動物視線で見分けるうつくしいもの
この物語は、チッチとタータというクマネズミの冒険を描いた『川の光』の続編である。とはいえ、前作を読んでいなくとも、独立した物語として大いにたのしむことができる。大学教授の先生と平穏に暮らしていたゴールデン・レトリーバーのタミーが、あるとき、悪徳動物業者につかまってしまう。東京東部の埋め立て地にある彼らの倉庫には、不正に輸入されたスローロリスやオオアルマジロといった動物たちが、檻(おり)に閉じこめられている。同じように檻に入れられたタミーを、急ごしらえの救出部隊が助けに向かう。救出部隊とは、チッチとタータの兄弟、頭脳明晰(めいせき)な小型犬マクダフ、わがままなジャーマン・シェパードのビス丸、姐御(あねご)肌の雀リル、倉庫からの逃亡に成功したクマタカのキッド。そこに、旅の途中で出会った酔っぱらいのドブネズミ、マルコが加わった七匹である。
物語の主役たちは、動物だ。種類の異なる動物たちが、タミーを助けたい、その一心で、話し合い、知恵を出し合い、恐怖を克服し、さまざまなハプニングと事件に巻きこまれつつ、東京西部から東部へと大移動する。こうした物語を読み慣れていないと、犬がクマタカの逃亡を手伝うことや、ネズミがフリスビーを舟にして川を下ること、それよりもまず、動物が話すこと自体に戸惑うかもしれない。けれどそんなのは一瞬で、救出部隊が喧嘩(けんか)しながらも出発するころには、もう、読み手はすっぽりと物語に入ってしまっていることだろう。そうして読み手である私たちは、人間よりずっと低い動物たちの視線で、彼らとともに長い旅をする羽目になる。
うつくしいものとそうではないものが、善と悪のように明快に分けて描かれている。それを分けるのは正義ではない。もっと感覚的な、本能的なものだ。うつくしいものとはたとえば、晴れた日のにおい、茜(あかね)色の夕空、光る川面、他者を「憐(あわ)れむ」という感情、真の意味での友だち。反してそうでないものとは、夜のない繁華街の空、日の射(さ)さない要塞(ようさい)のような倉庫群、優越感とエゴイズム。七匹の救出部隊とともに東京を横断するさなか、私たちもそうしたものに次々と出会う。それらはときには光景であり、ときには人間であり、ときには人間を模したような動物たちである。出会った瞬間に、私たちは悟る。これはうつくしいものだ、これはそうではない、と。うつくしいものは気持ちがいいし、そうではないものは落ち着かず、気分が悪い。物語に入りこんでしまった私たちの嗅覚が、いつしかシンプルな動物のそれになっているのだ。
次から次へと起きる事件にはらはらし、彼らの出会う、一癖も二癖もある動物たちとのやりとりに笑い、旅につきもののちいさな別れに涙して洟(はな)をかみ、急げ急げ、タミーのところへ急げとつぶやいている。七匹がそれぞれの力と勇気を出し切る場面では、かなしくないのにひとしきり泣き、そして夜の空にとんでもない奇跡をこの目で見て、また泣く。ふだんの、大人の私なら笑わないところで声をあげて笑い、残りのページの薄さを手で確かめながら、早く読みたい、でも読み終わりたくないと願っている。その気持ちが、時間を忘れて何かに夢中になっていた子どものころとそっくり同じで、そのことに驚いた。
ああ、なんとたくさんのうつくしいものに出会ってきたのだろうと満足して本を閉じる。そのうつくしいもののなかに、未知のものに目を見開き、全身でそこに浸っていた、幼い日の完璧な幸福も含まれている。