書評

『孤独の発明 または言語の政治学』(講談社)

  • 2018/10/15
孤独の発明 または言語の政治学 / 三浦 雅士
孤独の発明 または言語の政治学
  • 著者:三浦 雅士
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(550ページ)
  • 発売日:2018-06-30
  • ISBN-10:9784062208802
  • ISBN-13:978-4062208802
内容紹介:
人間の言語能力をめぐる先端科学の画期的転回から日本人の美意識を貫く天台思想まで――人間存在の根源を問い直す刺激に満ちた論考。

「俯瞰する眼」で批評の本質に迫る

博覧強記の語りと批評的感性の力強さには圧倒された。文学評論の幅広い可能性を示すために、専門領域の境目をワープし、文体や修辞の工夫は憎いほど凝らされている。主題の反復や変奏を通して、言語や文学の境界を大きく超え、文字史、宗教史、思想史、ひいては文明史的な哲学思考になっている。

批評精神とは何か。すべてはこの根本的な問いかけから始まっている。いうまでもないことだが、文芸批評の対象は文学であり、芸術である。だが、文芸のことを吟味するとき、言葉という問題は必然的に浮上する。そこで、言語の誕生にさかのぼって考えなければならない。冒頭から日本語の問題が語られるのはそのためである。とりわけチョムスキーの言語理論は著者にとって、文学批評という行為を考えるための、いわば思考の砥石(といし)のようなものである。

チョムスキーといえば、言語生得説がまず思い浮かぶが、著者は違うところにその説の革命性を見いだしている。すなわち、言語はコミュニケーションの手段ではなく、言語使用のほとんどは心の中で起こっていることを示唆したことである。

自問自答や独り言に見られるように、人間は言葉を使うことによって自らの考えを整理する。自分自身に語りかけるとは、すなわち自己の発見であり、自己意識が言語という形で現前することである。私という現象はこうして発生するから、人間は言葉を手にした途端、孤独と隣り合わせになる。

重要なのは、言語によって発見された自己とはすなわち「俯瞰(ふかん)する眼(め)」の獲得である。「俯瞰する眼」は本書において文芸の本質に迫る、重要な分析概念になっている。俯瞰することによって事物や事象を把握するだけでなく、私という認識の主体を外在化して再認識することを可能にする。

さらに、「俯瞰する眼」の存在によって、言語は聴覚に基盤をおくのではなく、視覚に基盤をおいているということも明らかになる。

文学はどのように生まれたかについての説明にも同じ理論が応用されている。すなわち、言語の使用により、人間は生のなかにあってそれを生きながら、同時にそこから離れて超越的に俯瞰する眼を獲得する。俯瞰する眼は、それがさらに俯瞰されることによって回帰する。その反復運動のなかで文学の契機がたえず生起し、美的響応の連鎖反応がくり返される。そして、いうまでもないことだが、批評精神はそもそも俯瞰する眼が俯瞰されるという無限の反復の上に成り立っている。

文学について考えるとき、日本文学を考察の対象にするのは論の展開を説得力のあるものにした。古代の歌謡に自己意識というものがどのような形で現れ、いかなる音階で奏でられていたかが、大岡信の『うたげと孤心』に触れながら論じられている。

大岡という批評の鏡には必然的に折口信夫の影が映し出される。そのあたりからの論述は銀河鉄道の旅に出たジョバンニの遍歴に似てくるが、著者の批評構想にははっきりした一本の線が通っている。白川静の漢字の絵解きにしろ、儒教思想の奴隷性への言及にしろ、あるいは騎馬文化の文明史的意義への脱線にしろ、言語の領域は基本的に視覚の領域であることを論じるためには、いずれもわかりやすい例解になる。

それに対し、袴谷憲昭の天台本覚思想批判や、松本史朗の如来蔵思想批判についての論述は、より重要な美学の法則を導き出すためのものである。すなわち芸術的な感動は宗教的感動と本質的に同じものだという主張である。というのは、感動が言語現象である以上、視覚の領域において生成するからだ。そして、そのような思考の系列において見ると、小林秀雄や井筒俊彦、あるいは丸山圭三郎の思想は一人一人の悟りを問題にしている意味で、「個」の思索に帰着する。それに対し、反対の立場に立っている袴谷や松本、あるいは吉本隆明らは、社会全体の変革を問題にしている。ここで、「個」と「集団」の関係性が浮かび上がってくる。

近代社会の価値の一つとして、誰にも支配されない主体の独立が挙げられる。一方、人間は集団生活が宿命づけられている以上、「個」と「集団」の関係性はあらゆる場面に横たわっている。他者なしでは生きられないし、そもそも他者がいたからこそ、自分という意識が回帰的指示として生まれる。私という現象がある以上、承認をめぐる闘争は構造的に人間存在のなかに組み込まれている。ただ、承認をめぐる通説と違って、赤ん坊の泣き声を例に、過剰の承認要請にひそむ暴力性を見いだしたのはさすがである。

「俯瞰する眼」にしろ、文芸の視覚基盤説にしろ、最終的には「個」と「集団」の弁証法に帰着する。その意味では、山崎正和の社交論を取り上げて締め括(くく)るのは当然であろう。言語の政治学を論じながら、「孤独の発明」という書名をつけたのもそれが無意識に働いた結果と言える。
孤独の発明 または言語の政治学 / 三浦 雅士
孤独の発明 または言語の政治学
  • 著者:三浦 雅士
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(550ページ)
  • 発売日:2018-06-30
  • ISBN-10:9784062208802
  • ISBN-13:978-4062208802
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人間の言語能力をめぐる先端科学の画期的転回から日本人の美意識を貫く天台思想まで――人間存在の根源を問い直す刺激に満ちた論考。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年10月7日

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