政治こそが重要なのだ、愚か者!
ブレグジットやトランプの勝利などのショックを受けて世界が揺れ動く中、いまのグローバリゼーションのあり方が政治的にいかに足場が脆いものであるのかを過小評価していたことに、経済学者や政策立案者は気づき始めている。地域や国家のアイデンティティの復興、民主的な制御や説明責任の強化を求める声、中道派政党の拒絶、そしてエリートや専門家に対する不信など、このところ繰り広げられている大衆の反乱は多様でありつつも、各国で共通した形をとっているように見える。こうした反発は予測可能なものだった。市場の規制や安定化、正統化を担う制度の境界を越える経済のグローバリゼーションを推し進めると何が起こり得るのかに関して、私を含めて一部の経済学者は警告を発していた。過度な国際経済の統合は国家の解体につながるリスクがあると、私は二十年も前にすでに書いていた。実際、シームレスに統合された世界市場の創設を意図している貿易や金融の分野でのハイパーグローバリゼーションの推進は、国内社会を分断した。このグローバル化の時代の不安定と不平等に対して何らかの手立てを打とうとしない主流派の政治家の姿勢は、容易な解決策を携えているデマゴーグに政治的に付け入る隙を与えてしまう。二十年前でさえ、そうした展開は容易にわかることだった。当時を代表するデマゴーグはロス・ペロット、パトリック・ブキャナンであり、今日ではドナルド・トランプ、マリーヌ・ルペン、その他大勢だ。
左派の退場
最も驚いたことは、政治的な反応が大きく右に偏ったことだ。欧州では、大きな人気を集めたのはナショナリストや排外主義的なポピュリストであり、左派が台頭したのはギリシャやスペインなど限られた国だけだった。米国では右派のデマゴーグであるドナルド・トランプが共和党のエスタブリッシュメントを押しのけることに成功した一方、左派のバーニー・サンダースは中道派のヒラリー・クリントンの人気を上回ることができなかった。出現している新たなエスタブリッシュメントが総意として認めざるを得ないように、グローバリゼーションはグローバル市場を活用できるスキルやリソースを持つ人々と、持たざる人々との間の階級区分を広げる作用を持っている。人種や民族、宗教に基づいたアイデンティティの分断とは対照的に、所得や階級による分断は伝統的に政治的左派を勢いづかせてきた。ではなぜ、左派はこれまでグローバリゼーションに対してしっかりとした政治的な挑戦を突きつけることができなかったのか?
一つの答えは、移民のインパクトが大きすぎるあまり、ほかのグローバリゼーションの「ショック」があまり目立ってこなかったということだ。全く異なる文化的伝統を持った移民や難民の大規模な流入が国民の間で脅威と受け取られ、アイデンティティの分断を広げた。まさに極右の政治家が利用する絶好の立場にいる状況変化だ。トランプやマリーヌ・ルペンといった右派の政治家が発する国家再建のメッセージが多くの反イスラム象徴主義で彩られているのは特段、驚くべきことではない。
ラテンアメリカの民主国家がわかりやすい比較対象になってくれる。これらの国々は移民ショックというよりは、概ね貿易ショック、対外投資ショックとしてグローバリゼーションを経験する。つまりグローバリゼーションがいわゆるワシントン・コンセンサスの政策や金融の自由化と同義語になるのだ。中東やアフリカからの移民の流入は限られており、政治的にはほとんど目立った問題ではない。つまり、ラテンアメリカ──ブラジル、ボリビア、エクアドル、そして最も問題が深刻なベネズエラ──におけるポピュリストの反発は、左派の形を取っている。
欧州で右派の復活に巻き込まれなかった代表国であるギリシャとスペインも似たような話だ。ギリシャにおいて主要な政治的断層を形成したのは、欧州機関とIMFによって課された緊縮財政策だった。スペインでは最近まで、移民の大半は文化的に近いラテンアメリカ諸国から来ていた。いずれの国でも、ほかの国とは違って右派が力を蓄える温床がなかったのだ。
ただラテンアメリカと南欧の経験は、おそらく左派が抱えるより深刻な弱みを明らかにしている。彼らは二十一世紀に向けて資本主義とグローバリゼーションを再構築するための明確なプログラムを持っていないのだ。ギリシャの急進左派連合(SYRIZA)からブラジルの労働者党まで、左派は所得移転などの改善策を超えた、経済的に健全でかつ政治的に人気を集めるアイデアを考え出すことができなかった。
その責任の大半は、左派の経済学者とテクノクラートにある。そのようなプログラムを考え出すことに貢献するどころか、あまりにも容易に市場原理主義に主役の席を譲り、彼らの中心的な信条を受け入れた。さらに悪いことに、極めて重要な時期にハイパーグローバリゼーション運動を主導したのも彼らだった。
