書評

『サピエンス全史文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社)

  • 2019/06/30
サピエンス全史文明の構造と人類の幸福 / ユヴァル・ノア・ハラリ
サピエンス全史文明の構造と人類の幸福
  • 著者:ユヴァル・ノア・ハラリ
  • 翻訳:柴田 裕之
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(300ページ)
  • 発売日:2016-09-08
  • ISBN-10:430922671X
  • ISBN-13:978-4309226712
内容紹介:
虚構が他人との協力を可能にし、文明をもたらした! では文明は人類を幸福にしたのか? 現代世界を鋭くえぐる世界的ベストセラー!

人類は自らの真の姿を見抜けるか

一九六九年、アームストロング宇宙飛行士たちは月面探検の前にアメリカ西部の砂漠で訓練された。近隣に住むアメリカ先住民部族の老人は彼らが月面探検の旅に出ることを知ると、月に棲(す)む聖霊にぜひとも大切なメッセージを伝えてもらいたいと願い出た。部族の言葉をいくども繰り返し、宇宙飛行士たちに正確に暗記させたという。彼らは基地に戻ると、先住民の意味不明な言葉を理解する人を探し出し、メッセージの訳を頼んだ。訳者は腹をかかえて笑い出し、「この者たちの言うことは一言も信じてはいけません。あなた方の土地を盗むためにやって来たのです」と口にした。

人類らしきものにも異なる人類種が生まれ、やがてユーラシア西部にはネアンデルタール人が姿を現し、二〇万年前には東アフリカに現生人類につながるホモ・サピエンスが出現した。

しかしながら人類は、ライオンが食べ残した肉にハイエナやジャッカルが喰(く)らいつき、その残り物を漁(あさ)る惨めな生物だった。恐る恐る死骸に近づき、骨を割って骨髄をすする。初期の石器はそのために使ったらしい。あまりにも長い間、サバンナにあって恐れと不安でいっぱいだったせいで、今なお人類の心には残忍で危険な反動がひそんでいるという。やがて、火を手なずけた人類は、光と暖、猛獣への武器、調理を手にいれ、ささやかなりとも物事を制御できるようになった。

ところで、かつて他の人類種を忌み嫌ったサピエンスは異種を殺戮(さつりく)したかもしれないと言われていた。だが、近年のDNA鑑定では現代人の一部には数パーセントのネアンデルタール人のDNAが残っており、わずかながらも交雑していたという衝撃的事実が明らかになった。

サピエンスはいかにして人類種として唯一生き延びて来られたのだろうか。この問い掛けが本書の底流をなす。その起点となる七万年前の出来事がある。そのころからサピエンスはアフリカ大陸の外へと拡(ひろ)がり、それとともに認知能力に著しい飛躍が見られたという。危険を知らせる情報伝達ならサルでもできるが、サピエンスは柔軟な言語をもって集団内の噂(うわさ)話をし、親密になる。誰が誰を憎んでいるか、誰と誰が寝ているか、誰が正直で誰がずるいか、それらの話題がはるかに重要だった。

これは認知革命であり、たまたま遺伝子の突然変異が起こったにすぎないという。伝説や神話が紡がれ、神々が崇(あが)められる。サピエンスはライオンを恐れるばかりか「部族の守護霊」に祭り上げた。このような虚構についてまことしやかに語る能力は地球の歴史に異彩を放つ。

それでも、今から一万二〇〇〇年前までは、もっぱら狩猟採集の生活だった。氷河期が終わり温暖化が始まるとともに、植物が栽培され、動物が家畜化される。いわゆる農業革命は人類の富を飛躍的に増大させたというが、著者はこの常識をくつがえす。たしかに食糧の総量は増えたが、人口が増大しただけで、庶民の食生活は劣悪になり、多忙になった。「農業革命は、史上最大の詐欺だった」とまで指摘する。

二〇世紀末に発掘されたトルコ南東部のギョベクリ・テペの遺跡は、イギリスのストーンヘンジより七〇〇〇年も古く、狩猟採集時代末期のものだという。狩猟採集民がまず巨大な記念碑的建造物を建設し、その周りに村落を作り、小麦を栽培し始めたというシナリオすら思い描くことができるのだ。

人類が噂話でまとまる集団は一五〇人が上限になるというから、そもそも人類には大規模な協力ネットワークを築く本能などなかった。そこで、法律、貨幣、神々、国民という類の想像上の秩序が打ち出され、ローマ帝国のような世界帝国すら出現した。その裏には迫害と搾取があったとはいえ、これらの神話と虚構のかげには人工的な本能としての文化が人類に寄りそってきた。

ところが、過去五〇〇年間に、人類は驚異的に飛躍し、人口は五億人から七〇億人に増大した。それ以前、人類は進歩というものを信じていなかった。偉大なる賢人や神々が語らなければ重要ではなかった。だが、人類は突然のごとく無知であることを自覚し、それが科学革命の出発点になる。

科学の探究には莫大(ばくだい)な資金を要するが、投資には未来に対する信用が求められた。アメリカ大陸が発見され、それを征服したいがために、地理、気候、植物相、動物相、言語、文化、歴史について探究が深まる。そこで、科学研究は帝国主義と資本主義を二本柱にして進むしかなかった。

今や月面に足跡を刻むばかりか、ゲノムの解析を通じて新しい生物をも創出する勢いにある。だが、生態系の破壊は進み、地球全体の幸福はなにも考慮されていない。このままではサピエンスは地球を盗んで荒廃させる最も危険な生物でしかない。人類は何を望んでいるのか、その自分の真の姿を見抜けるかどうか。そう警告する著者は若いイスラエル人歴史学者であるが、本書は熟読に値する重さをもっている。(柴田裕之(やすし)訳)
サピエンス全史文明の構造と人類の幸福 / ユヴァル・ノア・ハラリ
サピエンス全史文明の構造と人類の幸福
  • 著者:ユヴァル・ノア・ハラリ
  • 翻訳:柴田 裕之
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(300ページ)
  • 発売日:2016-09-08
  • ISBN-10:430922671X
  • ISBN-13:978-4309226712
内容紹介:
虚構が他人との協力を可能にし、文明をもたらした! では文明は人類を幸福にしたのか? 現代世界を鋭くえぐる世界的ベストセラー!

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2016年10月16日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
本村 凌二の書評/解説/選評
ページトップへ