書評

『胡桃の中の世界』(河出書房新社)

  • 2017/12/16
胡桃の中の世界 / 澁澤 龍彦
胡桃の中の世界
  • 著者:澁澤 龍彦
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(285ページ)
  • 発売日:2007-01-06
  • ISBN-10:4309408281
  • ISBN-13:978-4309408286
内容紹介:
石、多面体、螺旋、卵、紋章や時計に怪物…「入れ子」さながら、凝縮されたオブジェの中に現実とは異なるもうひとつの世界を見出そうとする試み。さまざまなイメージ、多彩なエピソードを喚起しつつ、人類の結晶志向の系譜をたどるエッセイ集。著者の一九七〇年代以降の、新しい出発点にもなったイメージの博物誌。

「奇想」の世界の見聞記 好きなものだけを語るという熱烈なわがまま

刊行者はこの本に「奇想の博物誌」という別名を付している。十年前の澁澤氏の旧著『夢の宇宙誌』と共鳴させる狙いがあっての命名だろうが、よく内容を示しえていると思う(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1974年頃)。まさにこれは奇想の博物誌と称されていい書物なのだ。

澁澤氏はかつて「本を読まずに文章を書こうという怠け者の思想」を採用しないと書いたことがある。澁澤氏は人も知る無類の勉強家であり、また、好きな本だけを大量に読むという明白な才能を持った著述家である。怠け者と縁がないのはいうまでもないとして、文章を書くためにいやいやながら本を読むという物書き一般の悲惨とも無縁の人なのではあるまいか。この『胡桃の中の世界』のあとがきで、著者自身、新著が「幸福の星のもとに生まれたと言ってもよい」と記している。

本の題名になったエッセイ「胡桃の中の世界」は、入れ子のテーマを取りあげて無限というものの人間的な意味を採ろうとした面白い文章である。ミシェル・レリスが『成熟の年齢』のなかで、オランダの商標のついたココアの箱にレースの帽子をかぶった田舎娘の絵が描いてあり、その娘が左手に同じ絵の描かれた同じ箱を持ち、その箱にまた……と無限につづくいわゆる入れ子の感覚について語っているのはかなり有名な話で、知る人も多かろうと思うが、レリスの著書のこの部分に特に鋭く反応したところが、いかにも澁澤氏らしいと私などは考える。澁澤氏はレリスの体験記に「メリー・ミルクというミルクの罐のレッテルに女の子がメリー・ミルク罐を抱いて……」という自分の幼年期の入れ子感覚の体験を重ねあわせる。そしてこのときの「得も言われぬ不思議な感じ」を出発点として、無限の感覚についてきわめて楽しい、博捜のエッセイをくりひろげるのである。その他、プラトン立体、螺旋、紋章、独楽、時計、庭園など、澁澤氏好みの世界が二五〇ページにわたって悠然と展開されている。自然と書物というニ方向にむかって、好奇の眼をひきつづけてきた人物の手に成る奇想の世界の見聞記であり、形而上学的述懐であり、ことさら讃歌らしく装っていないオブジェ讃歌である。博捜の文章にしては少しも冷たい感じがしないのはひたすら好きなものだけを語るという熱烈なわがままのごときものが一貫しているからであり、また、著者が血肉化した一個の思想を持つ人だからである。先にも一部を引いたが、澁澤氏は何年か前友人某氏の著書に寄せた跋文のなかで、その本の著者の思想の核は「アンチ・ヒューマニズムに立脚したユートピア待望の情念」にあり、「人間は変身しなければならず、この世は顛倒されなければならない」というのがその著者の信念だと書いた。これはほとんどそのまま、澁澤氏自身にあてはまる言葉だと思って読んだ覚えがある。人間の変身を希いこの世の顛倒を希うとは、つまりは不可能を志向することであろう。不可能志向者が文筆を握ればいきおい言葉は奇矯となり、激越となる。かつての澁澤氏の文章にはかなりそうした傾きがあったと思うし、現在でも、ひとたびサドに筆が及ぶと澁澤氏の言葉遣いはにわかに激しくなるような気がする。しかし、少なくともこの『胡桃の中の世界』に関する限り、私はむしろ澁澤氏の「雅び」を感じたのだがどうであろうか。著者みずから「幸福の星のもとに生まれた」と称する本である以上、たとえユートピストの述作であっても切迫したいたずらに甲高い文章になるわけはなく、私がこの本の全体にわたって落書きと雅びとを読みとったとしても少しもふしぎはないのだ。何はともあれ抜群に面白い本である。あえて注文をつけるとすれば、もっとペシミズムを! というようなことになるであろうが、著者はペシミストの顔も口調ももうさまにならないんだよというかもしれない。
胡桃の中の世界 / 澁澤 龍彦
胡桃の中の世界
  • 著者:澁澤 龍彦
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(285ページ)
  • 発売日:2007-01-06
  • ISBN-10:4309408281
  • ISBN-13:978-4309408286
内容紹介:
石、多面体、螺旋、卵、紋章や時計に怪物…「入れ子」さながら、凝縮されたオブジェの中に現実とは異なるもうひとつの世界を見出そうとする試み。さまざまなイメージ、多彩なエピソードを喚起しつつ、人類の結晶志向の系譜をたどるエッセイ集。著者の一九七〇年代以降の、新しい出発点にもなったイメージの博物誌。

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初出メディア

初出媒体など不明

初出媒体など不明 時期不明:1974年頃

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