書評
『愛蔵版 モリー先生との火曜日』(NHK出版)
慈味溢れる大切な言葉
読書に時あり、つくづくそう思った。ちょうど二十年前、この本を読み終えて、感動的な佳い本だな、と思ったものの、記憶の片隅に追いやられて、そのままになっていた。今回、箱入りの新しい版が世に贈られて、読み始めたら、ページ毎に、心に沁み入る文章に出会えた。当方が老い、かつ、病は違うが、宿痾(しゅくあ)を抱えている身、という条件が、決定的に働いたことは間違いない。ただ、そうした条件の身にとって大切な言葉は、実は、健やかな人、若く老いなど知らない人々にとっても、見過ごしてはならない、大切な言葉なのだと、まことに鈍ながら、思い至ったので、ここに紹介の弁を草する。モリー・シュワルツは大学の社会心理学の教授、著者は学生としてモリーの講義を受講した。基礎条件はそれだけだ。卒業式の際、著者は両親とともに(!)モリー先生に挨拶(あいさつ)をし、ちょっとしたプレゼントを渡した。無欠席だった、ということで、学生としての著者(ミッチ)の先生への思いは読者にも伝わるし、モリー先生も、著者を特別の眼差(まなざ)しで見ていたことが判(わか)る。著者は先生を「コーチ」と呼び、先生もその呼び名が気に入った。飾らない先生は、食事では、口の周りを汚したりするのはしょっちゅう、ミッチはいつも、ナプキンを渡したい、それにきちんと先生をハグしたい、と思っていた。そして実際、ハグと涙での別れ。
著者はその後、気にはなっていたものの、現世での出世に忙しく、いつの間にか、スポーツ・ジャーナリズムの世界で、それなりの地位を獲得し、充実した日々を送っていた。十六年が経(た)ったある晩、テレヴィジョンを見ていた著者は、突然呆然(ぼうぜん)とした。画面に曰(いわ)く「モリー・シュワルツとは誰でしょう?」。
モリー先生は、その十六年の間にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、その運命に従いながら、様々な人生への助言めいた言葉を発表していたことが、その地のメディアの関心を引き、テレヴィジョンでのインタヴュー番組が造られたのだ。ALS、今でも難病中の難病、アメリカでは野球選手ルー・ゲーリッグが侵され、ルー・ゲーリッグ病としても知られる。宇宙論で著名なホーキングもまた、この病の一人とされる。
再会を期してミッチはモリーのもとを訪れる。ミッチの側に、無沙汰の負い目と、性格的な躊躇(ためら)いがあるのに、先生の方は、まるで時間の懸隔などなかったように、率直かつ直截(ちょくせつ)に、愛情溢(あふ)れる対応。「私は死にかかっているんだよ」の言葉。そこから、ミッチは、忙しい身を、火曜日毎にモリーのもとに通って、人生について、先生の「講義」を受けることになる。単位などない、毎回が口頭試問、時々は落ちそうな眼鏡をかけ直す、などの身体的奉仕が必要、卒業式は先生の葬式、最終試験はなかったが、本書こそが、最終論文というわけ。
米国で特に推奨される哲学の伝統のなかに、「人生指南の哲学」とでも訳せるものがある。ギリシャ語の<philosophia biou kubernetes>の訳で、この三語のギリシャ文字の頭文字、ファイ・ベータ・カッパをとって「ファイ・ベータ・カッパの哲学」とも言われる。米国の優秀学生の同窓会が、この三語を付しているのは、そのため。なお「カッパ」に相当する語は、数学者ウィーナーの「サイバネティックス」にそのまま採用されている。モリー先生の「火曜講義」は、まさにこの種の哲学の神髄を究めるものだった。その慈味(じみ)溢れる言葉たちは、ぜひ本書を読んで味わって下さい。(別宮(べっく)貞徳訳)
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