コラム
バルザック『ペール・ゴリオ』(藤原書店)、バルザック『幻滅』(藤原書店)、バルザック『従妹ベット』(藤原書店) 、ユゴー『レ・ミゼラブル』(岩波書店) ほか
私編パリ文学全集を編集する
一年ほど前、知合いが建て替えのために家を取り壊すので、不要になった子供用百科事典をもらってくれないかといってきた。ちょうど、小学生の次男がそうした百科事典をほしがっていたところなので、これ幸いと受け取りに出かけた。すると、その家の若い奥さんが、ついでだから家にある日本文学全集と世界文学全集も全部もっていってくれないかといった。亡くなった舅(しゅうと)が買ったものだが、新しい家には置く場所もないし、だれも読む者がいないというのがその理由である。見ると、どちらも完全揃(ぞろ)いでほとんど読んだ形跡がない。古本屋に売ったらいいではないかというと、古本屋に問い合わせたところ、いまでは文学全集は、たとえ揃いでも、またタダでも引き取らないと告げられたそうである。もって行ってくれなければゴミとして捨てるほかないというので、それならばと、二つの全集を家にもってかえった。思えば、昭和三十年代から四十年代の初めにかけては、居問の本棚の文学全集が、玄関先のゴルフ・バッグ、サイド・ボードのジョニ黒とならんで、プチ・ブル家庭のステータス・シンボル三点セットだった時代もあった。それがいまでは、文学全集は、「万里の長城」「戦艦大和」並の無用の長物と化している。まさに隔世の感がある。
たしかに、若者はおろか中年も、いや熟年さえも、いまさら教養として文学全集を読む気にはなれないだろう。ありとあらゆるお手軽な娯楽が揃い、物質的な面でなに一つ不自由してはいないのだから、「いかに生くべきか」を考えるために文学全集を繙(ひもと)こうなどと思う人間がいるわけはない。この点は、私とてまったく同じである。
しかし、である。はたして、文学全集は、本当につまらないものだろうか? また、教養や人格形成以外に使い道はないのだろうか? 結論からいえば、これは、偏見に基づく完全な誤解である。その理由はいたってはっきりしている。すなわち、教養や人格形成の手段として「文学全集」なるものを編んだ国は世界でも日本しかないからである。とりわけ、世界文学全集についてはそれがいえる。つまり、外国には「教養」を身につけるために『ボヴァリー夫人』や『戦争と平和』や『白鯨』を読む若者などはいないのだ。そもそも、こんな高級な大人の文学を、十七、八の若僧が読んで解るわけがないではないか。元来古典というのは、ありとあらゆる人生経験を積んだ大人が、対等の読者に語りかけたものだからこそ後世に残ったのである。人生をまだ所有していない若者に教訓をたれるために書かれたのではない。
とするなら、いったん「教養」という枠組を取り払って「世界文学全集」を解体し、個々の作品としてこれを読んでみてはどうだろう。といっても一巻目から順番にとか、国別にというのでは結局同じことになるから、何かしら自分なりの組み替えコードをかぶせたほうがいい。
たとえば、ごく簡単なところで、こんなのはどうか。すなわち、国別ではなく、都市別に世界文学全集を自分で編纂(へんさん)するのである。最近はパリやロンドンなどに十万円そこそこの料金でいけるので、外国の都市に親しんでいる人も多いはずだから、これは思いつきとしては悪くはない。自分の好きな都市を描いた作品を世界文学全集からいくつか取り出してひとつに集めてみれば、その都市の奥行きというものがわかって、旅も一段と興味深いものになるはずだ。
