解説

『ゲリラ建築――謝英俊、四川大地震の被災地で家を建てる』(みすず書房)

  • 2020/01/10
ゲリラ建築――謝英俊、四川大地震の被災地で家を建てる / 廖 惟宇
ゲリラ建築――謝英俊、四川大地震の被災地で家を建てる
  • 著者:廖 惟宇
  • 翻訳:串山 大
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2020-01-14
  • ISBN-10:4622088630
  • ISBN-13:978-4622088639
内容紹介:
被災地や農村を渡り歩き、住民と協力した家づくりを実践することで「住まい」のあり方を問い直す台湾の建築家・謝英俊の仕事を描く。
台湾の建築家・謝英俊(しゃ・えいしゅん)は、1999年に台湾中部で発生した9・21大地震をきっかけに、自然災害の被災地や貧しい農村地域をわたり歩き、住民と協力した住宅再建を手がけている。それは、協働的な家づくりを通して現代の「住まい」のあり方を問い直そうとする試みでもある。
この国際的な注目を集める建築家による中国・四川大地震後の復興プロジェクトを描いたノンフィクション『ゲリラ建築』の日本語版刊行に際し、市川紘司氏による巻末解説の一部をここにお届けします。

台湾の建築家・謝英俊を、私たちが知るべき必然性

謝英俊は、台湾では現在も大型公共建築の仕事を続けているが、その活動のメインフィールドと言えるのは、基本的には都市ではなくその外側に広がる農村地帯、平常時ではなく自然災害時などの非常時である。とくに中国では農村建設のプロジェクトに多数参与している。「9・21以後」の台湾建築を代表する建築家ではあるのだが、同時にこうした活動形態をとる建築家は中華圏の建築業界に類例がなく、かなり異端的でもある。世界的に見ても稀有な存在だろう。

近年こそ、農村地帯の建築作品が急増している中国現代建築ではあるが、本書が記述する四川大地震の起こった2000年代には、そのようなムードは皆無だった。北京オリンピックが開催されたのは2008年。上海万博の開催が2010年で、この年に中国の都市化率はほぼ50%となった。「農村が都市を包囲する」戦略によって誕生した中国(中華人民共和国)は「都市国家」へと歴史的な転換期を迎えており、建築家たちの仕事も当然ながら急速に拡大する都市に集中していた。実際、2000年代の中国では、不況に悩む島国日本とは対照的な「大陸的」としか形容できないような巨大建築が続々と建てられている。そのような同時代の「景気の良い」都市からは遠く離れて、被災した少数民族集落や農村を活動の主舞台に定めていたという点だけ取り出してみても、謝英俊の特異性は想像がつくのではないだろうか。筆者は2014年に『中国当代建築』(フリックスタジオ)という2000~10年代の中国建築の概況を紹介する書籍を編著したことがあるのだが、謝英俊は位置づけが難しく、結局取り上げなかった(もちろんそれは彼が本来は「台湾の建築家」であるためでもあったが)。

ただし、建築家のプロジェクトという狭いフレームを一旦離れて、中国社会というその総体に目を向けてみれば、2000年代はまさに農村がクローズアップされる時代だったことには注意したい。困窮する「農民」、発展から取り残された「農村」、そして産業効率化のできない「農業」という、いわゆる「三農問題」が、1990年代後半からの経済成長と都市化の急速的進展と反比例するように巨大な社会問題として浮上してきたのである。こうした問題の背景にあるのは鄧小平の唱えた「先富論」、すなわち「先に豊かになれる者から豊かになる」という発展モデルであった。
発展する都市と立ち遅れる農村地帯。この二元的社会構造が強く注目されるとともに、「農」にまつわるテリトリーが社会的援助と救済の対象として認識されるようになったのが2000年代であった。おそらくこのような時代状況が影響しただろう。農村建設や被災地復興をメインに展開する謝英俊の活動は、これまでしばしば「慈善事業」や「人道主義」といったフレームで語られてきた。急成長する都市で跋扈する巨大資本には目もくれず、深刻な社会問題を抱える「農」のテリトリーに果敢に分け入るヒューマニスト──、やや極端に総括すれば、そんな評価である。

