解説

『幸福号出帆』(筑摩書房)

  • 2017/04/23
幸福号出帆 / 三島 由紀夫
幸福号出帆
  • 著者:三島 由紀夫
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(328ページ)
  • 発売日:1996-07-00
  • ISBN-10:4480031669
  • ISBN-13:978-4480031662
内容紹介:
「私たちは幸福号という船(この船の名は誰にも秘密にして下さい。そうしないと私たちの身が危険になります)に乗って、日本を離れます。…」密輸に手を染め、外国へ高飛びせざるを得なくなった敏夫と義理の妹三津子。二人の幸福号とは?恋とスリルとサスペンスに満ちたエンターテインメント。フランス伝統の物語形式を積極的に取り入れた実験小説でもある。

『幸福号出帆』と『鏡子の家』の関係

なるほど、小説ってこうやって書けばいいんだ!

そう、いかにも、『幸福号出帆』は、小説というものはどのようにして書くべきか、三島由紀夫が我々に残してくれたお手本のような作品である。

キャラクターの創り方、各登場人物の配置の仕方、プロットの進め方などの基本的な小説技法から、時代を取り入れながらぎりぎりのところで時代を越えるには背景をどう処理すればいいのかといったトリヴィアルなコツに至るまで、小説の書き方が模範解答として示されているので、もし、いまから小説というものを書いてみようと思い定めた人がいたなら、わたしは躊躇することなくこの作品を読むように勧める。ここには個人的な体験とは無縁のところで小説というものを「人工的に」生み出すためのノウ・ハウのすべてが開陳されている。

ただ、だからといって、三島由紀夫が未来の小説家のためにこのお手本を書いたなどとは思わないでいただきたい。三島由紀夫にはサーヴィス精神はあっても、啓蒙的精神はない。第一、そんなにダサい男ではない。

では、これはだれのためのお手本か?

もちろん、三島由紀夫自身のためのものである。



三島由紀夫は、小説家という職業形態にきわめて敏感な作家であった。「いつもさわぎが大きいから派手に見えるかもしれないが、私は大体、銀行家タイプの小説家である」(『私の遍歴時代』)と常々いっていたように、生活を律し、執筆時間を決め、「仕事」の量を一定にたもつようにしていたが、それは、こうしない限り、「生活」も安定しないことを知っていたからである。

しかし、いくら「仕事」の量が一定していても、その一部が確実な収入をあげなくては意味がない。つまり、時には広範な大衆に受け入れられるような「おもしろい」エンターテイメント小説を書く必要があるが、かといって、それが純文学作家としての名声を傷つけるようなことがあってはならない。また、いっぽうで、生活を安定させるためのそうした小説に、作家の自我を注ぎ込むことは避けるべきである。作家の自我は無限ではないからだ。ようするに、三島由紀夫は、職業的作家として安定した生活を送るためには、ウェル・メイドで、しかも自我の注入のほとんどない娯楽作品を一定のペースで「量産」できるようにしなければならないと感じたのである。そのためには小説の方法論を確立することがぜひとも必要となる。



『幸福号出帆』はその物語内容のレベルでは、当時の娯楽的大衆小説の用件をすべて満たしている。つまり結ばれそうで、最後まで結ばれない一組の男女。読者大衆と等身大のヒーローとヒロインが、思わぬことから非日常的な冒険に巻き込まれるという筋立て。輪郭のくっきりとした脇役。読者の興味をつなぐ新しい風俗。

しかし、だからといって、これが、今日では読むにたえない作品となっているかといえば、けっしてそんなことはない。

もちろん、いま読み返してみると、風俗のレベルでは思わず微笑を誘うような部分も少なくない。「イタリア亭」で出される高級料理が「ナポリ風スパゲッティ」と「サラダ」で、これが二人前で千八百円もする(当時のサラリーマンの月給の十分の一以上だ)とか、「シァトオブリアン」「舌平目のピラフ」にそれぞれ(ビフテキの一種)(まぜ御飯)と注が施してあるとか、若い読者のなかには吹きだしてしまう人も多いだろう。

だが、そうした古びてしまった細部を除くと、小説から受ける印象は思いのほかに新鮮である。なぜかといえば、物語形式(フォルム)が当時の通俗小説にしては、きわめてきっちりと作られているからである。

『幸福号出帆』は、すくなくとも、往年の女流オペラ歌手コルレオーニ歌子の邸宅で物語が展開するその前半は、いわゆるグランド・ホテル形式に基づいている。すなわち、ホテルのような一つの大きな場所に様々な人生模様をもった人たちが集まって、そこからストーリーが紡ぎ出されるというスタイルである。これは、『グランド・ホテル』という映画からその名前が生まれたものだが、原型は、すでにバルザックの『ゴリオ爺さん』の下宿屋のヴォケール館に見いだされる。ヴォケール館の食堂に当たるのが、歌子邸の食堂兼居間である。ついでにいえば、この居間にはテレビがなく、皆がラジオのオペラに聞き入っているのが興味深い。昭和三十年には、テレビはまだ街頭テレビの段階だった。

