』によって、その一端を垣間見せたと言うことができよう。著者自身も「後記」で述べているように、これはあくまで一端だと私は考えておきたい。扱われているオカルティストないし革命思想家には、著者が早くから親近していたシャルル・フーリエのほか、フロラ・トリスタンとエリファス・レヴィがあるが、おそらく著者がこれだけで満足することはあるまいと思われるからだ。

著者がフロラ・トリスタンの項で述べているペール・アンファンタン、この奇妙な母性崇拝の神秘主義的革命思想家も、後日、ぜひ著者の手で紹介してほしいものだし、ピエール・シモン・バランシュやファーブル・ドリヴェ、さらに遡ってサン・マルタンあたりも、もし未知のヴェールを脱することになるならば、私たちとしては大いに助かるのである。――などと虫のいいことを考える。

私は以前、シュルレアリスム絵画というものはない、絵画にあらわれたシュルレアリスムの精神があるだけだ、という意味のことを書いたおぼえがある。シュルレアリスムがいわゆる流派ではなく、ある種の幻想を描くための方法でもなく、また美学的な一定の規範でもなかった以上、これは疑う余地のない事実だろうと思う。(「シュルレアリスムの理論と実践」)

巖谷國士の断言は、いつもこのように歯切れがいい。彼は同年輩の詩人や文学者のように、濛々たる情念の水蒸気で曇らされた、意味不明の弱々しい文章を決して書かず、つねに明晰な表現を選ぶ。明晰性とシュルレアリスムが両立しないなんて、どこの愚か者が口にした世迷言だろうか。さよう、そんなことはあり得べくもないのである。

私の「隔離」の企ては、どうやらあまり成功しなかったようだ。この私の書評を読んで、巖谷國士の二冊の著書を買おうなどという気を起すヤングがいるとすれば、もう私は形なしである。

幻視者たち―宇宙論的考察  / 巌谷 国士
幻視者たち―宇宙論的考察
  • 著者:巌谷 国士
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(271ページ)
  • 発売日:2003-05-01
  • ISBN:4309961568

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【この書評が収録されている書籍】
澁澤龍彦書評集成  / 澁澤 龍彦
澁澤龍彦書評集成
  • 著者:澁澤 龍彦
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(480ページ)
  • 発売日:2008-10-03
  • ISBN:4309409326

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シュルレアリスムと芸術  / 巌谷 国士
シュルレアリスムと芸術
  • 著者:巌谷 国士
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:-(357ページ)
  • ASIN: B000J8VTX0

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初出媒体など不明

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