もちろんそれは肯定的であることを前提とした評価なのだが、しかし興味深いのは、建築家自身がそうした「人道」的評価を拒絶していることである。
中国の建築雑誌『建築技芸』のインタビュー【*1】のなかで、謝英俊は「人道主義の建築家」と称されることを「一種の誤解だ」と率直に述べている。そして自分のしていることは、あくまでも「建築家」という専門的職能(プロフェッション)に対する「自覚」とその「堅持」に過ぎないのだ、と述べる。すなわち、農村や被災地をフィールドにするのは、それに何らかの人道的意義を感じてのことでは決してなく、「建築家」という職能が社会において果たすべき役割を鑑みればごくごく自然の振る舞いなのだ、という。

前提として押さえなければならないのは中国農村の建築事情である。中国の農村建築は基本的に農民自身が建設してきた。セルフビルドか、みずから職人や労働者の作業現場を監理する。けれど専門的知識を持たないから、そうして建てられる農村建築は、えてして機能的にも構造的にも多くの問題を抱えることになる。だから自然災害がひとたび起こると大きな被害が生まれてしまうのである。
こうした状況に対して、建築家はそのプロフェッションを有効に発揮し得るし、であれば発揮すべきだろう、というのが謝英俊の(ある意味とてもシンプルな)考えにほかならない。建築家として災害復興に取り組むうえで、そのモチベーションが職能的責任意識に由来するのか、非常時における人道的意義に由来するのかは、似ているようでまったく異なるだろう。本書の叙述でも時折顔を出すように、復興プロジェクトが進行中の謝英俊の判断は非常にドライで、ときに冷徹でさえある。被災した農民や農村にべったりと身を寄せることなく、建築家の果たすべき責任領域をきっちり線引きしている。それは被災地/者を憐憫や同情の対象ではなく職能を遂行するフィールドとして捉えているがゆえである。上述したいくつかの建築手法はいずれもこのようなスタンスを明瞭に反映している。たとえば、軽量鉄骨による柱梁の構造躯体は、精度良く頑丈につくる必要があるから専門家の知見や工業化部材を動員するが、充填する壁やインテリアについては集落や民族のカルチャーを最大限尊重し、活かす、というように。

建築家のプロフェッションに対する強い自負心にくわえて、謝英俊が事あるごとに強調するのは、一見「景気の良い」都市の外側に広がっている農村地帯こそがじつは建築業のブルーオーシャンなのだ、という点である。上記『建築技芸』インタビューでも末尾でこのようにコメントしている。「統計によれば、中国には九億人の農民がいて、中国農村で建てられている建築の量は都市の四倍である。それが包含するエリアの巨大さ、建設量の巨大さは、われわれの想像を超えている」。
ここで言う「九億人の農民」とはいわゆる「農村戸籍」を持つ者を指す。数字上の都市化率は50%を超えた中国ではあるが、たしかに実状としては農村と農民が未だ巨大な領域を残す。農村戸籍は全人口の約70%を占める。重要であるのは、そのような巨大なる領域に中国の建築家はほとんどコミットできていなかった、ということである。これは1949年に成立した現中国において、都市では社会主義的な手厚いサーヴィスが提供される一方で、農村は「自力更生」を基本原理とする領域として設定されたことによる【*2】。都市とは異なる社会原理で駆動する農村に介入することは容易ではなく、よって改革開放後の経済成長のなかで実際には都市の何倍ものスケールで建築が建てられているにも関わらず、建築家がこれまで関与できなかったのである。謝英俊の視角にはこれがブルーオーシャンとして映っている。全人口の70%を占める農民みずからがコントロールしてきた農村建築の生産システムに介入し、それをアップデートする設計及び生産手法を建築家として提案できれば、じつは都市以上に「稼ぐ」ことができる──、彼が統計を持ち出してまで強調するのは、そのような一種の起業家的な野心である。

