本書はDani Rodrik, Straight Talk on Trade, 2017 の全訳である。著者は言わずと知れた世界を代表するグローバリゼーションの論客であり、本書を手にしている読者の中にも代表作『グローバリゼーション・パラドクス(The Globalization Paradox)』(柴山桂太・大川良文訳、白水社、二〇一三年)を既に読んでいる方が少なくないだろう。本書はここ数年の間に起きた国際社会の大きな変化を踏まえながら、国際貿易を中心に著者の考察をさらに拡張・深化させた内容となっている。
近年の国際社会における最大の事件は、なんと言っても米国におけるトランプ政権の誕生だろう。トランプ大統領は経済のグローバル化、つまり輸入拡大や生産拠点の国外移転、移民流入などによる被害を受けた国内の労働者の不満を巧みにすくい上げることで支持基盤を拡大し、選挙において事前の予想を覆す歴史的な勝利を収めた。つまりトランプ政権の誕生自体が、一九八〇年代以降に加速した経済のグローバル化に対する大衆の反発の大きさを物語る現象の一つと解釈することができる。
結果的には、デマゴーグを体現するトランプ大統領のような人物が支持を集めてしまうほど、米国社会は既存のグローバル化の流れに対して不満を溜め込んでいたと言うことができる。違う視点から見ると、過去の政権は大衆のそうした不満にきちんと向き合わず、誠実に対処してこなかったということだ。著者はかねてからグローバリゼーションと国内政治(有権者)が対立した場合、「最後に勝つのは政治の方だ」と言っていた。トランプ政権の誕生をグローバリゼーションの進展に対する有権者の拒絶と捉えると、まさに著者の予言が的中したのだ。
もちろん、既存のグローバリゼーションの流れを見直そうという国民レベルの動きは米国だけにはとどまらない。欧州連合(EU)からの離脱を決めた英国は、国民投票という民意によってEUの権限拡大と移民の流入にノーを突きつけた。フランスの各地に広がっている黄色ベスト運動も、グローバル化の波に取り残された中間層が鬱積した不満と怒りを吐き出しているという見方ができる。
二〇一九年一月の英誌エコノミストの表紙には、「slowbalisation」という言葉が踊った。文字通り、グローバリゼーションの減速を意味する造語だ。過去三十年間、拡大を続けていたモノと資本の国境をまたいだ移動が減速し始めていることが多くの指標にすでに現れており、グローバリゼーションが逆回転を始めているという内容の特集が組まれている。グローバリゼーションを数十年スパンの大きなうねりとして捉えると、時代はすでに後退期に突入している可能性があるのだ。
トランプ政権の誕生は(自由貿易をいたずらに擁護した)経済学者に責任があるのか? 本書は冒頭でそう問いかけている。著者はそれ自体は否定しているものの、経済学者が経済学の教えにもっと忠実であれば、公の議論や政策立案の場でもっとポジティブな影響力を持つことができ、いまのような国民からの過剰な反発を回避できたはずだという問題意識を持っている。
貿易が両国の経済にとってプラスであるというのは経済学者のコンセンサスだ。自由貿易に反対の立場を取る経済学者はいない。ただ国際貿易の理論をつぶさに見ると、自由貿易が国民全体の厚生を高めるには様々な前提条件を満たさなければならず、所得の再分配効果もあるため受益者(輸出企業など)の利益を被害者(失業者など)に還元する仕組みが必要であることもきちんと示唆されている。ところが経済学者は公の場ではそうしたまわりくどい説明を避け、自由貿易の美点だけを強調する傾向にあった。貿易の負の側面を含めた丁寧な説明を疎かにしたことで誤解が生まれやすい土壌が敷かれ、性急な自由貿易の拡大を助長することにもなり、国民からの過剰な反発を招いてしまったというわけだ。
世界の二大経済大国である米国と中国の間の貿易戦争は、世界経済やマーケットを揺るがす事態にまで発展している。一見すると、トランプ政権による国益重視の行き過ぎた対応に見えなくもないが、必ずしも米国の自国中心主義では片付けられない背景があった。本書によると、中国の対米貿易赤字が米国経済に大きな負の影響をもたらしていることは、実証研究でも裏付けられていたという。中国の輸出拡大によって米国では非常に大きな調整コストと富の分配への影響がもたらされたことは立証されており、一部の産業では十年以上も雇用が低迷して失業率が高止まりした一方、他の産業ではその失業を相殺する雇用の拡大が見られなかったというのだ。
