解説

『三島由紀夫の美学講座』(筑摩書房)

  • 2020/07/04
三島由紀夫の美学講座 / 三島 由紀夫
三島由紀夫の美学講座
  • 著者:三島 由紀夫
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(223ページ)
  • 発売日:2000-01-01
  • ISBN-10:4480035311
  • ISBN-13:978-4480035318
内容紹介:
「三島美学」という表現がもはや常套句のように使われるが、その本質は一体どこにあるのだろうか。廃墟、聖セバスチァン、ダリ、室内装飾、俵屋宗達、タイガーバームガーデン―約20年にわたる表象をめぐる文章から、三島の隠された思想が浮かびあがる。美と芸術についての三島の思考を追体験する、最良の編者による文庫オリジナル・アンソロジー。

解説

三島由紀夫の美学、三島美学といった表現が、ほとんど常套句のように用いられる。実際、三島由紀夫ほど「美学」という言葉と結びつけられてきた作家はいない。

その場合、「美学」には、三島の作品の美的世界とか、三島の美意識あるいは美的倫理とかいずれにせよかなり漠然とした意味がになわされていたように思う。それは、三島の書き物だけでなく、その行動、生き方(あるいは死に方)が問題にされるときでも基本的に変わらない。

三島が自刃したころに大学の美学科に進学していた私は、当時さかんに発せられていた三島美学なる表現にいさきか違和感をおぼえたものだった。美学は、文字どおり学問的に用いられるべき言葉だと思ったのである。

しかし学としての美学を専攻し、またそれを講義し、私なりにいろいろと著述をするようになるにつれて、西洋の哲学史に出自をもつこの美学という言葉を、かえってもっと自由に、もっとゆるく用いてもいいのではないかという気持ちが強くなってきている。美学は、既成の諸概念を整理することも大事かもしれないが、美や芸術についてみずから問いを発し、言説としての可能性を模索する主体的な営みとしてしかありえないからである。三島美学でけ
っこう、もしそれが美や芸術についての主体的な問いの、思考の軌跡であるならば。

結局、こうして私は一般的に流布している三島美学なる表現に立ち戻ってきたともいえるわけだが、さてそれでは、三島自身が美や芸術について、どう考え、どう語っていたかということになると、意外にまとまった本がない。文学論集、演劇論集のたぐいはあるが、美学論集のようなものは一度も編まれたことがないらしい。三島を対象とするあまたの作家論に、美学という言葉が頻出するばかりである。三島が直接に美や芸術に言及したことを、多少と
も理論的に筋道をつけてまとめてみる必要があるのではないか。

そんなことを考えていたとき、本文庫で『三島由紀夫のフランス文学講座』を出した畏友・鹿島茂と編集部から、三島の美術論を中心として本を編んでみないかという嬉しい勧めがあった。「三島由紀夫こそは、戦後最高の批評家である」と断言する鹿島は、フラン ス文学についての三島の知識の尋常ならざることを目のあたりにさせてくれた。美術論に関しても、同じようなことができるだろうか。

しかし三島の美術論は、一冊の本を編めるほど多くはない。美術論が中心になるにしてもやはり美と芸術をめぐる思弁的な文章を集めて「美学講座」を編むしかない。あらためて『三島由紀夫全集』の「評論」部門を総点検して、できあがったのが本書である。「美学美術史講座」というタイトルも考えたが、結局、ずばり「美学講座」で行くことにした。

「序」で述べた制約のもとでの編纂だが、本書は三島由紀夫という作家像・人間像を考えるうえで、ひとつの有力な視点を提供しうるものになったのではないかと思っている。少なくとも、三島由紀夫の「美学」を問題にしようとするとき、本書は恰好の資料となるだろう。

昭和二十四年の「美について」から本書は始まる。この「断片的なノオト」は、実は鹿島編『フランス文学講座』にも採られているが、そこでは「ランボー、ボードレール」の項目に並べられている。フランス文学の文脈で読むことも、もちろんできないわけではない。だが、三島はこれをもう少し広いパースペクティヴのもとに書きとめたように思う。そう、ありうべき自分自身の「美学」のためにである。「まとまった評論の体裁に編むつもりだ」と
は、たぶんそういうことだろう。

しかし、三島は結局この「評論」を実現しなかった。そのかわりのように、三島は美について、芸術について、さまざまな場所で、さまざまな時期に、さまざまなことを語った。三島がそうして書き散らした文章を多少とも整合的にとらえなおして、いまこの『美学講座』が成立したのだとすれば、本書は三島のいう「まとまった評論」の代替物のようなものになっているはずである。

それにしても、この「美について」には、三島の「美学」のエッセンスのような言葉が散見されて、すでにこの時点でその骨組があらわになっていると思わずにはいられない。「精神に対する肉体の勝利」「美と死との相関」「現代に於ける美の政治に対する関係」といった言葉を、三島自身のその後の運命に引きつけずに読むことは難しい。三島の運命のかたちは、はじめから三島自身によって遥かに見据えられていたかのようである。

その意味で、「美について」は本書の真の序論たりえているが、セクション I の全体を、あるいはさらに II の全体をも含めて、大きな序論ととらえることもできよう。そこでは、ニーチェ、ワイルド、ドストエフスキー、ヴォリンガア、フロイト、トオマス・マン、ゲーテ、ヴァレリー、ウェイドレー、あるいはプラトンなどの教説に触れながら、自己のスタンスを確保しようとする三島のその都度の姿が垣間見えるからである。

