書評

『何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ未発表短編集』(新潮社)

  • 2020/01/05
何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ未発表短編集 / アーネスト・ヘミングウェイ
何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ未発表短編集
  • 著者:アーネスト・ヘミングウェイ
  • 翻訳:高見 浩
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(242ページ)
  • ISBN-10:4105079034
  • ISBN-13:978-4105079031
内容紹介:
「海流のなかの島々」、「エデンの園」に次いで嘱望されていた、ヘミングウェイ未発表短編の全貌。真実の文章の創造に生命を賭けた作家は、何を削り、何を残していたのか?ケネディ図書館の“ヘミングウェィ・コレクション”の中から、いま珠玉の七編が甦った。数々の“マッチョ的”伝説からは窺えなかった父親としての苦悩、スペインへの思いと家長たる義務感の相克、そして、あの“スーツケース紛失事件”の痛恨の真相。埋れていた遺稿が明かす、人間ヘミングウェイの新たな魅力。

ヘミングウェイとスペイン内戦

ヘミングウェイの未発表短編集、『何を見ても何かを思いだす』が刊行される(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1993年)。

わたしはヘミングウェイを、基本的に短編ないし中編作家だと思っているので、今度の短編集には大きな期待があった。ましてその中に、スペイン内戦をテーマにしたものが含まれるとなれば、なおさらである。

一読して、期待を裏切られなかったことが分かる。どの作品も、いかにもヘミングウェイらしい乾いた文章と、話を先へ先へと引っ張るテンポのよい会話で、わたしがかつて愛読した初期の作品群と同じ、快い緊張感を与えてくれた。容疑者を護送する刑事と、旅の親子が関わり合う『汽車の旅』、剃刀を巧みに操るポーターが印象的な『ポーター』、愛人同士の奇妙な道行きを描いた『ストレンジ・カントリー』など、いずれも切れ味のよい作品揃いである。とはいえ、わたしがもっとも興味をもって読んだのは、やはりスペイン内戦に材を取った『死の遠景』だった。

しかしそのことに触れる前に、いささか述べておきたい感慨がある。



ヘミングウェイが、スペイン内戦と深い関わりを持ったことは、すでに広く知られるとおりである。

しかしその関わり方について、単なる従軍記者ではなく義勇兵としてファシストと戦った、と考える人が意外に多いように思われる。ヘミングウェイは、内戦の間に前後四回スペインを訪れているが、それはNANA(北米新聞連合)の特派員としてであって、戦いに加わるためではなかった。そのことをはっきり認識しておかなければならない。

すでに有名作家だったため、ヘミングウェイは共和国陣営のどこへ行っても人気者で、大物扱いを受けた。同じように内戦に関わりながら、ほとんど騒がれることのなかったジョージ・オーウェルとは、雲泥の差があった。もっとも、当時のオーウェルはまだ無名の作家にすぎず、しかもスペインへ行ったのは従軍記者としてではなく、一介の義勇兵として反乱軍と戦うためだったから、そもそも立場が違う。

ところで、暴力とはまったく無縁に思えるオーウェルさえ、民兵隊に加わって戦ったというのに、行動力と闘争本能の塊だったあのヘミングウェイが、なぜみずから銃を取ってファシストと戦わなかったのか。これは内戦の研究を始めて以来、ずっとわたしを悩ませ続けてきた疑問の一つである。ヘミングウェイの研究書は数多いが、この問題を正面から論じた本はまだお目にかかったことがない。たいていの場合、ヘミングウェイは銃を撃つよりもタイプライターを打つことによって、より多くスペイン共和国政府に貢献できると判断した、という無難な立場を取る。確かにそのとおりには違いない。しかし射撃や狩猟、闘牛、拳闘といったものへの、ヘミングウェイの強い精神的傾斜を考えるとき、この作家が銃を取って戦わなかったことに、わたしはむしろ奇異の念を覚える。

こうした疑問に答える手掛かりは、ヘミングウェイの非政治性、非政治的志向にあるのではないか、というのが現時点でのわたしの解釈である。そこで試みに、内戦を主題にした長編小説『誰がために鐘は鳴る』を開いてみよう。小説としての出来ばえはともかく、この作品を内戦のレポートとして読む場合、いろいろと役に立つ情報を含んでいる。主人公ロバート・ジョーダンの考え方に、作者自身のスタンスと価値判断が相当程度反映されている、とみられるからである。

この小説をよく読むと、共和国政府に対するかなり批判的な記述が、ジョーダンの長い独白というかたちで、あちこちにちりばめられていることが分かる。あるいはまた、共和国軍のゲリラにつかまったファシストが、次つぎと残酷に処刑されていく過程を、女性ゲリラのピラールに延々としゃべらせる場面がある。これは非人道的な虐殺が、反乱軍の側だけでなく政府軍の側でも行なわれたことを示す、生なましい報告といってよい。さらに、アンドレ・マルティ(国際旅団の責任者)やドロレス・イバルリ(別名ラ・パショナリア、スペイン共産党幹部)など、大物のコミュニストを実名で出し、登場人物の口を借りて痛烈に批判したりもしている。

