書評

『老人ホーム―一夜のコメディ』(東京創元社)

  • 2018/09/03
老人ホーム―一夜のコメディ / B・S・ジョンソン
老人ホーム―一夜のコメディ
  • 著者:B・S・ジョンソン
  • 翻訳:青木 純子
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:単行本(318ページ)
  • 発売日:2000-11-01
  • ISBN-10:4488016324
  • ISBN-13:978-4488016326
内容紹介:
ありふれた老人ホームの一夜。女性五人、男性三人、計八人の老人と、そして一人の寮母。いつもどおりの夕食と、作業と、お楽しみ会と…。老人たちはそれぞれ、体力も知力もまちまちで、歩けない… もっと読む
ありふれた老人ホームの一夜。女性五人、男性三人、計八人の老人と、そして一人の寮母。いつもどおりの夕食と、作業と、お楽しみ会と…。老人たちはそれぞれ、体力も知力もまちまちで、歩けない人もいれば、痴呆状態の人もいる。周囲の動きに関わりなく、それぞれが自分だけの世界にひきこもって過去を懐かしみ、現在を思い…あるいは何も思わず(?!)…それでも、一夜の時は共通に流れていく。寮母の声に現実に引き戻されて、八人の行動と思考はシンクロし、また離れ…。独立した九章が同時に進行するという実験的スタイルが、老いの真実を、そして人間の真実を、滑稽にあるいは残酷に浮き彫りにする。
へえ~え、こんなにユニークな作家がいたんだ! その名もB・S・ジョンソン。海外文学は翻訳を通じてしか読めないという方の大半にとっては、名前すら聞いたことがない未知の作家ではないだろうか。というわけで、まずは訳者あとがきに沿って、この作家の紹介から始めてみたい。一九三三年、ロンドンに生まれ、六三年から本格的な文筆活動に入ったものの、小説七作、短編集二冊、詩集二冊、戯曲六本を遣し、七三年に自殺。

真っ黒いページを挿入するなど一八世紀末に生まれた実験小説『トリストラム・シャンディ』(岩波文庫)ばりの言葉遊びを駆使した処女作『Traveling People』から、一作ごとに作風を変えたこの生粋のポストモダニストは、当時のイギリス文壇からはほとんど相手にされなかったらしい。が、今になって本国でジョンソン再評価のきざしが見えているのだそうだ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2001年)。それゆえに今回、この『老人ホーム―夜のコメディ』が訳されることになったのだとしたら、語学音痴の海外文学ファンにとって、これほど嬉しいことはない。まあ、読んでみて下さい。驚きますから。これくらい読みやすくて、笑える実験小説もそうはない。

舞台は老人ホーム。そこで、親睦の夕べ――夕食、後かたづけ、合唱、作業、小包ゲーム、歩行運動、車イス騎馬戦、「どんなふうに逝きたいか」についての討論会、演芸会――が繰り広げられている。そのひと時を、八人の老人と一人の寮母、各々の意識と会話の流れで描いているのがこの作品。そんな話どこが面白いのか。通常、ノンブルってページの下にあるでしょ。でも、この本にはページの上にもあるから、まずはそこに注目。九人の登場人物は物語の中で「親睦の夕べ」という同じ時間と出来事を共有しているわけだけれど、作者のジョンソンが、そのシンクロを完壁に成し遂げていることが、ページ上のノンブルで明らかになるのだ。

たとえばセーラ・ラムスンがノンブル九の一七行目で「チャーリー、あれ、一本わけてよ」と煙草をねだると、チャーリー・エドワーズも同ノンブル・同行目で「ノー、セーラ、一本もないよ、知ってるくせに」と応じていて、しかもその前後には、それぞれが心中働かせている互いに対する思惑や非難まで記述されているといった具合。それが、どの人物パートを照合させてもピタリとシンクロしているのだ。これはすごい。作者もすごいけれど、訳者もすごい。これだけきっちり合わせるのは、どれほど大変だったか。