筆者は機会に恵まれて謝英俊と何度か話をしたことがあるが、その際にも上述のような起業家的野心を朗々と語っていたことが印象深い。おそらくそれは、これまで繰り返されてきた人道的評価を向かいに座る外国人が鵜呑みにしないよう牽制するための露悪的なポーズだっただろう。とはいえそのように吐露される野心が単なるポーズであるとも思えない。
建築家の職能的責任意識にもとづき、傍から見れば社会的に意義深い活動をすること。他方では経営者として商売上の成功をおさめること。一見矛盾するかに見えるふたつの目的が謝英俊のなかでは共存する。本書の結論部分でも述べられているように、謝英俊という建築家が放つ魅力は、標準化と個別性、開放性と管理、農村と都市……といった建築や社会が内に持つ矛盾をバランスさせようと、自らの実践において試行錯誤を繰り返している点にある。「社会的であること」と「稼ぐこと」の両取りを目指す姿勢はそうした作家的特徴の最たるものと言えよう。というよりも、その両者が建築の実践においては両立し得ないという、私たちがなんとなく前提として受け入れている思考フレームそのものへの疑い。謝英俊の活動が促すのはそれである。

被災地を含む中国農村を舞台に展開される謝の建築活動は特殊解ではある。けれど、建築家が必要とされる土壌そのものを発見しようとする視点、その土壌を耕すために生産プロセス全体を包括的に再検討する姿勢は、普遍的に参照されるべきものだろう。建築家の社会的役割が問われ、その再設定が求められている東日本大震災以後の日本においては、なおさらである。その意味ではきわめてアクチュアルな建築家である。TOTOギャラリー間で個展を開催した黄聲遠(田中央聯合建築師事務所)やプリツカー賞を受賞したワン・シュウ(業余建築工作室)など、グローバルな注目を集める華人建築家はいまや少なくなく、「建築」の中心地である西洋の外側で培ってきた歴史や技術や文化を多く共有しているぶん、彼らの建築的実践は、いま日本で建築や都市の問題を考えようとするときにさまざまな点で示唆に富む。そのなかでも謝英俊という建築家の存在は、自然災害によるダメージを受けた被災地の復興に深くコミットしながら建築を思考してきた点も含めて、日本にいる私たちが知っておくべき必然性があるはずだ。

【注】
*1  「将建築的権力還給人民:訪建築師謝英俊」『建築技芸』2015年08期、82-90頁。
*2  田原史起『草の根の中国──村落ガバナンスと資源循環』(東京大学出版会、2019年)は、中国農村を政府やコミュニティ、個人といった多元的なアクターが主体的かつ共同する統治システム、すなわち「ガバナンス Governance」の領域として定義する。そしてそれが、政府が一元的に統治管理のためのサービスを提供する「ガバメント Government」の領域としての中国都市とは対照的であることを指摘する。同書ではこの研究視座から、沿岸部の比較的裕福な農村から内陸部のより貧しい農村までを実地調査し、それら農村のガバナンスの手法を「資源」の循環に着目して分析している。

[書き手]市川紘司(建築史/明治大学理工学部建築学科助教)
ゲリラ建築――謝英俊、四川大地震の被災地で家を建てる / 廖 惟宇
ゲリラ建築――謝英俊、四川大地震の被災地で家を建てる
  • 著者:廖 惟宇
  • 翻訳:串山 大
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2020-01-14
  • ISBN-10:4622088630
  • ISBN-13:978-4622088639
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被災地や農村を渡り歩き、住民と協力した家づくりを実践することで「住まい」のあり方を問い直す台湾の建築家・謝英俊の仕事を描く。

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