おそらくここ数十年間のグローバル経済の命運を最も大きく左右することになった決断は、自由な資本移動──特に短期の移動──を主要な国際機関(EUやOECD、IMF)の政策ノルマに加えたことだ。ラウィ・アブデラルが明らかにしたように、一九八〇年代後半と一九九〇年代前半には自由市場イデオロギーの信奉者ではなく、フランスの社会党と緊密と連携していた(欧州委員会の)ジャック・ドロールや(OECDの)ヘンリー・シャブランスキといったフランスのテクノクラートがその取り組みの陣頭指揮を取っていた。同様に米国でも、金融の規制緩和を主導したのはケインジアン寄りで民主党との関係が深かったローレンス・サマーズなどのテクノクラートだった。
フランスの社会党のテクノクラートは、一九八〇年代初頭のミッテラン大統領のケインズ主義の実験の失敗を受けて、政府による国内の経済運営はもはや不可能であり、金融のグローバル化に代わる道はないと結論づけたようだ。でき得る最善のことはドイツや米国などの強国が自分たちのルールを押し付けるのを黙認せずに、欧州全体のルールやグローバルなルールを策定することだというわけだ。
明るいニュースは、今では左派の知の空白は埋められ、「代替策はない」という横暴を信じる理由はもはやない。左派の政治家は経済学の「立派な」学術的援護を日に日に頼ることができるようになっている。
いくつかの例を見てみよう。アナット・アドマティとサイモン・ジョンソンは抜本的な銀行業の改革を主張し、同業界が抱える「大きすぎて潰せない」という問題が起こるのを防ぐような中身となっている。トマ・ピケティとトニー・アトキンソンは、国内の格差に対応するためのありとあらゆる政策を提案した。その中には、資産課税や技術革新をより労働者に優しいものにするためのルールなどが含まれている。マリアナ・マッツカートとハジュン・チャンが書いた論文では、社会的包摂を考慮したイノベーションを促進するために公的部門が果たせる役割について、洞察力に満ちた提案がなされている。ブラッド・デ・ロングとジェフリー・サックス、ローレンス・サマーズ(金融の規制緩和を主導したのと同じサマーズだ!)の三人は、インフラやグリーン・エコノミーに対する長期的な公共投資を支持する主張を展開した。ジョセフ・スティグリッツとホセ・アントニオ・オカンポは、発展途上国の影響力を高めるためにどのようにグローバル経済を改革すべきかを提案しており、本書の提案を補足する中身となっている。左派から計画的な経済対策を策定するための十分な中身が今ではそろっているのだ。
右派と左派との間には決定的な違いがある。右派は社会における分断──「我々」対「彼ら」──の拡大を栄養源にして成長する。一方で、左派はそうした分断の間の橋渡しをする改革を通じて、分断を克服する(成功した場合の話だが)。ここでパラドクスが生じる。つまり、左派を発信源とした過去の改革の波——ケインズ主義、社会民主主義、福祉国家——は資本主義を窮地から救ったと同時に、実質的に自分たちを社会にとって不要なものにしてしまった。ただ左派が新たな対応策を発信しなければ、ポピュリストや極右グループが勢いを増すための大きな隙が残ることになる。彼らが──いつもそうしてきたように——世界をさらなる分断とさらに頻繁な争いへと導くことになるのだ。
怒りの政治
歴史は繰り返さないが、それでも歴史の教訓は重要だ。第一次世界大戦の数十年前がそのピークだったグローバリゼーションの第一時代は、最終的には今よりも深刻な政治的反発をもたらしたことを忘れてはならない。ジェフリー・フリードマンによると、金本位制の最盛期には主流派の政治家や官僚は国際的な経済連携を優先していたため、社会改革と国家のアイデンティティを後回しにしなければならなかった。戦間期には、そうした政府のやり方に対して国内の対応は二つに分かれたが、いずれも破滅的なものだった。社会主義者と共産主義者は社会改革を選択し、ファシストは国家の再興を選んだ。いずれの道もグローバリゼーションから距離を置き、経済的な閉塞(もしくはさらに悪い方向)へと突き進むものだった。
今回の反発は、おそらくそこまで極端な状況には至らないだろう。グレート・リセッションとユーロ危機に伴う経済の混乱は大きな被害をもたらしたが、世界恐慌に比べるとそこまで深刻なものではなかった。先進国の民主国家は失業保険、退職年金、家族手当などの形で広範囲に及ぶ社会のセーフティネットを構築し、(近年は後退しているものの)今でも維持している。また、世界経済には第二次世界大戦前には存在していなかった大きな役割を果たせる国際機関──IMFやWTOなど──も待機している。グローバルな規模のバリューチェーンが構築されたことで、経済の統合の継続を求める強力な財界のロビー活動はしっかりと確立され、ドナルド・トランプのような本能的な保護主義者ですらその壁を打ち破るのは難しいだろう。大事なことを言い忘れていたが、ファシズムや共産主義などの真の過激主義的な政治運動はすでに国民からの信頼を概ね失っている。