III 「廃墟と庭園」は、本書のなかでも特色のあるセクションといえるだろう。私も文章を拾いながら、三島の廃墟(とは古代文明の遺跡のことだが)や庭園への熱い思い入れのようなものにあらためて気づかされ、心を打たれた。ギリシア体験と一体になった廃墟はいうに及ばず、一種の比較美学になっている庭園論にしても、三島の資質の発露を感ぜずにはいられない。

その資質、あるいはもっと端的に嗜好といってもいいが、それはセクション IV「美術館を歩く」において、いっそう明らかになる。訪れた美術館のどんな作品に注目するかということは、逆にいえば、どんな作品に注目しないかということでもあるからだ。たとえば、三島はニューヨークのミュージアム・オブ・モダン・アート、通称MOMAにおいて、デムースなる画家に心を動かされたと書いている。デムースとは、チャールズ・ヘンリー・デムースのことだが、特異な都会風景を描いた今世紀初頭のアメリカのこのマイナー画家の名前を知る人は多くあるまい。三島の思いがけぬ一面を見た気がする。ところが三島は、この美術館の目玉であるピカソの「ゲルニカ」には相応の敬意を表しながらも、他の二十世紀の画家、特にアメリカの抽象表現主義の画家たちにはまったく触れていない。当時コレクションの数は限られていたにしても、それこそがこの美術館の真の主役になろうとしていたのだが――。

三島のまなざしは、つまるところ古典古代の、ルネサンスの、バロックの、ロココの人間の肉体を、美しい肉体の表象を、肉体の美しい表象を求めている。三島の筆が踊るのは、青銅の馭者像、アンティノウス像、グイド・レニの「聖セバスチァン」、いうなればあの「美しい無智者」の表象を前にしてなのだ。

V 「三島由紀夫の幻想美術館」は、ダンヌンツィオの「異教的官能的キリスト教宣伝劇」の翻訳刊行の折に書かれたセバスチァン論と、ワットオ(現在はヴァトーと書くのが通例である)の作品論のほか、何篇かの美術論で構成されている。「美しい無智者」セバスチァンについて蘊蓄を傾けた三島は、「シテエルへの船出」をめぐってロココ的世界に思いきり文学的想像力を遊ばせている。美術論が文学論たらざるをえないところに、ロココの特色があ
るのかもしれない。ここで三島の筆は、水を得た魚のようだ。

三島は、ギュスターヴ・モロオに触れて、これを「二流芸術の見本」と呼び、「大体、二流のほうが官能的魅力にすぐれている」と書いている。三島の美術論は、総じてこの認識を念頭に置いて読まれなければなるまい。

いずれにせよ、デムースからセクション VI「肉体と美」の冒頭の「青年像」八点にいたるまで、具体的に言及されたすべての絵画、すべての彫刻の写真図版入りで、三島の美術論を読みなおしてみたいものだ。そうすれば、三島の美術世界の「官能的魅力」がじかに伝わってくるだろう。いささか辟易することになるかもしれないとしても。

三島の「美学」は、その内包する志向性のままに肉体の美学に収斂する。三島の肉体論の結晶が「太陽と鉄」だが、そのなかからはなはだヴァレリー的ともニーチェ的ともいえる箇所を、最終セクション「肉体と死」の冒頭に置いた。肉体と美の問題は、「美について」における「美と死との相関」あるいは「美は死の中でしか息づきえない」という言葉を承けるかのように、おのずから肉体と死の間題へと移行する。芸道論と谷崎潤一郎論の二つが「太陽と鉄」の帰結であろう。いずれも痛切な思いなしに読むことのできぬテクストである。とりわけ後者は、自刃の年に書かれた、三島の肉体論の総決算である。「谷崎氏の全作品に逆照明を投げかけてみたい」と三島は書いているが、これは同時に三島の全作品にも逆照明を投げかけるであろう運身の力作である。

ほぼ二十年間の文章によって、三島由紀夫の「美学」を構成してみた。もとより、これはひとつの見方にすぎない。私はすでに『文学の皮膚』(一九九七)に収められた「薔薇と林檎」という文章において「三島由紀夫の肉体論」の小さな試みをしているが、三島の仕事の全体を本書と関連づけながらとらえなおしてみなければならないと思っている。

本書が読者の三島理解、三島研究の一助になることを願うばかりである。

一九九九年 秋 谷川渥
三島由紀夫の美学講座 / 三島 由紀夫
三島由紀夫の美学講座
  • 著者:三島 由紀夫
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(223ページ)
  • 発売日:2000-01-01
  • ISBN-10:4480035311
  • ISBN-13:978-4480035318
内容紹介:
「三島美学」という表現がもはや常套句のように使われるが、その本質は一体どこにあるのだろうか。廃墟、聖セバスチァン、ダリ、室内装飾、俵屋宗達、タイガーバームガーデン―約20年にわたる表象をめぐる文章から、三島の隠された思想が浮かびあがる。美と芸術についての三島の思考を追体験する、最良の編者による文庫オリジナル・アンソロジー。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
谷川 渥の書評/解説/選評
ページトップへ