三島由紀夫はこの時期、後述するように、バルザック、スタンダール、フロベール、プルーストなどのフランス小説を盛んに研究していたので、さっそく『ゴリオ爺さん』の形式を使ってみたのだろう、

フランス小説から三島由紀夫が借用した技法の一つに、ストーリーを進めるには役立つが決して葛藤には至らない三角関係というのがある。『幸福号出帆』では、ヒーローの敏雄とヒロインの三津子が兄弟の関係におかれているため、年上のマダムとの葛藤はそれほど激しいものにはならない。これは、スタンダールの『パルムの僧院』において、ファブリスとサンセヴェリーナ公爵夫人が甥と伯母の関係であるため、美少女のクレリアと決定的な三角関係にならないというあたりからヒントを得たものかもしれない。

フランス小説の影響は、ほかにもある。裏切られた人間の悪意が、次なる物語の大展開をもたらすというものである。山路一家が歌子邸に引っ越したために追い出された高橋ゆめ子が、歌子に復讐を誓うというプロットは、バルザックの『従姉ベット』に着想を得たにちがいない。

イタリア人オペラ歌手コルレオーニの落とし子である山路敏雄の、美男だがまったく性格的に深みのない小悪党というキャラクターも、もしかするとモーパッサンの『ベラミ』あたりからの思いつきかもしれない。こうした頭の空っぽなヒーローが、三津子ばかりか、年上マダムの房子の胸を焦がすというところも、いかにもフランス的である。「幸福号」という船をトポスに選んだのもモーパッサンの海への憧れを連想させる。

ようするに、三島由紀夫は、フランス小説を研究して興味を感じた技法や小説理念を、大衆小説という気安さからか、かなり大胆に実験しているのである。

しかしながら、フランス小説から学んだとおぼしきこうした物語形式は、ウェル・メイドの大衆小説の量産化に道を開くためのものばかりではなかった。すなわち、三島由紀夫は、『幸福号出帆』において、大衆小説という隠れ蓑を利用して、西洋の近代小説から学んだ小説の様々な技法あるいは小説理念そのものを密かに実験し、そこで有効性を確認した技法や理念を、次に準備している純文学作品の中で活用しようとしていたのだ。

ここのあたりが、三島由紀夫が凡百の小説家とは完全に異なるところである。普通の小説家なら、純文学作品で使用済みの技法やアイディアを、大幅に水で薄めて大衆小説に応用し、イージーに金を稼こうと思うだろう。これに対し、三島由紀夫は、批評家がまず絶対に読まないことが初めからわかっている大衆小説という枠組みを使って、おおっぴらに小説的実験を行ってから、その成果を純文学作品に投入している。

となると、三島由紀夫にとって、純文学作家が大衆小説あるいは中間小説にも手を染めなければならない戦後の文学状況はけっして厭わしいものではなかったことになる。むしろ、金銭と実験の場を同時にもたらしてくれるものとして積極的に歓迎すべきものであった。同時期にデビューした戦後作家のほとんどが、大衆小説や中間小説の大波の中で、さして豊かでもない才能をいちどきに消尽させて、次々に海底に呑み込まれていったのとは逆に、三島由紀夫は、ジャーナリズムの荒れ狂う波の力を巧みに利用してただひとり沖合に泳ぎ出すことに成功した。この点で、三島由紀夫は、いかにも才能を浪費しているように見えながら、小説のみならず、小説家という職業も意識的に把握していた作家ということができるだろう。



では、昭和三十年の六月十八日から十一月十五日まで百五十回『読売新聞』に連載され、翌年の一月に新潮社から出版されたこの『幸福号出帆』は、いったいどんな作品のための実験だったのだろうか。

これを調べるのに格好の資料がある。三島由紀夫がほぼ同時期に執筆していた日録風の文学論『小説家の休暇』である。

その第一日目。

「六月二十四日(金)
快晴で酷暑である。今年の梅雨は空梅雨らしい。(略)
カッとした夏の日のなかを、日光に顔をさらして歩くのが好きだ。どこまでもこうして歩きたいと思う。そうして歩いていると、戦後の一時期、あの兇暴な拝情的一時期のイメージがいきいきとよみがえって来る。(略)
あの時代には、骨の髄まで因習のしみこんだ男にも、お先真暗な解放感がつきまとっていた筈だ。あれは実に官能的な時代だった。倦怠の影もなく、明日は不確定であり、およそ官能がとぎすまされるあらゆる条件がそなわっていたあの時代。
私はあのころ、実生活の上では何一つできなかったけれども、心の内には悪徳への共感と期待がうずまき、何もしないでいながら、あの時代とまさに『一緒に寝て』いた。どんな反時代的ポーズをとっていたにしろ、とにかく一緒に寝ていたのだ。
それに比べると、一九五五年という時代、一九五四年という時代、こういう時代と、私は一緒に寝るまでにいたらない。いわゆる反動期が来てから、私は時代とベッドを共にしたおぼえがない。
作家というものは、いつもその時代と、娼婦のように、一緒に寝るべきであるか? もちろん小説には、まぬがれがたい時世粧というものは要る。しかし、反動期における作家の孤立と禁欲のほうが、もっと大きな小説をみのらせるのではないか?」

