書評
『文化の謎を解く―牛・豚・戦争・魔女』(東京創元社)
タブーを解き明かす大胆な仮説
謎解きは、人をハッとさせる鮮やかさ、意外性が物をいう。その謎は、どんなに小さくとも楽しみがあるが、大きければ大きいほど快感がふくらむ。マーヴィン・ハリスが挑戦したのはいずれも大きな謎である。世の中には触れてはならぬタブーが多くあるが、ハリスはそのなかでも極めつきのタブーの謎解きに挑んだ。たとえば、インドにはたくさんの牝牛がいるのにこれを信仰の対象として決して食べようとはしない。数多くの飢えた人がいるのにどうしてか。また、イスラム教徒やユダヤ教徒は豚をけがらわしいとしてさわるのも嫌だという。どうして豚が駄目なのか。
こうしたタブーは、その社会の宗教的心情や、社会をとりまく文化・心性と結びつけられて理解されてきた。つまり、社会を理解するシンボルとしてタブーはとらえられてきたのであり、タブーそのものの合理的理由を正面から問おうとはしてこなかった。
ところが、ハリスは違う。食に関するタブーならば、そこにはきっと物質的なコストと利益の相関関係があると考えた。
インドの牝牛でいえば、役に立たないのではないとみる。農業用に有用な牡牛を産むばかりか、ワラ・葉・茎・家庭のゴミなどを食べてとても安上がりのうえ、掃除屋にもなってくれる。さらに、牛の糞は貴重な肥料でもある。無用どころか、有用なのであり、小規模でエネルギーレヴェルの低い生産と消費のシステムには適合的である。何よりも資源をめぐって人間と競合するところがない。そんな牛を飢えとともに殺してしまっては、その次に人が飢え死にするであろう。タブーには合理的理由があったのだ。
では、豚嫌いはどうか。乾燥した遊牧地帯は豚の生育に適しないだけでなく、豚は肉以外ほとんど役に立たない。スキもひけず、毛は繊維や布に向かず、ミルクも駄目。しかも、体重を増やすためには、イモや穀物が必要で、人間と直接の競合関係をもつ。豚を飼うことはあまりにもぜいたくなのだ。豚肉への誘惑が大きければ大きいほど、そこに宗教的なタブーが生まれてくる理由がある。
この謎解きを聞いて納得する人も多いだろうが、唖然とする人も多いに違いない。こんな近代人的解釈、唯物論的解釈はけしからんと。事実、アメリカの文化人類学者は、読むのもけがらわしいと反発する。ハリスの「文化唯物論」の主張の挑発性といい、扱う材料のきわもの性といい。
しかし、それにもかかわらず、これらの謎解きはわかりやすく面白い。何よりも、タブーの実態はこんなものであり、タブーから解放されるにはどうしたらよいのか、という実践的な戦略が示されているので説得的である。一般向けに売れるというのも当然であろう(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1988年)。
では、その方法は有効か。これを日本の食の文化を解明するのに使えば、充分に有効と思う。特にアメリカの食の文化について豚から牛へと移っていった文化を探った鮮やかな手法。これを日本に適用すれば、きっと面白い結果が生まれるに違いない。
食わず嫌いはいけません。
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