後書き

『移民の政治経済学』(白水社)

  • 2018/11/29
移民の政治経済学 / ジョージ・ボージャス
移民の政治経済学
  • 著者:ジョージ・ボージャス
  • 翻訳:岩本 正明
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(240ページ)
  • 発売日:2017-12-23
  • ISBN-10:4560095914
  • ISBN-13:978-4560095911
内容紹介:
移民は商品ではない、生身の人間だ。労働市場に与えるインパクトから財政への影響まで、キューバ移民でハーバード教授が移民をめぐる通説を根底から覆す記念碑的著作。

移民に経済効果はない!?

本書はGeorge J. Borjas, We Wanted Workers, 2016 の全訳である。著者は公共政策の分野で世界をリードするハーバード・ケネディスクールで二十年あまり教鞭をとり、執筆した論文がトランプ大統領の選挙演説にも引用された移民経済学の世界的権威だ。これまで学術書を中心に執筆してきた著者が、初めて一般読者向けに移民の経済的影響を解説した本であり、外国人労働者の活用が身近な問題になりつつある我々日本人にとっても必読の内容となっている。

原題はスイスの作家であるマックス・フリッシュの言葉、“we wanted workers, but we got people instead”(我々が欲しかったのは労働者だが、来たのは生身の人間だった)を引用したものだ。この言葉には移民は単なる労働投入ではなく、我々と同じように生活を営み、経済や政治、社会、文化に様々な経路で影響を与える存在であるという意味が込められている。移民の経済的な影響をきちんと理解するには、彼らを工場の中で働くロボットのような労働者と見なす狭量な視野から抜け出さなければならないという問題意識は、本書の中で繰り返される重要なテーマの一つだ。

例えば、一部の移民支持派の経済学者はあらゆる国境を開放して人の移動を自由にすれば、世界の富は数十兆ドル規模で増大すると主張する。ただ、実際にそれを実現する過程において、数十億人の発展途上国の労働者が先進国に移住する必要があり、そうした民族大移動とも言える規模の移民がもたらす経済的利益は、彼らが「受け入れ国の社会的、政治的、経済的な側面に負の影響をもたらす場合、容易に相殺される」(本書二〇七頁)。まさに移民を人間ではなく単なる労働投入とみなす安易かつ、現実的視点の欠如した学者の空想の分かりやすい例だ。

経済的、人道的理由から、これまで移民を積極的に受け入れてきた欧米諸国の現状を見ると、移民が社会的な摩擦をもたらす存在であることは容易に読み取れる。ある特定の国から移民を大量に受け入れた場合、彼らは一つの地域に集まり、独自の民族居住地区を形成し、受け入れ国の社会に溶け込まないようになる。そうした集団の中では母国から持ち込んだ異質な価値観が代々受け継がれ、受け入れ国の価値観との乖離が大きければ大きいほど、両者の間に生まれる摩擦は大きくなる。

また、社会保障サービスが充実している先進国においては、移民(とその子供たち)が利用する公的扶助の観点も無視できない。本書によると、米国では移民家計の四十六パーセントが何らかの公的扶助を受けているという調査結果もある。少なくとも短期的には、移民は間違いなく財政的に負担となる存在だと著者は結論付けている(長期的には様々な要因に左右されるため、影響を具体的に推定するのが困難だという)。

果たして移民を受け入れることで、受け入れ国の国民の生活は豊かになるのだろうか? 移民政策を考える上で、我々が最も気になるのはこの点だと思う。この質問に対する著者の答えは明快だ。少なくとも短期的には、移民の経済的影響は差し引きゼロ。つまり、移民の受け入れによって受け入れ国の国民全体が享受できる経済的なメリットはほとんどないというのだ。

一方で、「移民は勝者と敗者をつくる」(二一〇頁)。勝者は移民自身と移民を安い賃金で雇用できる企業であり、敗者は移民に仕事を奪われる「特定の分野」の労働者だ。著者の言葉を借りれば、少なくとも経済的観点から言えば「移民とは単なる富の再分配政策」(一三頁)だというのだ。これこそが、著者が数十年に及ぶ移民経済学の研究から学んだ最も重要な視点だという。わかりやすい言葉に直せば、移民受け入れとは企業が笑い、労働者が泣く政策と言えるのではないだろうか。仮に受け入れ国の国民を裕福にすることが移民政策の目標であるならば、正しい移民政策というのは高技能移民のみを受け入れることであるという。

これらの点を踏まえた上で、著者はどのような移民政策を支持しているのだろうか? これまでの論文の中で移民のコストを立証してきたことから、反移民派と誤解されることも多いという著者であるが、米国が単純労働移民の受け入れをやめるべきだとは考えていない。子供のころにキューバから米国に渡り、これまで大きな恩恵を受けてきた立場として、米国には「ほとんど成功の機会のない多くの外国人に希望と新たな人生を提供するという、他国に類を見ない歴史的に重要な役割を担う」(二一五頁)国であってほしいと願っている。つまり、移民受け入れの人道的役割を重視する立場に立つ。そのためにも、移民政策は富の再分配政策だと正しく認識した上で、移民受け入れによる受益者と犠牲者を特定し、受益者の利益が犠牲者に還元される仕組みを政府が構築することが必要だと提言している。