『仮面の告白』『青の時代』『禁色』のように、「時代とベッドを共にした」小説を書いた三島由紀夫は、占領と戦後が終わったときに、明らかに、自分の人生もまた新たな段階に入ろうとしていることをはっきりと自覚したのだ。だからこそ、もはや戦後ではないこの時代に、「もっと大きな小説をみのらせる」ために、「時代とベッドを共に」するのを拒みながら、「作家の孤立と禁欲」を選ぼうとしているのだ。

だが、どのようにして? いささか死語になりかかっている言葉を使えば、「理論武装」によってである。この年、昭和三十年から、三島由紀夫は肉体の鍛練のためにボディ・ビルを始めたが、ボディ・ビルは知的な面でも開始されていた。ヨーロッパ、とりわけ十九世紀フランス小説の系統的な読み返しである。

「プルウストはコルク張りの部屋に入って『失われし時を索めて』を書きはじめた。それを一種の断念、人生に対する決定的背離だと考えてはならない。
小説を書くことは、多かれ少なかれ、生を堰き止め、生を停滞させることである。私は二十代に、かくもたびたび、生を堰き止めたことを後悔しない。しかし純然たる芸術的問題も、純然たる人生的問題も、共に小説固有の問題ではないと、このごろの私には思われる。小説固有の問題とは、芸術対人生、芸術家対生、の問題である。今世紀にあって、トオマス・マンが代表的作家であるゆえんは、この問題をとことんまで追究したからだ。プルウストもそうである。
十九世紀の作家では、バルザックもスタンダールも、この問題を背後に隠しながら、それを小説の霊感の源泉とした。ひとりフロオベルがこの問題性をするどく意識した。
小説固有の問題は、かくて、われわれが生きながら何故又いかに小説を書くか、という問題に帰着する。もっと普遍的に云えば、われわれが生きながら何故又いかに芸術に携わるか、という問題に帰着する。過去の芸術でこういうことを問うたものはいない。
別の見方から云うと、小説とは、本質的に、方法論を模索する芸術である。(略)何故小説を書くか、ということが、小説の唯一の主題であるようなこの事情は、今世紀にいたってますます尖鋭化している。日本には、人生にだけしか関心をもたない小説が多すぎる。又、芸術にだけしか関心をもたない小説が多すぎる」

三島由紀夫はこうした重大な問題を『小説家の休暇』で提起しながら、そのいっぽうで『幸福号出帆』を書いていたのである。ならば、『幸福号出帆』に、この問題意識の反映がないと見るほうがおかしいということになる。いいかえれば、『幸福号出帆』で実験された技法や様式は、すべて新たな純文学作品をパースペクティブに入れて実験されたものだったのである。

では、その作品とはなにか。

いうまでもなく『鏡子の家』である。実際、『幸福号出帆』は、とりわけ、さきほど指摘したようなフランス小説から借りた構造部分において、『鏡子の家』の方法を用意しているといえる。

といっても、それは『幸福号出帆』で実験された技法や様式が『鏡子の家』でそのまま使われているという意味ではない。『鏡子の家』においては、技法や様式は、それと一目で見抜けぬほどソフィスティケイトされたものになっている。しかし、その基本的構造において、『幸福号出帆』は、『鏡子の家』に対して、プルーストの『楽しみと日々』が『失われたときを求めて』に対するのと同じような関係をもっている。つまり、前者の実験がなければ、後者は生まれなかったというわけだ。

舞台に使われているのが、晴海や月島、勝関橋など、共通しているのも、両者の類縁性を感じさせる。

もちろん、『鏡子の家』は『失われたときを求めて』ほどの成功作だったかという声はあがるだろう。この点では、わたしも『鏡子の家』が大傑作だといいきる自信はない。しかし、『楽しみと日々』がプルーストの愛読者にとって捨てるには惜しい小傑作であるのと同じように、『幸福号出帆』は三島ファンにとって見逃すことのできない佳品であることは確かだ。『鏡子の家』は読むのに疲れるが、『幸福号出帆』は気軽に読めて、しかもおもしろい。これは新しい発見である。

【この解説が収録されている書籍】
解説屋稼業 / 鹿島 茂
解説屋稼業
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(238ページ)
  • 発売日:2001-08-00
  • ISBN-10:479496496X
  • ISBN-13:978-4794964960
内容紹介:
著者はプロの解説屋である!?本を勇気づけ、読者を楽しませる鹿島流真剣勝負の妙技、ここにあり。

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幸福号出帆 / 三島 由紀夫
幸福号出帆
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  • 装丁:文庫(328ページ)
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  • ISBN-10:4480031669
  • ISBN-13:978-4480031662
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「私たちは幸福号という船(この船の名は誰にも秘密にして下さい。そうしないと私たちの身が危険になります)に乗って、日本を離れます。…」密輸に手を染め、外国へ高飛びせざるを得なくなった敏夫と義理の妹三津子。二人の幸福号とは?恋とスリルとサスペンスに満ちたエンターテインメント。フランス伝統の物語形式を積極的に取り入れた実験小説でもある。

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