書評

『中原中也――沈黙の音楽』(岩波書店)

  • 2018/08/15
中原中也――沈黙の音楽 / 佐々木 幹郎
中原中也――沈黙の音楽
  • 著者:佐々木 幹郎
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:新書(304ページ)
  • 発売日:2017-08-31
  • ISBN-10:4004316731
  • ISBN-13:978-4004316732
内容紹介:
詩人であることの幸福と不幸。近代日本を代表する詩人の、自らへの自負と揶揄、表現者としての存在の不安がみなぎる作品の数々は、どこからきたのか。宿命のように降りてきたのは、雪か、歌か。その歌はどこへ消えていくのか。新発見資料から読み解く、立体的な、まったく新しい中原中也像の誕生。

現役詩人が読み解く詩の生成過程

韻律の微(かす)かな揺らぎをたよりに、佐々木幹郎は中原中也の世界に導く山道を一歩一歩登っていく。同じく歌の樵(きこり)として、詩林の歩き方を熟知しているとはいえ、先達の心の軌跡をたどるのは容易なことではない。ましてや夭折(ようせつ)した詩人の内面世界はつねに深い謎の霧に覆われている。

八十年代の終わり頃、佐々木幹郎は同名の著を世に問うたことがある。中原中也の生涯とその詩作について詳細に論じた名作だが、それから三十年近くの歳月が流れた。その間、詩集の再刊など、中也の魅力を読み解く仕事をいくつも手掛けてきた。新編全集の編集に加わっているあいだに、新しい資料が次々と見つかり、本書はそうした発見を手掛かりに、詩人像の再構築に挑んだものである。

人生の春がついに訪れることはなく、若いうちに孤独な一生を終えた詩人の内面生活を明らかにするのは、決して詩人としての直感のみに頼るのではない。一次資料にもとづくスコラ的な実証は学者が顔負けするほどのものがある。どの作品も創作ノートや日記、校正刷りなどと照らし合わせ、一篇の詩がいかに出来上がるのか、その過程が徹底的に読み解かれている。

小説の言葉は積乱雲のように加速度的に膨張するのに対し、詩の言葉は表現者にとってつねに流星のように須臾(しゅゆ)にして想念の世界を通り過ぎる。その煌(きら)めきの一瞬を捉え、磨きに磨きをかけてようやく出来るのが一つの詩篇である。読者は作品と相対するとき、燦爛(さんらん)たる珠玉のように初めから完璧無疵だと感じがちで、光り輝く宝石がどのような過程をたどって結晶するかには気が付かない。だが、自らも詩を書く佐々木幹郎の目は違う。詩は一気呵成(かせい)に出来る場合はむしろ少ない。詩の言葉は作品として凝固するまで、たえず揺れ動いている。イメージの断片をつなぎ合わせ、草稿の段階から幾度も削りや加筆がくり返される。活字になっても、初出の形態は必ずしも安定しているとは限らない。詩集に組み入れられるとき、字句やリズムの調整があり、また、行の間隔や句読点など符号の表記が変更されることもしばしばある。

『山羊の歌』所収の「いのちの声」は「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。」の一行で終わる。だが、「校正刷本」では「万事」からは改行しており、再校の段階で赤ペンで訂正されている。この些細(ささい)な変更と、余白に残された落書きを手掛かりに、佐々木幹郎は中也の過剰な自意識と、自らの詩作に対する批評を読み出した。「雪」という詩にいたっては、未発表時の形態と刊行時の形を比較し、中也の詩はなぜ「沈黙の音楽」なのか、見事に説いている。詩は書いているときも、書き終わった後も、まるで生きもののように脈打ち、刻々に揺れ動いている。作者が生きている限り、作品は連続性と流動性の渦中にある。この言葉は、おそらく現役の詩人でなければ、導き出されない体験談であろう。

中原中也が亡くなって七十六年経(た)った二〇一三年、友人宛の不思議な手紙が発見された。封筒もなければ、日付もない。しかも、末尾の頁が紛失したらしい。何か奇妙な物語の梗概(こうがい)を語っているようだが、作家も作品名も不明である。ここから推理小説を思わせるような謎解きがはじまり、書かれた時期だけでなく、チェホフの「黒法師」のことが語られていることも突き止められた。芸術のために、世俗的な利得をあえて放棄し、魂の幸福のみ追い続けた主人公の生き方に共鳴した中也の姿はここではっきりと浮かび上がってきた。
中原中也――沈黙の音楽 / 佐々木 幹郎
中原中也――沈黙の音楽
  • 著者:佐々木 幹郎
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:新書(304ページ)
  • 発売日:2017-08-31
  • ISBN-10:4004316731
  • ISBN-13:978-4004316732
内容紹介:
詩人であることの幸福と不幸。近代日本を代表する詩人の、自らへの自負と揶揄、表現者としての存在の不安がみなぎる作品の数々は、どこからきたのか。宿命のように降りてきたのは、雪か、歌か。その歌はどこへ消えていくのか。新発見資料から読み解く、立体的な、まったく新しい中原中也像の誕生。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2017年12月10日

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