さて、最初と最後に登場する寮母をのぞけば、老人ばかりの意識と会話を追っているだけに、通読するのにこれほど短時間ですむ小説もない。七四歳から九四歳までが年齢順に登場し、ボケの状態も後になるほど悪化していくから、アンカーのロゼッタ・スタントンのパートなんか、ゴシック体で示される会話は皆無、時折意識の中に熟語が浮かぶくらいで、車イス騎馬戦で混乱の極みに陥った後など、気絶でもしたのか、いや、もしや死んでしまったのか、真っ白なページが延々と続くだけ。読むのに時間がいらないわけである。

が、しかし、通読したのち、各パートのシンクロ具合を楽しむという読み方が残されているのだ。この読み方のコツとしては、まずは一人お気に入りのキャラクターを見つけること。わたしの場合は、ロン・ラムスン。深刻な肛門疾患のため、常に激痛に襲われているかわいそうな人物なんだけれど、絶叫ぶりが涙が出るほどおかしくて、おかしくて。で、そのパートを軸に、他のパートを全部照合させてみる。すると、紙の上の言葉の羅列にすぎなかったものが、いきなり3D映像みたいにポリフォニックに立ち上がってくるのである。その新鮮な驚きといったら!

しかし、それにしてもずいぶん作為的な小説だ。よほどの緻密な計算がなければ書かれ得ないのだから。しかも作者のジョンソンは、ダメ押しをするかのように、最後に登場する寮母に「わたしもまた作者の操り人形というか、でっち上げの存在で」と心情を暴露させ、そこまで作者の企みにのって読書を楽しんできた読み手に、冷や水を浴びせかける。なんという意地悪な幕切れか。でも、「書く」「読む」という関係性をクールに突き詰めれば、そこに行き当たるのは必然ともいえる。一九世紀までの小説では、作中いきなり作者が登場して状況説明をやらかしたものだが、二〇世紀に入って小説家は、作為性を巧妙に隠蔽するテクニックを身につけた。だがしかし、作者は厳然と存在するのだ。そして「創っている」という自意識のない作家は、もう圧倒的に古臭いのだ。その問題意識こそを、ジョンソンという作家は同業の士と読者に突きつけているのだと思う。……なんて面倒臭い話は別としても、冒頭で書いたようにとにかく面白い作品だから、絶対に読んでほしい。一冊で九通りもの読み方ができる、そんなお得な小説はめったにないんだから。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

老人ホーム―一夜のコメディ / B・S・ジョンソン
老人ホーム―一夜のコメディ
  • 著者:B・S・ジョンソン
  • 翻訳:青木 純子
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:単行本(318ページ)
  • 発売日:2000-11-01
  • ISBN-10:4488016324
  • ISBN-13:978-4488016326
内容紹介:
ありふれた老人ホームの一夜。女性五人、男性三人、計八人の老人と、そして一人の寮母。いつもどおりの夕食と、作業と、お楽しみ会と…。老人たちはそれぞれ、体力も知力もまちまちで、歩けない… もっと読む
ありふれた老人ホームの一夜。女性五人、男性三人、計八人の老人と、そして一人の寮母。いつもどおりの夕食と、作業と、お楽しみ会と…。老人たちはそれぞれ、体力も知力もまちまちで、歩けない人もいれば、痴呆状態の人もいる。周囲の動きに関わりなく、それぞれが自分だけの世界にひきこもって過去を懐かしみ、現在を思い…あるいは何も思わず(?!)…それでも、一夜の時は共通に流れていく。寮母の声に現実に引き戻されて、八人の行動と思考はシンクロし、また離れ…。独立した九章が同時に進行するという実験的スタイルが、老いの真実を、そして人間の真実を、滑稽にあるいは残酷に浮き彫りにする。

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初出メディア

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- 2001年1月3-17日号

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