ヘミングウエイは、事実上コミンテルンの支配を受ける共和国政府と、それを背後で操るソ連政府に対して、かなり強い不信感を抱いていたふしがある。スターリンは、ソ連国内で同志を粛清するばかりでなく、スペインでも同じような手口で、対抗勢力のアナキストやトロツキストを弾圧した。そして共和国政府も、それを見て見ぬふりをした。ヘミングウェイはそのことを承知し、しかも不快に思っていたはずである。にもかかわらず、内戦が続いている間はそれを記事にしたり、公開の場で指摘したりするのを、注意深く避けた。《共和国の大義》を世界に訴えるため、あえて政府内部の足並みの乱れ、醜い権力闘争に目をつぶったのだった。

しかし内戦が終わったあと、『誰がために鐘は鳴る』を書くにあたって、ヘミングウェイは共和国政府やコミュニストに対し、たとえ消極的にせよ批判の筆をふるった。大義が敗れ去ったことで、作家としての冷徹な目を取りもどした、といってもよい。そうした事情もあり、この長編小説は一般にはベストセラーになったが、当の元共和国関係者、なかんずくコミュニストからは黙殺されるか、逆に激しい攻撃を受ける結果を招いた。その事実を知ったフランコ政府が、この小説を反共プロパガンダに利用するため、翻訳を許可したという嘘のような話さえある。

そんな次第で、もしだれかが銃を取って反乱軍と戦おうとすれば、必然的にコミンテルンの支配下にはいるか、あるいはそれと対峙するアナキスト、トロツキストの側にくみするか、二つに一つの厳しい選択を迫られるのが、当時の状況だった。中間の立場というものは、ないに等しい。政治やイデオロギーに対して、むしろ忌避的な立場をとっていたヘミングウェイは、そうした内部抗争に巻き込まれることを嫌って、タイプライターで戦う道を選んだのではないか。 結局ヘミングウェイの本分は文学の側にあり、政治にコミットするタイプの人間ではなかった、ということだろう。



さて『死の遠景』の話にもどるが、この作品はスペイン内戦を題材にした他の短編群、たとえば『密告』『蝶々と戦車』『戦いの前夜』『尾根の下で』などとほぼ同時期の、一九三八年ないし三九年に書かれたものと推定される。ことに『戦いの前夜』と『尾根の下で』は、主人公が記録映画の仕事をしているという点で、『死の遠景』とまったく同じ設定である。『死の遠景』でエドとしか呼ばれない一人称の主人公は、『戦いの前夜』ではエドウィン・ヘンリー(アーネスト・ヘミングウェイと同じ頭文字)と、フルネームを与えられている。したがって、これらの既訳作品と『死の遠景』は、一群の連作短編をなすものと考えてよい。

ヘミングウェイは一九三七年の春、記録映画『スペインの大地』の撮影に協力するため、オランダの映画監督ジョリス・イヴェンスやカメラマンのジョン・ファーノに同行して、方々の前線を回った。そのときのさまざまな体験が、こうした短編群として実ったことになる。ちなみに、『死の遠景』に出て来る《偉物(えらぶつ)》なる人物は、名前こそ明らかにされていないが、イギリスの著名な科学者、J・B・S・ホールデンのことである。ホールデンが鉄兜をかぶり、アメリカの女性ジャーナリストと前線へやって来て、双眼鏡の反射で敵の攻撃を誘発するエピソードは、ハースト系新聞社の特派員ヴァージニア・コールズのルポルタージュ、『紛争を求めて』の中にそっくりそのまま述べられている。そこから考えると、この短編でエリザベスと呼ばれる女性ジャーナリストは、ヴァージニア・コールズをモデルにしたものとみられるが、そこにはヘミングウェイとともにスペインに来ていたマーサ・ゲルホーン(のちのヘミングウェイ夫人)の面影も、当然のように重ね合わされている。J・B・S・ホールデンは、当時公然たる共産党支持者で、毒ガス対策や防空対策を指導するため、共和国側陣営を訪れていた。かなり奇矯な人物だったらしいが、ヘミングウェイがそのホールデンを皮肉っぼく描写している点でも、なかなかおもしろい短編といえよう。

この作品が未発表のままだったのは、そのあたりに原因があったのかもしれない。

【この書評が収録されている書籍】
書物の旅  / 逢坂 剛
書物の旅
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(355ページ)
  • 発売日:1998-12-01
  • ISBN-10:4062639815
  • ISBN-13:978-4062639811
内容紹介:
「掘り出し物」とは、高値のつくべき古本を安く探し出すことではなく、自分一人にとって、掛けがえのない価値のある本と出会うこと。世界一の古書店街、神保町を根城とする名うての本読みが、自信をもってすすめる納得の本、本、本。作品別の索引がついた、絶対に面白い本の読み方、楽しみ方を綴る書物エッセイ。

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何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ未発表短編集 / アーネスト・ヘミングウェイ
何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ未発表短編集
  • 著者:アーネスト・ヘミングウェイ
  • 翻訳:高見 浩
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(242ページ)
  • ISBN-10:4105079034
  • ISBN-13:978-4105079031
内容紹介:
「海流のなかの島々」、「エデンの園」に次いで嘱望されていた、ヘミングウェイ未発表短編の全貌。真実の文章の創造に生命を賭けた作家は、何を削り、何を残していたのか?ケネディ図書館の“ヘミングウェィ・コレクション”の中から、いま珠玉の七編が甦った。数々の“マッチョ的”伝説からは窺えなかった父親としての苦悩、スペインへの思いと家長たる義務感の相克、そして、あの“スーツケース紛失事件”の痛恨の真相。埋れていた遺稿が明かす、人間ヘミングウェイの新たな魅力。

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 1993年10月17日

朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。

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