書評
『澁澤龍彦の少年世界』(集英社)
作風に見えぬ楽園 妹が語る
没後十年、澁澤龍彦はとうとう実の妹さんのペンで、幼年期、少年期を語られることになった。五十歳を過ぎてから、彼は、「玩物草紙」「狐のだんぶくろ」のたぐいのエッセーで、それまでずっと口をつぐんできた自分の生い立ちや小学校時代のことを、のびのびとした筆づかいで書いた。カフスボタンを飲みこんだ話、夢遊病にかかった話、両国国技館での相撲見物の思い出…あの一連の回想ものを好む澁澤ファンは、想像以上にたくさんいるはずである。その一つ一つのエピソードを二歳下の妹さんが、最上の生き証人として、”お兄ちゃん”の文章を引用しながら検証し、補強し、時には訂正し、あらためて私たちに語ってきかせる。ある作家の、文学者らしく幾重にも屈折した幼少年期が語られるのではない。 ”知”と”情”の両面にわたって、毎日が快い刺激でいっぱいの、楽しくて面白くてやめられない子供時代。それが、この”あにいもうと物語”のハイライトだ。
昭和十年代、澁澤家の人たちは、 日曜ごとに連れ立って日劇へ出かけた。銀ブラをした。”梅林”でトンカツを食べた。いまどきのニュー・ファミリーも顔負けの団欒(だんらん)ぶりである。サド侯爵の暗黒小説にあれほど入れあげ た澁澤龍彦の文学が、大根(おおね)のところで、不幸、災厄と縁のない”ハッピー・プリンス”の所産と見えるのは、どうやら彼の幼少年期が楽園だったせいであるらしい。
澁澤栄一、澁澤敬三のような大物を含む一族の系譜も、ことこまかに語られる。龍彦自身が感嘆を隠さなか った曽祖父澁澤宗助にも、かなりのページが割かれている。しかし、今度の本で、評者がいちばん心を打たれたのは、龍彦の父君、澁澤武氏の人柄と言動だ。澁澤龍彦というリベラルな文学者には、かくもリベラルな父君がいた。そのことに、遅まきながら評者は目をみはっている。
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