書評

『モノに心はあるのか: 動物行動学から考える「世界の仕組み」』(新潮社)

  • 2018/03/27
モノに心はあるのか: 動物行動学から考える「世界の仕組み」 / 森山 徹
モノに心はあるのか: 動物行動学から考える「世界の仕組み」
  • 著者:森山 徹
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(217ページ)
  • 発売日:2017-12-22
  • ISBN-10:4106038218
  • ISBN-13:978-4106038211
内容紹介:
永年のダンゴムシ研究により、心とは「隠れた活動体」と定義した科学者が、無生物の本質と世界の新しい見方に迫ったユニークな考察。

ダンゴムシにも石にも「心はある」

奇妙な書名だが、なかみは本格的である。文体が柔らかい。凝り固まった自分の生き方が、解きほぐされるような爽快感がある。

本書は大きく三章からなる。第一は、世界のあり方。世界とは《私たちが認識し、また、想像しうるあらゆるモノゴトの集まり》のこと。コーヒーを飲もうとマグカップを手に取った。それは「コーヒーを飲みたかったから」か。そうとも言い切れない。「コーヒー、飲む」のほかにも「カレー、食べる」「音楽、踊る」などの可能性があり、それらが抑制され、この行為が成り立つ。でもその決まり方は不確かで見通せない。「コーヒーを飲みたかったから」はむしろ、行為のあとででっち上げられるのでは。こうして著者は結論する、《私は、多数の行動決定機構を備えるがゆえに、全体として機械にはなりえない、個性、柔軟性、自律性を備える家族的行動決定機構である》と。「家族的」とは、みんなが自由で自立しているのに、全体としてまとまりがあることをいう。

第二は、言葉のあり方。言葉は糸電話のように、話し手の頭のなかみ(意図)を聞き手の頭(理解)に送り込むわけではない。意図も理解も言葉を交わす中であいまいに立ち上がってくる。言葉の意味がはっきり決まっていると思うのは大人の思い込みで、子どもはそれ以前を生きている。言葉とは本来「状況依存型」ではなく、「創発型」コミュニケーションなのだと、著者は言う。

第三は、心のあり方。どんな個物も、置き換え不能な独自性を具(そな)えている。それが心。《心の本質とは、ヒトや動物の個体の行動や構造に、内因性の個別的現象を生じさせること》。人間の場合、それは、潜在化した重層的な行動決定機構である。同様に動物やムシにも心はある。石にさえある。個性があるからだ。

ダンゴムシにも「心がある」と証明した、迷路実験の大略も紹介してある。ダンゴムシへの愛に和む。

ダンゴムシを研究する動物行動学者が、どうして本書を書いたのか。それを説明するため、著者は子どもの頃の思い出を語る。わけもわからず行動し、怪我(けが)をした。そして反省した。自分は覚めない夢を見ているだけで、外の世界は実在しないのではないか。すべては事前に決まっていて、自分は機械仕掛けの自動人形ではないのか。大人は忘れてしまうが、子どもの考えは世界の真相に届いている。世界はなぜ、実在することになっているのか。それは、論証されたからではない。そう考えて生きる、と決めたからだ。

本書の魅力は、世界を生き始めた手さぐりの現場を、そのみずみずしさを保ったまま大人の思索に置き換えていることだ。しかも議論が合理的で、科学的で、実証的。ラカン派の精神分析のような怪しげなところが少しもない。人間や言語の根本条件が深く考察されている。言語学以上の言語学、いや、社会学以上の社会学であると言ってよい。

著者の思索は、自由や権利や正義や、といった「理念」を性急に持ち出して議論を始めてしまう近代主義(モダニズム)を、内側から乗り越えていく射程があるかもしれない。斜にかまえるポストモダンの半世紀を経てわれわれは、近代と再び正面から向き合う場所に立っている。心の出自とその意義をじっくり考えるなら、《私たちは、生きものとモノを、いや、世界のあらゆる対象を、「区別はするけれど、決して差別はしない」という世界観を得ることができるでしょう》。本書をこう結ぶ著者に、心から賛意を送りたい。
モノに心はあるのか: 動物行動学から考える「世界の仕組み」 / 森山 徹
モノに心はあるのか: 動物行動学から考える「世界の仕組み」
  • 著者:森山 徹
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(217ページ)
  • 発売日:2017-12-22
  • ISBN-10:4106038218
  • ISBN-13:978-4106038211
内容紹介:
永年のダンゴムシ研究により、心とは「隠れた活動体」と定義した科学者が、無生物の本質と世界の新しい見方に迫ったユニークな考察。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年3月4日

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