書評
『生存する意識』(みすず書房)
絶望の虚妄なること……「植物状態」は意識がないと即断してはいけない理由
アルゼンチン生まれの哲学者で、今はスペインのバルセロナで教鞭をとっているフェルナンド・ヴィダル教授を日本にお招きして集中講義をしていただいたことがある(中世神学の復活論からB級SF映画を経て最先端の脳科学までを心脳問題の変奏として縦横に考察する彼の議論も日本に紹介されてよいと思う)。そのとき、私も同席して聴講したクラスで、本書『生存する意識』のもとになった医学論文の一つをテキストに学生たちを交えて討論した。
それは、二十三歳で交通事故のために「植物状態」となった女性キャロルのケースをまとめた論文だった(第八章)。意識のない魂の抜け殻として医療者たちから見放されそうになっていたキャロルを、MRIでの特殊な脳スキャン(機能的MRI)にかけて、「テニスをしているところ」や「自宅の中を歩き回っているところ」を想像してみるように告げたところ、研究者の予想通りのパターンの脳活動が記録できた実験だ。つまり、エイドリアン・オーウェン博士らは、キャロルには意識があり、周囲の人々の会話を聞いており、その内容を理解することができ、言われたとおりに行動できる(ただし脳の中だけで)ことを客観的に証明したのだ。
キャロル自身はもちろん、彼女の家族や友人また医療者たちが、どれほどこの結果に力づけられたかは計り知れない。自由にならない身体の中に閉じ込められ誰にも気づかれないことの恐怖と絶望はどれほどのものだっただろう。そんな事態になってもコミュニケーションを可能とする技術が現実に存在しているとただ報道で知るだけでも、同じような状態にある患者さんとその周囲の人々もまた希望を与えられたことはいうまでもない。
私も脳神経内科医かつ神経科学者として、同じ分野でMRIを使った人間の脳活動計測に二十年以上関わってきたので、この論文が出版された二〇〇六年に大きな話題となったことを鮮明に記憶している。専門用語を使うなら、テニスのプレーを想像するのは、ラケットを持った腕を振るイメージを思い浮かべる「運動想像課題」と呼ばれるものだ。自宅の中を歩く想像は、部屋の配置や家具の様子を記憶の中から取り出す「場所記憶再生課題」である。どちらも神経科学の領域ではよく知られている。専門家であれば、脳のどこが活動するかは簡単にイメージできるし、どちらの脳活動パターンがどちらの想像に対応しているかも一目瞭然だ。
やっている実験そのものはありふれた内容なのだが、それを大学生のアルバイト被験者を相手に行うのではなく、植物状態とされた患者さんに臨床応用したアイデアと努力に私も同僚の神経科学者たちも皆が舌を巻いた。
さて、クラスに参加した学生からは、この実験的なMRI検査が植物状態の人々にとって簡単に受けることができるかどうか――とくに費用の面で――という質問がでた。
(現時点での正確な情報は持ち合わせていないが)カナダでは、この検査法の有効性を評価した上で、政府の責任(つまり医療保険)で「植物状態」患者に提供すべきとの議論も出ているらしい。それを聞いて、クラスにいたカナダ人は「隣の米国だったら、『患者には意識の有無の確認のために脳スキャンを受ける権利がある、ただし支払い費用は……』と書かれた書類だけはもらえる」とブラック・ジョークを飛ばしていた。
本書に紹介されている植物状態とされていた人々の物語を読めば、目の悪い人が眼鏡をかけたり足の悪い人が車いすを使ったりすることと、植物状態の人たちが特殊な脳スキャンを受けることとは連続的な支援方法で程度の違いしかない、と感じられる。本当にそうならば、脳スキャンの臨床応用も「障害者に対する合理的配慮」つまり障害者の権利の一つと考えるのが当たり前なのではないか。
ただし、脳スキャンには限界もある。
じつは同業者の目から見れば、こうした研究のあら探しをするのは容易である。もし、交通事故による頭部外傷の影響で、耳が聞こえにくくなっていたり、聞こえても言葉や長い文章が理解できにくくなったりしていれば、オーウェン博士らのやり方では失敗していたはずだ。また、事故のために軽い認知症になって家の様子を忘れてしまっていたら、たとえ意識がはっきりしていても、言われたとおりの脳活動を生み出すことはできなかっただろう。
とくに運動は苦手で方向音痴の私としては、もしキャロルの立場になったとき、「運動想像」するのではなくテニスの試合を見ている想像をしてしまったり、(そう広いわけでもないが)家の中の様子をうまく思い出せず途方に暮れている間に脳スキャンが終了してしまったりすれば、外部に自分に意識があることを伝えられないまま万事休す、になりかねない。
それに近いのは、脳スキャンでは意識があるかどうかわからなかったが後に会話が可能となって大学に通学できるまで回復したフアンのケースだ(第一三章)。こうして自分たちの限界についてもはっきり書いている著者オーウェンの姿勢は、科学者として誠実な態度だと思う。
現時点のテクノロジーで意識がなく回復不可能などと即断して絶望することが虚妄であるのは当然だが、脳スキャンによる解読という希望だけにすがるのもまた虚妄だろう。
意識と脳の謎は未解明なグレイ・ゾーン、まったく不思議だ。
[書き手] 美馬達哉(みま・たつや 立命館大学 先端総合学術研究科)
パブリッシャーズ・レビュー 2018年9月15日
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