また、中国との貿易には公正にかかわる問題もあった。中国は米国の貿易赤字のおよそ半分を占めるが、トランプ政権は補助金を使った輸出促進や意図的な通貨安政策など中国政府による不公正な貿易慣行が背景にあると訴えている。著者の言葉を借りれば、「グローバリゼーションに反発する国民心理の根っこには、こうした不公平な貿易に対しての懸念がある」のだ。トランプ大統領は中国やメキシコとの貿易に対して国民が感じている不公平感をきちんと見抜き、それを巧みに利用しているというわけだ。
興味深いのは、著者が現状を自由主義と重商主義の対立という構図で捉えているということだ。自由主義的アプローチのロジックでは、貿易に伴う経済的利益は輸入から生じる。仮に貿易赤字に陥り、国内企業の利益や雇用にマイナスの影響があったとしても、輸入品が安ければ消費者の利益が拡大することになるため歓迎すべきだという、経済学者が自由貿易を擁護する際に用いるロジックだ。一方、重商主義は貿易を国内の生産と雇用を支える手段とみなし、輸入よりも輸出の促進を好むという。
著者によると、これまでは米英を中心とした自由主義陣営と中国を中心とした重商主義陣営が世界経済でお互いに共存できた時代だった。ただ、欧米諸国における格差の拡大や中間層の苦境によって、自由主義は深い傷を負ってしまった。先進国において雇用がより重視されるようになったことで、自由主義陣営と重商主義陣営との間には緊張関係が生まれるというのだ。先進国においても重商主義の圧力は強まることが予想され、それは自由主義陣営の中心だった米国が重商主義に改宗しようとしていることからもよくわかる。外交によって力づくで貿易赤字を解消しようとしているトランプ政権の手法は、まさに重商主義路線そのものだ。
先進国を中心に、グローバリゼーションの進展には明確な拒否反応が広がっている。それでは今後、グローバリゼーションはどういった方向に行き着くべきなのか。著者が提示する答えは、国内の民主主義をより重視した、緩やかなグローバリゼーションだ。
グローバリゼーションを擁護するエリートの間では、敗者への補償とグローバル・ガバナンスの強化によって問題を克服しようという考え方が根強いものの、著者はそうしたやり方はうまくいかないと一蹴している。国民の間の民主的熟議を軽視し、国際機関の職員や官僚などのテクノクラートに解決を委ねてしまうと、現在のように民主主義の機能不全とポピュリストの台頭につながるという問題意識を持っているからだ。また、グローバル・ガバナンスの強化は国際機関の権限の強化につながるが、国際機関は容易に特定の利益(輸出を拡大したい多国籍企業、特許を守りたい大手製薬業者など)に利用されるという。
英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、資本主義には国家による経済運営が必要であることを認識していた。「資本主義は一国の中でのみうまく機能するものであり、国同士の経済交流は国内の社会的、経済的契約を過度に侵害しないよう規制しなければならない」。著者のグローバリゼーションに対するスタンスは、この一言に集約される。各国の状況の多様性と政策の自由裁量を求める需要を認識した緩やかなルールこそが現実的なアプローチであり、国内の民主的手続きにより大きな権限を与えれば、グローバリゼーションの効率性と正統性を高めることができると著者は訴えている。
本書は国際貿易以外にも、幅広いテーマ──金融のグローバル化、発展途上国の経済発展、ユーロ圏の問題など──を扱っており、政治学と経済学の立場からいまの世の中を解読する上で格好の良書となっている。いずれの分野にも共通するのは、経済学者が経済学の知見を正しく生かせておらず、結果的に自分たちや経済学の信用を貶める結果を招いているということだ。そのあたりの議論については、『エコノミクス・ルール──憂鬱な科学の功罪(Economics Eules: The Rights and Wrongs of Dismal Science)』(柴山桂太・大川良文訳、白水社、二〇一八年)にも詳しく書かれているので、ぜひ読者には手に取っていただきたい。また、国際貿易に特に関心を持たれている読者は、第一章、二章、五章、九章、十章を重点的に読んでいただきたい。
[書き手]岩本正明(翻訳家)