書評

『ニューヨーク』(集英社)

  • 2018/04/20
ニューヨーク / ベヴァリー・スワーリング
ニューヨーク
  • 著者:ベヴァリー・スワーリング
  • 翻訳:村上 博基
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(630ページ)
  • 発売日:2004-08-26
  • ISBN-10:4087734080
  • ISBN-13:978-4087734089
内容紹介:
世界最高の都市ニューヨークは、いかなる過程を経てつくられたのか。1661年、開港まもないニューアムステルダムに、理髪師にして神業のようにメスを入れる天才外科医の兄と、ハーブから魔法のような薬をこしらえる調薬師の妹が降り立った瞬間、そこで紡ぎだされるすべての物語が動きはじめた…。先住民、移民たちの無数の夢がひしめく世界最高の都市物語。
ニューアムステルダムニ代目総督のピーター・ミニュイットが、先住民族からただ同然でマンハッタン島を買い取ってから三五年後の一六六一年。ルーカス・ターナーとその妹サリーが新天地を求めて彼の地へと移民してくるシーンから始まるこの物語は、世界の中心・ニューヨークの一三〇余年にわたる歴史を、医療に携わり続けた一族六代にわたるドラマを軸に描いた堂々たる大河歴史小説だ。

床屋でありながら外科医としてもいい腕を持つルーカスがマンハッタン島上陸早々に、時の総督の結石を手術で除去する血なまぐさいシーンが用意されているのが、まずは象徴的だ。9・11テロのみならず、多くの血が流され、その犠牲の上に作り上げられた都市がニューヨークであるということ。先住民族との度重なる衝突、逃亡奴隷たちに処せられた残酷な刑罰、独立戦争。それらがもたらした厖大な死者の上に建っているのが摩天楼なのだということを、作者のべヴァリー・スワーリングは史実を下敷きに、しかしエンターテインメントフルに描き出す。

そう、この長い物語は非常にリーダビリティが高い読み物になっているのだ。先住民族の少年に強姦され子を宿すサリー。人妻マリットとの情事に溺れ、愛する女をその家庭内暴力夫から譲り受けるための大金が欲しくて、無能な上に卑しいオランダ人内科医に妹を“売る”ルーカス。生まれた赤ん坊が非情な夫に殺されるのを怖れ、養護院へ預けるよう命じたサリーの言いつけを守らず、ルーカスとマリットの家の前に置く奴隷のヘッチェ。という第三章までに起きる主な出来事が、その後、第一三章そしてエピローグにまで続く壮大な物語の伏線になっているのが巧い。ストーリーが俄然激しい動きを見せるのは第六章以降。ルーカス~ニコラス(先述とおり実は妹サリーの子)~クリストファーときて、ジェネットが登場するようになってからの展開は、第三章までに置かれた伏線が快調に回収され、小気味いいことこの上もないのだ。

女が外科医になれない時代にあって、名外科医である父クリストファーの血を兄よりも濃く受け継いだのか、巧みなメスさばきで貧民窟で苦しむ者のためにこっそり治療を施している、この美しき女偉丈夫ジェネットの魅力たるや! 娼館経営や、先住民族に武器を売る危険な仕事で財をなすユダヤ人大富豪ソロモン・ダシルヴァが魅了されるのもむべなるかな。その上、この章には後の物語の行く末のキーパーソンたる仇役も登場。ジェネットと婚約しながら、彼女に先住民族の血が流れていることを知るや嫌悪を隠せず別れるダメ男ケイレブ・デヴリーがその人だ。かくして、ターナー家vs.デヴリー家という長らく続く確執の種がまかれ、物語はいやがおうにも盛り上がっていく。

と、ここで思い出されるのが、エドワード・ラザファードの『ロンドン』だ。紀元前五四年から一九九七年にかけてのロンドンの街の有為転変を活写。ひとつの都市の歴史を立体的に浮かび上がらせるために、ラザファードが用意した人物は、ざっと三〇〇人を下らない。そうした多勢が織りなす幾層もの物語を、宗教戦争、ペストの流行、宮廷の醜聞劇、ロンドン大火、内戦、新大陸移住、世界大戦などの史実を背景に、神話・政治・文化・科学・技術・経済あらゆる知識を総動員させて描いた、まさにロンドン百科全書というべき小説なのだ。

スワーリング女史の『ニューヨーク』はそのスケールに及ばない。でも、代わりにこの本には、単なる一都市をめぐる歴史小説に終わらせないための重要なサブテーマが仕込まれている。それは医療の発達。代々医術に携わってきたターナー一族の物語を主軸にすることで、この小説はメディカル・ヒストリー・ノベルという貌(かお)も併せ持つことに成功しているのだ。かつて床屋と外科医が同じ教育を受けていたこと、内科医と比べ外科医が軽んじられていたこと、患者は麻酔もなしで手術に耐えなければならなかったこと、天然痘を予防するための接種をイギリス留学帰りの内科医たちはバカにしていたのに、とうの昔から黒人たちにとっては常識だったこと、輸血も同じように忌避されていたこと等々。外科医として優れた人材を生んだターナー家の人々の医師としての活躍を追っていくことで、新世界における医療の発達、その端緒を知ることができるのだ。

最後、新世界の新時代の申し子たらんとする少女がひとつのしゃれこうべを発見する。それが誰のものであるか気づいた時、この長い物語に伴走してきたあなたは、少女が何気なく言い放つ一言を深い感慨なくしては聞けないに違いない。

「人間って、あとになにをのこすかわからないわね」

まさに。それこそを「過去の悪夢に、いや、過去の良き夢にさえ、かまけているひまはなく」「つねにあたらしいものの場」であり続けるニューヨークという街を主人公にしたこの小説は、わたしたちに伝えたかったのではないだろうか。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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ニューヨーク / ベヴァリー・スワーリング
ニューヨーク
  • 著者:ベヴァリー・スワーリング
  • 翻訳:村上 博基
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(630ページ)
  • 発売日:2004-08-26
  • ISBN-10:4087734080
  • ISBN-13:978-4087734089
内容紹介:
世界最高の都市ニューヨークは、いかなる過程を経てつくられたのか。1661年、開港まもないニューアムステルダムに、理髪師にして神業のようにメスを入れる天才外科医の兄と、ハーブから魔法のような薬をこしらえる調薬師の妹が降り立った瞬間、そこで紡ぎだされるすべての物語が動きはじめた…。先住民、移民たちの無数の夢がひしめく世界最高の都市物語。

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初出メディア

青春と読書

青春と読書 2004年9月号

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