幻覚系ドラッグによる宗教的「悟り」は本物か偽物か
<マジックマッシュルームやLSDといった幻覚剤をポジティブに見直す動きがアメリカで出てきたが、その効果を実際に体験してみると......>
マイケル・ポーランは、2006年に刊行した『雑食動物のジレンマ(The Omnivore's dilemma)』が料理界のアカデミー賞と呼ばれる「ジェームス・ビアード賞最優秀賞」を受賞し、複数の大手新聞社で「年間ベストブックス」にも選ばれて一躍有名になったノンフィクション作家だ。『雑食動物のジレンマ』は、「夕ご飯に何を食べよう?」というシンプルな問いかけから始まり、アメリカの食卓にのぼる食品を徹底的に探ったルポ。現代のスーパーではどの季節でも同じ野菜や果物が手に入るし、いわゆる「健康食」もブームだ。しかし、アメリカ人は健康になるより肥満や糖尿病がかえって増えている。
ポーランは、アメリカ人が口にするファストフードやオーガニックフードから工業的農業、有機農業、狩猟採集の食物連鎖をさかのぼり、雑食動物としての人間のジレンマを語る。アメリカ人が口にする食品のほとんどが元をたどればコーン(とうもろこし)だというショッキングな内容や、狩猟やキノコ狩りを自ら体験するところなど、面白くて印象深いノンフィクションだ。
その後も、ポーランは『ヘルシーな加工食品はかなりヤバい(In Defense of Food)』、『フード・ルール( Food Rules)』 など、文化や楽しみのための食事を大切にしつつ、自然なままの食品を摂ることを薦める本を書き続けていた。
ところが、ポーランの新刊『How to Change Your Mind (あなたの意識を変える方法)』は「サイケデリック・ドラッグ」がテーマだという。サイケデリック・ドラッグとは、LSD、シロシビン(マジックマッシュルーム)やヒキガエルから抽出されるDMTなどの幻覚剤のことだ。アメリカを含む多くの国で違法薬物とみなされており、厳しく取り締まられている。ポーランの健全なイメージからは想像できないテーマに驚き、かえって興味を抱いた。
自称「遅れてやってきたベビーブーマー」のポーランは、この本について調査をする前はLSDなどのサイケデリック・ドラッグには興味がなく、若い頃に体験したこともなかったという。そんな彼が、ノンフィクションライターとしての好奇心とプロの距離感を保ちながら書いたのがこの本だ。
幻覚剤を悪者にした張本人とは
マジックマッシュルームやヒキガエルは、古代からシャーマンなどにより宗教体験のために利用されてきた。現在は厳しく規制されている薬物だが、アメリカではタバコやアルコールの依存症の治療薬として有望視され、精神心理の分野でオープンに研究されていた時代がある。
それが一変して現在のようにまともな研究者が話題にすらできなくした張本人としてよく名前が挙がるのが、当時ハーバード大学教授だったティモシー・リアリーだ。
1959年に新進の研究者としてハーバード大学に雇用されたリアリーは、60年の夏に初めてシロシビンを使ったときに、「脳は十分に活用されていない生物学的コンピュータだ。通常の意識は、知識の大海のひとしずくでしかない。この意識と知識は系統的に拡張することができる」という悟りを得た。そして、ハーバード大学を説得して、大学院生を対象にした「実験的な意識拡張」というセミナーを作った。
彼が行った「ハーバード・シロシビン・プロジェクト」の初期の実験は、科学的な研究とは呼び難いものだった。対象は主婦、ミュージシャン、アーティスト、学者、作家、同僚の心理学者、大学院生といった人々で、場所は大学施設ではなく、居間だった。しかも、ムードをかきたてるための音楽とキャンドルライトつきで。そのうえ、実験を客観的に観察すべきリアリーや助教授のリチャード・アルパートたちも一緒にシロシビンを使っていたという。
リアリーとアルパートは引き続き、「幻覚剤が宗教体験を促す」という仮説を証明するためにハーバード神学校の大学院生を対象にした有名な「聖金曜日の実験」を行い、犯罪者の再犯を減らすという仮説を証明するためにコンコード刑務所で囚人を対象にした実験を行った。
だが、方法のずさんさと危険性を懸念する意見が大学の内部からも出ており、それが学生新聞を通じてマスメディアにも広まり、リアリーはハーバード大学での職を失うことになる。
リアリーはその後もヒッピーのグル的な存在としてアレン・ギンズバーグなど多くの著名人とつながり、反戦運動の思想リーダーになり、オノ・ヨーコとジョン・レノンから「ベッドイン」イベントの収録に誘われた。余談だが、ビートルズの「カム・トゥゲザー」は、リアリーがカリフォルニア知事選に出たときの応援ソングとして作られた曲である。
彼だけのせいではないが、リアリーというスター教授の貢献でサイケデリック・ドラッグは悪名が高くなり、まともな研究ができない状態が続いてきた。だが、最近になって、シロシビンやLSDを治療として使う研究が進められているという。
シロシビンやLSDは、現在アメリカで大問題になっているヘロインなどとは異なり依存性がない。潜在的な精神疾患を持っている人は、サイケデリック・ドラッグが発症のトリガーになる可能性があるので禁忌だが、過剰摂取で死亡することもない。かえって、ヘロイン、タバコ、アルコール依存症から抜け出すために非常に有効だという結果が出ているという。
だが、それ以上に多くの興味をかきたてているのが「精神の拡張」や「宗教的体験」だ。マイケル・ポーランが取材した多くの人たちが、自我が解けて大きな世界と融合するような「悟り」の体験をしている。また、末期がんの患者がサイケデリック・ドラッグでの体験により死を恐れないようになり、「本当に大切なのは愛だ」という悟りを開き、1度の体験だけで心の平和を継続できたというケースもある。
もうひとつの大きな動きは、「サイケデリック・ドラッグが、これまでなかった発想を生み出し、クリエイティビティを増加させる」と信じる人達から生まれている。スティーブ・ジョブズはLSDの愛好者だったといわれるが、同じような理由で最近シリコンバレーでの愛用者が増えているという。
しかし、新しい技術や製品を生み出すための起動エネルギーになると信じる人が増えたら、乱用される恐れも出てくるだろう。
ノンフィクション作家としてのポーランの優れたところは、愛好者のポジティブな体験談を鵜呑みにせず、実際に自分で試しているところだ。しかも、異なるセッティングで何度も。マジックマッシュルームを1個全部食べるところでは、読んでいるこちらのほうが心配でハラハラしてしまう。
読者にとっては、悟りを開いた人たちの大絶賛よりも、ポーランの率直な体験談のほうが信頼できるし、興味深く感じる。ポーランは人生を変えるようなスピリチュアルな体験はしなかったが、家族への愛やつながりを確信するような幻覚を体験した。そのポジティブな効果はしばらく続いたが、強い肯定者が断言するように永久に続く悟りのようなものではなかったようだ。
一般人が知らないサイケデリック・ドラッグについてのポジティブな情報が多いが、「だからサイケデリック・ドラッグはすばらしい!」というセールストーク本にはなっていない。最初から最後まで、ポーランは健全な客観性を保っている。だからこそ、『How to Change Your Mind』は、読みごたえがあるノンフィクションになっている。