書評

『澁澤龍彦の少年世界』(集英社)

  • 2018/08/02
澁澤龍彦の少年世界 / 澁澤 幸子
澁澤龍彦の少年世界
  • 著者:澁澤 幸子
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(254ページ)
  • ISBN-10:4087831078
  • ISBN-13:978-4087831078
内容紹介:
異能の作家・渋沢龍彦の原点は少年時代にあった!!その妹なればこその視線で捉えられた、物知り博士タツオ君の素敵な黄金の日々。

緑なす楽園の時代

昭和十五年十一月十日、首都東京は"皇紀二千六百年祭"で沸き立った。ビルの壁には日章旗と軍艦旗がひるがえり、夜の銀座通りを花電車が走った。きらめくイルミネーションの文字は、「八紘一宇」「天壌無窮」……あの日、小学校六年生の私は、父親に連れられて、皇居前から銀座一帯を、大群集に揉まれながら歩きまわった。

同じく小学校六年生だった澁澤龍彦が、あの日の銀座の、興奮に顔をほてらせた群集の中にいたと考えるのは、ごく自然なことだ。なにしろ当時の澁澤家は、リベラル派の父君にひきいられて、ふだんでも、日曜となれば一家をあげて銀座にくりだし、"梅林"でトンカツを食べ、悠々と"銀ブラ"を楽しむモダン家庭だったのだから。"皇威発揚"のほうはともかく、花電車だけは見ずにはすまされない。東京・山の手の、行楽、遊楽が大好きなお父さんのいる中流家庭。長男の"タツオ君"も、すぐ下の妹の"さっちゃん"も、あの夜の、あの花電車に歓声をあげたことだろう。

昭和十年から十六年まで。これが、澁澤龍彦や私などの小学生時代である。まだ、アメリカ、イギリス相手の死闘は始まらず、銀座も浅草もそれなりに輝いていた。私たちは、いずれ"大東亜共栄圏"の主柱となるべき大切な"少国民"だった。大切にされ、存分におだてられたすえ、やがては特別攻撃隊のほうへ誘導される身ではあったにしても。

澁澤龍彦にとって、少年時代は緑なす楽園だった。父親を戦地に召し上げられることもなく、日常生活にほとんど戦争の害が及んでいなかった上に、肝心の家族が、珍しいといっていいほど相互理解の幸福感に包まれていた。だからこそ、この時期がパラダイスになったのだ。しかも彼はその楽園を、敗戦という激変を経ても、おおかたの文学者のように、決定的に失うような羽目にはならなかった。晩年を迎えるにつれて、昭和十年代は、彼の脳裡でいよいよ緑を深め、輝きを増していった。二十四巻にのぼる彼の全集に、ふしぎなほど"不幸"の影が射していないのも、半分はそのせいだと考えていい。

澁澤自身、五十代になってからのエッセーで、自分の"少年世界"をしきりに語っている。「少年倶楽部」や「巌窟王」にいろどられたその"お兄ちゃん"の日々を、ぴたりと密着して生きた二歳下の妹が、あらためて、ペンで蘇生させた。夕ツオ君だけでなく、家族全員の写真がふんだんに織り込まれていて、"お兄ちゃん"物語を超えた、ある時代のある日本人たちの記録にもなっている。
澁澤龍彦の少年世界 / 澁澤 幸子
澁澤龍彦の少年世界
  • 著者:澁澤 幸子
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(254ページ)
  • ISBN-10:4087831078
  • ISBN-13:978-4087831078
内容紹介:
異能の作家・渋沢龍彦の原点は少年時代にあった!!その妹なればこその視線で捉えられた、物知り博士タツオ君の素敵な黄金の日々。

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初出メディア

初出媒体など不明

初出媒体など不明 1997年頃

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