本書のもう一つの読みどころは、著者の学界批判にある。移民研究者の間では「移民の利益を誇張し、損失を矮小化する」(一五頁)傾向にあり、移民は「我々全員にとっていいことだ」という学界の通説を論文が確実に裏付けるよう、社会科学者はあらゆる手段を駆使するという。つまり、移民は善であるという結論がまず最初にあり、その結論が導かれるように学者は前提条件やデータを都合よく操作するというのだ。

第七章や第九章では、いかに研究者がデータを都合よく解釈することで、自分の意見を裏付ける証拠をでっち上げることができるかを分かりやすく例示している。そうしたケースを何度も目にしてきたことで、皮肉なことに一流の経済学者である著者自身が、「数式モデルと統計分析を根拠にすれば、社会政策が科学的に決まるという主張が全く馬鹿げていると感じるようになった」(二〇七頁)というから事態は深刻である。その上で、社会政策を決定する際にはあくまで「イデオロギーと価値観が同様に重要なのだ」(二〇八頁)という著者の言葉は非常に説得力がある。

我が国に目を転じると、世界でも類を見ない労働力人口の減少に直面している。国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の生産年齢人口(十五~六十四歳)は二〇一五年には七千七百二十八万人だったのが、二〇五六年にも五千万人を割り込む見通しだ。急減する労働力を補う存在として、外国人労働者の受け入れ拡大というのは避けては通れない議論だろう。

日本で働く外国人の数はすでに増加傾向にある。厚生労働省がまとめた事業主の届出ベースの数字で見ると、外国人労働者の数は二〇一二年に六十八万二千四百五十人だったのが、二〇一六年には百八万三千七百六十九人に増えている。

五年間で六割近い増加だ。その伸びは加速しており、二〇一六年には前年比で十七万五千八百七十三人(十九・四パーセント)も増えている。関連法案の改正や国家戦略特区の活用で、労働力不足が最も深刻な建設、介護に加え、家事代行サービスの分野で外国人労働者の受け入れをすでに開始・拡大している。

今後の政府の基本方針としては、「高度な知識・技能を有する研究者・技術者をはじめ、情報技術の進化・深化に伴い幅広い産業で需要が高まる優秀な外国人材について、より積極的な受入れを図る」(未来投資戦略二〇一七)ことを打ち出している。具体的には、高度外国人材の永住許可申請に要する期間を現行の五年から最短一年に短縮するなどの政策をこれから実施していく見通しだ。一方で、「移民政策と誤解されないような仕組みや国民的コンセンサス形成の在り方」(同)も検討するとしており、移民という言葉に拒否反応のある世論への配慮もにじませている。

移民政策には常にトレードオフがあり、結局、どのような政策を選ぶのかは我々の価値観や国家観に左右されるというのが本書の結論だ。日本の現状を考えると、外国人労働者の活用は待ったなしの重要課題と言えるだろう。我々は今、先人が経験したことのない新たな時代にすでに足を踏み入れており、先の見通せない大きな分岐点に立っている。本書で得られる教訓が、読者が外国人労働者の受け入れの是非を判断する上で、暗闇の中を照らす一筋の灯になることを願う。

著者のジョージ・ボージャスは一九五〇年にキューバで生まれ、十二歳のときに母親と共に米国に渡った移民一世だ。

コロンビア大学で経済学博士号を取得し、カリフォルニア大学を経てハーバード・ケネディスクールの教授となり、労働経済学の分野で最も権威のあるIZA賞を二〇一一年に受賞している。まさに移民によるアメリカン・ドリームを体現している人物と言えるだろう。彼の詳しい経歴や彼が移民経済学に興味を抱くようになった経緯に関しては、本書の第一章に詳しく書かれている。主著に『労働経済学』(Labor Economics 7th edition, 2015)、『天国への扉――移民政策と米国経済』(Heaven’s Door: Immigration Policy and the American Economy, 1999)、『移民経済学』(Immigration Economics,2014)などがあり、日本語に翻訳されるのは本書が初めてだ。

最後に、白水社の竹園公一朗氏には昨年末に出版した訳書『金融危機はまた起こる――歴史に学ぶ資本主義』に続きお世話になった。私が本書の翻訳を提案すると、並行して多くの企画を抱える忙しい身でありながら、軽やかなフットワークで出版に向けて動き出してくれた。彼の助力なしには本書が世にでることはなかっただろう。深く感謝する。

[書き手] 岩本正明(翻訳家)
移民の政治経済学 / ジョージ・ボージャス
移民の政治経済学
  • 著者:ジョージ・ボージャス
  • 翻訳:岩本 正明
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(240ページ)
  • 発売日:2017-12-23
  • ISBN-10:4560095914
  • ISBN-13:978-4560095911
内容紹介:
移民は商品ではない、生身の人間だ。労働市場に与えるインパクトから財政への影響まで、キューバ移民でハーバード教授が移民をめぐる通説を根底から覆す記念碑的著作。

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