完璧ではないフェミニストたちの葛藤
<重要なことを成し遂げるためには小さな嘘や犠牲は許されるのか? 現実社会の困難に直面して葛藤するフェミニスト第一世代>
2016年の大統領選挙の結果は、直接的にも間接的にもアメリカの出版業界に大きな影響を与えている。女性蔑視のミソジニストであることを隠そうともしないトランプの勝利により、かえって女性たちが抗議デモや「#MeToo」などで抵抗するようになっている。それについてはニューズウィークの記事でも触れたが、フェミニズムをテーマにした小説も続けざまに出版され、ベストセラーになっている。
ひとつは、女性の抗議デモや「#MeToo」運動を予言したような『The Power』だ。イギリス人作家の作品だが、アメリカでも大ベストセラーになった。
メグ・ウォリッツァーの『The Female Persuasion 』もフェミニズムをテーマにしているが、男女の力関係が逆転して女性が残虐な報復をする『The Power』とは内容もトーンも異なる。
『The Female Persuasion』は、「将来なにかを成し遂げる」夢を抱いて育った少女と、彼女の人生を変えたカリスマ的なフェミニストを描いているが、「フェミニスト小説」である前に、「人の生きざまを描いたドラマ」だ。
労働者階級の町で生まれたGreer(グリーア)は才能も野心もある少女だったが、ヒッピーで放任主義の両親は娘にまったく無関心だった。幼なじみの親友でボーイフレンドのCory(コリー)と同じ大学に進学する計画を立て、どちらもイェール大学に合格したにもかかわらず、親が学費免除の書類をいい加減に記入したおかげでグリーアはイェール入学に行けなくなってしまう。
学費全額免除で行くことになった二流大学で意欲をなくしかけていたグリーアだが、有名なフェミニストFaith (フェイス)の講演を聞き、再び野心を抱くようになった。70年代にフェミニズム雑誌『ブルーマー』を刊行したフェイスは、かつてはグロリア・ステイネムのようなフェミニズムのアイコンだった。
グリーアにフェイスのことを教えたのはもともと親友のZee(ジー)だった。レズビアンで社会運動家のジーは、フェイスのような生き方を夢見ていたが、フェイスが関心を見せたのはグリーアのほうだった。
大学卒業後にグリーアはフェイスにコンタクトを取り、『ブルーマー』の面接にこぎつけるが、その日に雑誌は廃刊になる。だが、フェイスは著名なビリオネアの出資でLoci(ローサイ)という女性のためのフォーラムを設立し、グリーアはそこで働くことになる。
グリーアがローサイでの仕事に生きがいを見出していたとき、プリンストン大学を卒業してマニラで働いていたコリーの家族に悲劇が訪れる。母が事故で弟を轢き殺すという事件で母の精神状態は不安定になり、父は母を見捨てて故郷のポルトガルに戻ってしまう。生活能力を失った母の面倒をみるために、コリーは仕事を辞めて実家に閉じこもる。
グリーアとコリーが高校生の頃に計画した将来は崩壊し、グリーアは仕事に没頭する。その甲斐あってローサイで頭角を現すが、その直後に完璧だと思っていたローサイとフェイスがそうでなかったことを知る......。
『The Female Persuasion』は、読む人の性、年齢、人生経験によって評価が異なる小説であることは間違いない。タイトルの「female persuasion」は、「person of female persuasion(女の種類に属する人)」というユーモアを持って使われた昔の表現から来ていると思うのだが、それにpersuasion(説得力、信念)という意味も含めているのだと思う。このタイトルからも感じるように、読者によって解釈が異なる作品だと思う。
残念ながら読む男性は少ないだろうし、若い女性は「生ぬるいフェミニズム」だと感じるかもしれない。フェミニズムは、それを敵視する人々が想像するような一枚岩ではないのだ。実際に、「読むなら『The Power』のほうを薦める」という意見をいくつか目にした。後に語るが、マイノリティの女性が問題視するところもある。
