書評

『TIMELESS』(新潮社)

  • 2018/07/29
TIMELESS / 朝吹 真理子
TIMELESS
  • 著者:朝吹 真理子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(266ページ)
  • 発売日:2018-06-29
  • ISBN:4103284633
内容紹介:
恋愛感情も性関係もないまま結婚をした、うみとアミ。高校時代の教室、広島への修学旅行、ともに歩く六本木、そこに重なる400年前の土地の記憶、たゆたう時間―。ぎこちない「交配」を経てうみは妊娠、やがてアミは姿を消す。2035年、父を知らぬまま17歳になった息子のアオは、旅先の奈良で、桜を見ていた…。待望の芥川賞受賞第一作。

作者にしか書けないアテンポラルな世界

『きことわ』で芥川賞受賞後、七年ぶりの第一作となる長編である。高校の同級生同士の「うみ」という女性と、被爆三世の「アミ」という男性は、恋愛感情も性関係もなく結婚する。アミは好きな相手と子どもをつくるのは怖いが、うみとならば子をなせると感じる。ふたりは子づくりのための無機的な「交配」を繰り返す……。

「TIMELESS」というタイトルを見たとき、これ以上、朝吹真理子らしいコンセプトがあるだろうかと唸(うな)った。デビュー作『流跡』、中編の『家路』、『きことわ』の三作が発表された時点で、私は短い作家論を書いたことがあるが、「朝吹真理子論 アテンポラルな夢の世界」というのがその論のタイトルだった。

atemporalとは、超時間的、無時間的、反時間的……temporal(時間制限のある、一時的な、はかない)の否定語である。「時間の枠に縛られない」、「時間を反故(ほご)にする」、「時間に逆らう」ような状態。「無窮」、「永遠」、「不変」、あるいは逆に「不断の変化」、「無際限の反復」、「果てしない流転」にも繋(つな)がる。始めも終わりも境目もなく、自在に伸縮する時間。朝吹作品の中では、ときに空間もこうした性質を帯びる。

『きことわ』では、夢と現実、過去と未来がとけあい、ときには「ほんのわずかな間に何億もの時間が永遠子の身体を通りぬけて」いく。まさに作中にあるように、「瞬間と永遠とがもつれてふとしたうちに百年千年と経(た)つ」かのような感覚を読者に抱かせるのである。

「TIMELESS」にも、こんな一節がある。「まいにちのきせつのめぐりをかんじるようにこよみという名前をお父さんがつけた」。ここだけがぜんごのぶんしょうとちがってほぼひらがなでかかれている。言葉は文節をなくし、きせつのめぐりは時のなかに融(と)けて無限となるようだ。

先ほど、空間においても同様の現象が起きると書いた。うみが語り手となる第一部では、彼女とアミが友人の結婚披露宴を後にし、六本木に近い西久保八幡宮の近くでタクシーを降りる。目指すのは「我善坊谷」だ。細い路地に入りこむと、一帯には「立入厳禁」の看板の立つ廃屋がつづく。「庭木がネットを突き破り、山茶花(さざんか)、金木犀(きんもくせい)、萩、それぞれ、どの樹木も蕾(つぼみ)をひらきかけている。谷底に向かって落ちこんでゆく傾斜地にいる。さっきからまっすぐ進んでいるはずなのに、いまどこを歩いているのか確信がもてなくなる。(中略)崖を削ったような急な坂をゆく。道をめくれば、その下からまたべつの道があらわれることを体が知っている。鱗(うろこ)のように、一枚ずつ剥(は)がせそうだと思う」

うみ(生物が誕生した海をも連想させる)の体には太古からの層が重なっている。このあたりは約四百年前に江姫が火葬された場所なのだった。現在の六本木に戦国時代、江戸時代の麻布が原が出現する。

第二部では、ふたりの息子で十七歳になった「アオ」が語り手となる。彼には「こよみ」という「姉」がいるが、「ぼくの父が失踪した日に、こよみの父が死した」という論理パズルのような一文が提示される。アオは「うみさん」(うみが実母を「芽衣子さん」と呼ぶように母を名前で呼ぶ)の輸入会社のいわば業務代行人として、高速バスと在来線を乗り継いで京都へ行き、そこで「歩き神に憑(つ)かれたか、桜に誘われたか」しばらく留(とど)まることにする。第二部の大部分は雨に煙る京都での出来事と、アオの頭をよぎる想念や回想だ。

「窓の外をみる。雨のむこうに、桜がみえる。ほんとうに吉野山の桜なのかわからない。花筏(はないかだ)の川が流れている。花なのか白波なのかよくわからない。もう一度いなびかりがする。すぐに落雷の音がする。(中略)窓の外がいっせいに光る。もう一度光ると、雨の代わりに大太刀が降ってくる。するどい切っ先の刃がきりなく地上に降り落ちてゆく」

雨、そして空から降るものは本作の重要なモチーフの一つだ。こよみは古典の授業で「象潟(きさかた)や雨に西施(せいし)がねぶの花」を読んでいて、大きな地震にあった。あるいは、宿題をするこよみの隣でアオは思う。「空から降ってくるもの。天降異物。雨、隕石(いんせき)、雹(ひょう)、雪。かえる、なまず、馬の毛、絹糸、猫。うみさんはむかし糸のような雨が降ってきたことがあったと言ったっけ」。本作では、雨はある意味、糸と同義だ。蚕が桑をはむ音は「雨音」と呼ばれ、「(絹糸が)ほどけて垂れて、空から降って雨になる」。

空からはあらゆるものが降るが、「でも、死は、自然と落ちてこない」。焼夷(しょうい)弾の雨や原子爆弾リトルボーイ。死が落ちてくるとしたら、それは人間が落としている、と言う。

そもそも、うみとアミも降雨時の相合傘によって結びつけられたのだった。空から降るものには、万物に命をもたらし循環する慈雨もあれば、すべてを「殲滅(せんめつ)」させる災いもある。登場人物たちは最後に、冒頭に出てきた我善坊谷の薄(すすき)野原にたどりつく。黄金の野原に白い穂が揺れ、時間は「滞留」し、メビウスの環(わ)のように繋がる。この作者にしか書けないアテンポラルな架空世界である。
TIMELESS / 朝吹 真理子
TIMELESS
  • 著者:朝吹 真理子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(266ページ)
  • 発売日:2018-06-29
  • ISBN:4103284633
内容紹介:
恋愛感情も性関係もないまま結婚をした、うみとアミ。高校時代の教室、広島への修学旅行、ともに歩く六本木、そこに重なる400年前の土地の記憶、たゆたう時間―。ぎこちない「交配」を経てうみは妊娠、やがてアミは姿を消す。2035年、父を知らぬまま17歳になった息子のアオは、旅先の奈良で、桜を見ていた…。待望の芥川賞受賞第一作。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年7月22日

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