産業革命が英国に起きたわけ
統計資料に基づいて過去と現在の世界を経済的に比較した場合「いま生きている人の大半は、二〇〇年前よりも昔に生きていたどんな人間よりも裕福になった」という。では、どのようにして世界は豊かになったのか? 著者たちは無数の研究成果を比較検討しながらこの問題を(1)地理(2)制度(3)文化(4)人口(5)植民地などの条件から吟味する。まず(1)地理だが、温帯で平地、海や川に面している立地はモノや人の移動に適する。資源の豊かさも良き条件となる。しかし、これらの条件を満たしていても経済成長に成功しない国もあるから、(1)がすべてではない。
(2)では政治制度が重要。独裁的支配者の国では私企業の資産が没収される危険が伴うので投資が活発化しないからだ。名誉革命後のイギリスが絶対主義のフランスを凌いだ理由もこれで説明できるが、議会政治が経済発展を保証するわけではない。
そこで考察に値するのが(3)の文化である。ウェーバーは宗教と労働倫理の重要性を説いたが、著者たちはむしろ金銭肯定、教育熱心、個人主義の文化などを重視する。とりわけ個人主義が重要である。資本主義の発達には信用が大切だが、個人主義の文化では信用を損なう不正を罰する制度が不可欠となり、これが広範囲の交易を可能にするからだ。中国のような親族ネットワークの文化では「交易は血縁関係にある者に限定され、それらを超えた多くの世界との交易を見送ることになってしまう」。
では(4)人口はどうだろう? マルサスの原理通りに人口が安定していた北西ヨーロッパでは、十八世紀に晩婚化と自発的結婚、核家族化などで人口圧力が弱まり、賃金の高止まりが起こっていたが、しかし、これだけでは産業革命がドイツやフランス、オランダではなくイギリスに起こったことの説明にならない。
(5)植民地の獲得も大西洋に面したヨーロッパ諸国の発展を後押ししたという意味で重要であるが、十七世紀に経済的に発展したのは、スペインとポルトガルではなくオランダとイギリスだった。というわけで、政治制度の問題が再検討される。絶対主義の王国だったスペイン・ポルトガルが衰退したのに対し、制限的政府のオランダ・イギリスが発展を始めたからである。だが、最終的に産業革命はオランダではなくイギリスで起こったのは何ゆえなのか?
著者たちは、ヨーロッパでは、(1)制限的政府(2)大規模な国内経済(3)大西洋経済圏へのアクセスという前提条件の「いくつかを備えていた国はあった。だが、こうした条件のすべてを備えていたのはイギリスだけだった」とした上で、ロバート・アレンが挙げた(4)高い賃金(5)比較的安価なエネルギーというイギリス固有の条件を重視する。またジョエル・モキイアの唱えた「科学上の成果を技術的な熟練で補う」ことのできる「産業的啓蒙主義」という条件はイギリスにだけ備わっていたとし、以上の条件が完璧に揃っていたのがイギリスだったと結論づける。
エマニュエル・トッドの家族人類学への言及がないことと、英仏の比較が極端に少ないのが気になったが、膨大な先行研究を突き合わせてしっかりと吟味した、フェアな世界経済史の総合的案内書。