だが、若い頃からフェミニズムについて関心があった私の年代の女性は、きっと真摯で勇敢な小説だと感じるだろう。なぜなら、フェミニズムの「都合が悪い真実」も隠さずに描いているから。
若いグリーアが誰よりも尊敬し、憧れたフェイス・フランクは、最も有名なフェミニストのグロリア・ステイネムを連想させる存在だ(私はステイネムと会って話したことがあるが、本当に魅力的だった)。トレードマークのスウェードのブーツを履きこなし、若い頃からの美貌を失わず、声を荒げずして主張を通し、人々を魅了する。真っ向からの戦うのではなく、制度の中に入り込んで内部から変えていくことを信じるタイプだ。
そのほうが多くの人々を変えることができるし、長期的には多くの女性を救うことができるとフェイスは信じる。妥協も必要悪だと納得している。「多数を救うためなら少数は犠牲にする」という割り切りもできる人物だ。
そんなフェイスに失望する理想主義者のグリーアも、親友を裏切ったことがある。
フェイスのかつての親友も、大きな矛盾をかかえる女性だ。違法だったときに中絶し、酷い扱いを受けて死にかけたというのに、その過去を隠したまま有名な政治家になり、「中絶合法化反対」のリーダー的存在になる。しかし、女性のこの矛盾した行動は、実社会では珍しいことではない。
フェイスのローサイに出資した男性は、善と悪、本音と建前を持つリベラルだが、ハリウッドから政治家まで、似たような男性は数え切れない。
理想だけでやっていけるほど、この世の中は甘くない。そこをしっかりと語っているところが、ティーンの少女が世界を救う流行りのSFとは異なる。
さらりと描かれているが重要なのが、フェイスが人生を捧げてきた第2世代のフェミニズムへの現代の若いフェミニストからの批判だ。グロリア・ステイネムの世代のフェミニストが戦って人工中絶を合法にしたのに、現代の若いフェミニストはそれらの達成を当然の権利として受け取り、その上で「中流階級の白人女性のフェミニズム」と批判する。それに対する苛立ちは、私の世代以上のフェミニストの女性が共有するものだ。
急進派のフェミニストからの批判は、この小説『The Female Persuasion』にも向けられている。彼女たちは、もっと直接的なフェミニズム小説の『The Power』に共感を覚えるようだ。
しかし、社会を変えようとするときには、これらのどちらか一方ではなく、「どちらも」が活動をするべきではないだろうか。しかし、現実にはなかなかそうはいかず、急進派が「中流階級の白人女性のフェミニズム」を罵倒してパワーを削ってしまうことがある。
2016年の大統領選挙の現場で私が見たのは、若い女性の多くがヒラリー批判のリベラル急進派につくか、無関心かのどちらかを選んだという現実だ。ヒラリー支持の若い女性(特に大学生)はピアプレッシャー(仲間からの圧力)で黙り込むしかなかった。
その結果がトランプ勝利だ。だが私が知る限り、あれほど声高だったリベラル急進派の誰も反省はしていない。
読んでいるときに思ったのだが、フェイスの欠陥は、ヒラリーの欠陥を連想させる。「重要なことを成し遂げるためには、金や権力への妥協も必要」と受け入れている部分だ。
ローサイの資金援助をしていた企業が女性救済事業での失敗を隠蔽していたことが判明したとき、フェイスは「大きな善を成し遂げるためには、小さな犠牲は必要」という態度を取る。そんなフェイスに対し、グリーアはフェイスへの忠誠心と自分の信念の間で悩む。
このときのグリーアの選択がその後の彼女の人生を変えることになるのだが、読者の私たちならどうしただろうか?
「重要なことを成し遂げる」ためには小さな嘘や犠牲を許すべきなのか、不可能に近くても「純粋である」ことを重視してすべてを犠牲にするべきなのか。そういった葛藤は、なにもフェミニズムに限ったことではない。多くの人が人生のいろいろな場面で直面する葛藤だ。
『The Female Persuasion』のテーマはフェミニズムだが、多くの登場人物の生き様を通して近代アメリカ社会を描いているという点で、現代アメリカを代表する文芸小説作家とみなされているジョナサン・フランゼンの作品と似ている。ゆえに、女性小説ではなく、アメリカ社会の歴史的な背景を含む人間観察小説ととらえたほうが、より楽しめるだろう。