とりあえず、私の専門であるパリ編として、どんなものが考えられるか。まずバルザックの『ゴリオ爺さん』(新潮・筑摩)である。これはタイトルから見るとひどく退屈そうに見える。だれだって「爺さん」の小説を読みたいとは思わない。おそらく文学全集の中でも最も読まれずにいる巻のひとつだろう。ところがこれが大間違い。語のあらゆる意味でこんなに面白い小説はないし、パリについてこれだけ詳細に教えてくれる本もない。第一、主人公はゴリオ爺さんではなく成り上がろうという野心を抱いてパリにのぼった貧乏学生ラスチニャックだから、小説は自動的にお上りさん用のパリ・ガイドになっている。ラスチニャックはパンテオンの裏手の下宿屋に住み、ゴリオ爺さんと出会う。この下宿屋には、謎の中年男ヴォートランも間借りしていて、ラスチニャックはこの男から人生の裏側のメカニズムについて教えられる。この苛酷(かこく)な人生訓だけでも読む価値がある。
いっぽう、ラスチニャックの憧(あこが)れる貴族の邸宅街フォーブール・サン=ジェルマンでは、『赤と黒』(河出他)のジュリアン・ソレルが、令嬢マチルドと「虚栄恋愛」の火花を散らしている。
『ゴリオ爺さん』と同工の、「野心家青年パリにのぼる」の小説としては、同じバルザックの『幻滅』(河出)をお薦めしたい。というのも、これは『ゴリオ爺さん』の続編のような小説で一足先にパリでダンディに成りすましたラスチニャックが同郷の後輩リュシアン・ド・リュパンプレをさんざんいたぶるという構成になっているからだ。背景はチュイルリ公園、パレ・ロワイヤル、グラン・ブールヴァールなど、様々なスポットが登場するので文学散歩するには最適である。もちろん小説としての面白さもダントツでこれを読んだら現代小説なんて馬鹿らしくて読めない。
バルザックのお上り青年が野心満々なのに対し、フロベールの『感情教育』(中公)の主人公フレデリック・モローは、戦う前から疲れたダメ男である。この小説は若いときに読むと、ただうっとうしいだけだが、中年過ぎてから読むと、モロー君の優柔不断な態度に、むしろ親しみを感じる。挫折(ざせつ)した青年のドラマ。パリは全域がカバーされている。
反対に、勝ち逃げのドラマだったら、モーパッサンの『ベラミ』(筑摩・集英社)。こちらは、ベル・エポックのパリ盛り場案内の趣あり。ゾラの『ナナ』(河出)は、娼婦の話なので十九世紀半ばの風俗的パリ・ガイドとして役立つ。
以上がブルジョワのパリであるのに対し、中下層階級のパリはバルザックの『従妹ベット』(河出他)、ユゴー『レ・ミゼラブル』(河出)、ゾラ『居酒屋』(河出他)で味わうことができる。界隈(かいわい)でいえば『従妹ベット』はルーヴル中庭にあったバラック街、『レ・ミゼラブル』はカルチエ・ラタンの裏手、『居酒屋』はモンマルトルの下のグット・ドール、といったように、昔のパリの貧民街が克明に描かれている。ただし、グット・ドールは現在完全にスラム化してしまっているので観光客が足を踏みいれるのは危険である。
ボードレールの『悪の華・パリの憂愁』(筑摩・中公)には具体的記述は少ないが、パリの雰囲気を味わうのには最適。
二十世紀のパリとなると、むしろフランス以外の方が豊富である。ベル・エポックの暗く陰鬱(いんうつ)なパリは、なんといってもリルケの『マルテの手記』(河出)にとどめをさす。一九二〇年代のパリのアメリカ人だったら、もちろんヘミングウェイの『日はまた昇る』(中公)だ。ヘンリー・ミラーの『北回帰線』がどの文学全集にも入っていないのは残念。イギリスからは、エリザベス・ボウエンの『パリの家』(集英社)とジューナ・バーンズの、『夜の森』(同)の二人の女流が描いたパリがいい。ポーランドからは、架空のパリだが、ヤセンスキーの『パリを焼く』(同)などという、変わり種をもってくるのも一興である。第二次大戦前夜ということだったら、当然、レマルクの『凱旋門(がいせんもん)』(河出)である。