それでも、ハイパーグローバル化した経済と社会の結束との間の衝突はリアルなものであり、その衝突を無視している主流派の政治エリートは大きな危険を冒している。財やサービス、資本の市場が国際化したことで、そうした国際化を活用できるコスモポリタンで専門性があり、かつスキルのあるグループとそうではない人々との間に鋭い楔が打ち込まれている。その過程において、二つの異なる種類の政治的分断がその溝を深めている。国籍や民族、宗教を軸としたアイデンティティによる分断と社会階級を軸とした所得による分断だ。ポピュリストはいずれかの分断を利用することで人気を集めているのだ。トランプなど右派のポピュリストはアイデンティティの政治を繰り広げている。バーニー・サンダースなど左派のポピュリストは富裕層と貧困層との間の分断を重視している。
いずれのケースにおいても、怒りの矛先となる明確な「他者」の存在がある。家計をやりくりするだけでも精一杯? あなたの仕事を奪ってきたのは中国人です。犯罪に腹を立てている? ギャングの抗争を米国に持ち込んでいるのはメキシコ人などの移民です。テロリズム? もちろんイスラム教徒が原因です。政治の腐敗? 大手銀行が我々の政治の資金源になっているこの時代に何を期待しているのですか? 主流派の政治エリートとは違い、ポピュリストは大衆の病理の原因となる容疑者をすぐに名指しできるのだ。
もちろん、この間ずっと政権の舵取りをしてきただけに、エスタブリッシュメントの政治家は面目を失っている。彼らの中心的なナラティブからは無為や無力の心情が見え隠れし、彼らはそれに縛られて身動きが取れなくなっている。彼らのナラティブは、賃金の低迷と格差の拡大を制御不能なテクノロジーの力の責任にし、グローバリゼーションとそれを支えるルールを変えられない不可避なものとして捉えているのだ。そのナラティブが提供する教育やスキルへの投資といった処方箋も、即効的な効き目はほとんど見込まれず、せいぜい実を結ぶのはこれから数年後だ。
実際、今の世界経済の形は各国の政府が過去に下してきた明確な決断が生み出したものだと言える。GATTでは立ち止まらず、さらに野心的──で介入的──なWTOを創設するというのがその決断の一つだった。同様に、我々がTPPやTTIPなどの巨大な貿易協定を締結するのかどうかが将来のそうした選択になる。
金融の規制緩和をし、国境を越えた資本移動の完全な自由化を目指したのも政府の選択だった。そして同じように、大規模な世界金融危機を経験したにもかかわらず、これらの政策にほとんど手を加えないと決めたのも政府の選択だ。故アンソニー・アトキンソンが不平等を題材とした彼の名著で改めて気づかせてくれたように、テクノロジーの変化さえも政府機関の影響を免れない。テクノロジーの変化の方向性に影響を与え、テクノロジーの変化が雇用の拡大や公平性の改善をきちんともたらすよう、政策立案者は様々な手を打つことができるのだ。
ポピュリストの魅力は、排除された人々の怒りを代弁してくれることだ。そして具体的な解決策(国民を間違った方向に導き、危険であることも少なくないが)と壮大なナラティブを提供してくれる。主流派の政治家も希望を与えてくれるまっとうな解決策を提示しない限り、失地を回復することはできないだろう。テクノロジーや拡大を続けるグローバリゼーションをもはや言い訳にするべきではない。勇気を持って、国内とグローバル経済の運営のあり方を抜本的に改革するよう突き進むべきだ。
グローバリゼーションが暴走することの危険性が歴史から学べる教訓の一つであれば、資本主義の可鍛性はもう一つの教訓だ。最終的に市場志向の社会に新しい息吹を吹き込んで戦後の好況を実現したのは、ニューディール政策であり社会保障制度であり(ブレトンウッズ体制の下で)管理されたグローバリゼーションだった。これらの偉業をもたらしたのは抜本的な新しい制度の構築であり、既存の政策をいじくりまわしたり、微修正することでは決してなかった。より大胆でより壮大なアイデアがなければ、現在のコンセンサスによって生み出された良いもの──特に自由で民主的な秩序──が、その行き過ぎから来る反発によって台無しになる事態に直面する可能性すらあるのだ。
あらゆる党派の政治家にぜひ留意してもらいたい。
[書き手]ダニ・ロドリック(ハーバード大学ケネディ・スクール教授/国際経済学、経済成長論、政治経済学)