いっぽう二十世紀のフランス勢はといえば、ベル・エポックから第一次大戦後までをカバーする、プルーストの『失われた時を求めて』(筑摩)だけでも外国勢に十分対抗できるが、これに、少し昔の新潮文学全集に入っていたジュール・ロマンの『善意の人々』を加えれば鬼に金棒である。穴場狙いの向きにはセリーヌの『なしくずしの死』(集英社)をあげたい。薄汚れたパサージュが実に生き生きと描かれている。さらに、二十世紀のパリを味わうための大穴としては、アラゴンの『お屋敷町』(同)と『死刑執行』(中公)がお薦め。政治的立場がアラゴンと反対のドリュ・ラ・ロシェルの『ジル』(集英社)をあわせて読めばパリばかりか政治の勉強にもなる。変わったところでは、ブルトンの『ナジャ』(中公)と、クノーの『地下鉄のザジ』(同)で、シュルレアリストのパリを楽しむというのも悪くない。女が主人公のパリとしては、コレットの『さすらいの女』とボーヴォワールの『娘時代』が、一巻(中公)になっているので便利だ。
十八世紀以前のパリを知りたいという人のためには、ルソーの『告白』(河出)とディドロ『ラモーの甥(おい)』(筑摩)をあげておく。とくに前者はルソーがパリに着いてあまりの汚さに辟易(へきえき)するところが面白い。
さらに時代をさかのぼって、中世のパリだったら、これはユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』(集英社)以外にない。ルネッサンスの時代ならメリメの『シャルル九世年代記』(中公)か。
以上、すべて既存の世界文学全集の中から作品をあつめてパリ文学全集を編纂してみたが、同じように、ロンドン文学全集、ウィーン文学全集、ペテルブルク文学全集などが可能だろう。あるいは、植民地文学全集などというのもいいかもしれない。
もちろん、都市に限らず、自分に関心のあるテーマで既存の世界文学全集を勝手に編纂し直してみることもできる。たとえば「親と子」というテーマでシェイクスピアの『リヤ王』、ツルゲーネフの『父と子』、ロレンス『息子と恋人』をセットにする。
『ゴリオ爺さん』と『レ・ミゼラブル』もここに入ってくる。
「戦争と革命」のテーマなら、相当多くの候補があがるだろう。ほかに、犯罪・裁判小説の項で『赤と黒』『罪と罰』『異邦人』を一緒に括(くく)ってしまうとか、ようするに何でも好き勝手な編纂ができるわけである。自宅にある一種類の世界文学全集では間に合わないというのであれば、古本屋に出かけてバラで集めればいい。なにしろ、いまでは世界文学全集がセットで何千円という時代なのだから、道楽としては、こんなに金のかからぬものは他にないはずだ。
十万円でパリやロンドンに行き、帰ってきたら、自分で編んだ都市文学全集で思い出に浸る。そして、また出かけて文学散歩を満喫する。老後の楽しみは、もうこれでほとんど決まりである。
注ーー(河出)河出書房世界文学全集 /(新潮)新潮世界文学 /(筑摩)筑摩世界文学大系 /(中公)中央公論世界の文学 /(集英社)集英社世界文学全集
鹿島茂編「パリ文学全集十二選」
①バルザック『ゴリオ爺さん』新潮世界文学
②バルザック『幻滅』河出世界文学全集
③バルザック『従妹ベット』筑摩世界文学大系
④ユゴー『レ・ミゼラブル』河出世界文学全集
⑤フロベール『感情教育』中央公論新集世界の文学
⑥ボードレール『悪の華・パリの憂愁』中央公論新集世界の文学
⑦モーパッサン『ベラミ』集英社世界文学全集
⑧プルースト『失われた時を求めて』筑摩世界文学大系
⑨セリーヌ『なしくずしの死』集英社ギャラリー世界の文学
⑩リルケ『マルテの手記』河出世界文学全集
⑪ヘミングウェイ『日はまた昇る』集英社世界文学全集
⑫ジューナ・バーンズ『夜の森』集英社ギャラリー世界の文学
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