後書き

『愛の日本史:創世神話から現代の寓話まで』(国書刊行会)

  • 2018/07/04
愛の日本史:創世神話から現代の寓話まで / アニエス・ジアール
愛の日本史:創世神話から現代の寓話まで
  • 著者:アニエス・ジアール
  • 翻訳:谷川渥
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(496ページ)
  • 発売日:2018-06-25
  • ISBN:4336062706
内容紹介:
異文化の眼差しがあぶりだす日本の愛の本質。古事記から三島由紀夫まで夥しい文献を渉猟して、日本における“愛”の驚くべき豊饒性を気鋭のフランス人研究家が明らかにする。日本に“愛”は存在するのか?西洋では普遍概念であるはずの“愛”は日本ではどんな形で可能なのか?『記号の帝国』に比肩する画期的な日本文化誌、待望の邦訳。

訳者あとがき

本書は、Agnès Giard, Les Histoires d'Amour au Japon, Des Mythes fondateurs aux Fables contemporaines, Éditions Glénat, Grenoble, 2012の全訳である。正題を直訳すれば、『日本における愛の物語集』とでもなろうが、《Histoires》という複数形の言葉に含意される「物語」と「歴史」との両義性を、あえて「史」という一語で受けとめて、副題はそのままに、邦題は『愛の日本史――創世神話から現代の寓話まで』とした。

全訳とはいえ、本書を構成する九十九の文章には、註のほかにときとして欄外註のようなものが付されていて、本文の敷衍、日本語の概念の辞書的説明、あるいは言及された場所の地理的案内などが記されているが、これらはわれわれ日本人読者にはさほど必要とも思われず、またいささか煩瑣でもあるので、すべて割愛させていただいたことをお断りしておく。

本書の翻訳のきっかけとなったのは、著者自身の「日本語版への序文」にものっけから名前の挙げられている、京都の長年の友人、武田好史氏との会話だった。「谷川さん、こんな本が出ているんですよ」と見せてくれたのが、五百ページを越えるフランス語の大著だった。もう三年以上も前のことである。著者アニエス・ジアールの名前は、すでに邦訳のあった『エロティック・ジャポン』(にむらじゅんこ訳、河出書房新社、二〇一〇年)を通して知ってはいた。現代日本の「性文化」の詳細なレポートとも言うべきこの書物を私は面白く読んだが、そのためもあって著者は日本のサブカルチャーについての特異なフランス人研究者という印象が強かった。それはその通りであるには違いなく、その後邦訳の出た『[図説]″特殊性欲″大百科――″ビザール″の生態学』(山本規雄訳、作品社、二〇一五年)もその感をますます強めることになったかもしれない。だが、武田氏の見せてくれた本は、こうした性的サブカルチャー物とは次元の異なる研究書に思えた。これこそ著者の真面目とも言うべき代表的著作ではあるまいか。武田氏の名前も何度も登場するらしい本書を、ならば私か邦訳してみようかと決意した次第である。

『古事記』から三島由紀夫まで、いやまさに「創世神話から現代の寓話まで」、おびただしい文献資料を渉猟しながら綴られた本書は、たんに一外国人の手になる日本文化論のひとつと言うよりは、それ自体この分野における画期的な研究書のように思える。「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」の襞に分け入り、その驚くべき豊饒さを明らかにしようとした比類なき日本文化誌というべきだろう。

それにしても翻訳作業中に痛感したのは、古典を含む日本語文献がいかに数多く外国語に訳され、また論評されているかということだった。著者はそうしたフランス語訳あるいは英訳からしばしば引用しているが、私は可能なかぎり日本語原典に当たって、そこから原文を採り、そしてときに私なりの現代語訳を併記するように努めた。したがってその場合には原註の外国人訳者名は省略させていただいた。

翻訳に際して核心的な問題は、なんと言ってもフランス語の《amour》をどう訳すかということだった。〈愛〉――まさしく本書は『愛の日本史』と題されているわけである。しかし本書は「日本に愛は存在しない」という逆説的議論から始まる。存在するのは〈恋〉だけだ、と。この問題に関しては、著者自身の苦心の論述を辿っていただくほかはないが、私としては、〈愛〉を〈恋〉よりも包括的な上位概念として用い、両者を適宜訳し分けることにした。本書で〈恋〉とカッコ付きで出てくるのは、著者自身が日本語を引いている場合であり、それ以外はすべて《amour》という名詞、あるいは《aimer》という動詞の訳である。訳し分けに違和感がなければ幸いだが、これは読者諸兄姉の判断を待つほかはない。

しかしいずれにせよ、著者の微に入り細を穿(うが)つ記述、ときに解釈過剰性とも言うべき執拗な記述によって、「記号の帝国」(ロラン・バルト)ならぬ「愛の帝国」としての日本の相貌が鮮烈に浮き彫りにされることは間違いないだろう。

なお、その記述には幾つかの思い違いや誤記(たとえば旧暦と新暦の混同、書名、書物の刊行年あるいは歌番号の違い、等)が散見されたが、これらは訳者の判断で適宜修正しておいた。

またもうひとつお断りしておかなければならない原著との違いは、収められた図版の数である。原著にはおびただしい絵画と写真がすべてカラーで掲載されている。それらの図版は、本文の内容と合致するかと思えば、また微妙なズレを示して、テキストとイメージがまるでシュルレアリスムのデペイズマンのような相乗効果を生み出している。邦訳ではその相当数を割愛せざるをえず、編集者と相談の上、ごく限られた数の図版に絞ることを余儀なくされたことを申し添えておきたい。そのためにヴィジュアルな性格はかなり弱められたが、しかしかえって正統的読み物としての性格は強められたと言えるかもしれない。

さて、本書は九十九の文章でもって閉じられる。九十九回、小町のもとに通い、百回目を無にした深草少将のように。著者の言うように、読者はみずから「物語を付け加え」て「成就」を期するほかはないだろうか。いずれにせよ、この閉ざされは、また開かれてもいるわけである。


本訳書の成立にあたって、まず武田好史氏にありかとうと言いたい。翻訳のきっかけを作ってくれたばかりでなく、また彼がパーソナリティをつとめる京都のFMラジオ番組「ラジオ・ラビリントス」に本書の件で二度ゲストに呼んでくれた。うち一度は来日中のアニエス・ジアールと一緒に話をする楽しい機会を得たのである。

そして誰よりも国書刊行会の磯崎純一出版局長に心より感謝申し上げたい。本書のような大部の書物の邦訳を快く決断されたばかりでなく、また様々な便宜をはかっていただいた。国書刊行会での翻訳の仕事は、バルトルシャイティス『鏡』とエリー・フォール『近代美術[I]』に次いで三冊目になるが、このような特異な日本文化誌の訳出を許されたことを幸せに思う。

最後に、編集上の細かな作業に携わっていただいた幣旗愛子さんに厚く御礼申し上げたい。彼女の行き届いた心遣いがなければ、本書はこのようなかたちで成立を見なかっただろう。

そしてもうひとり。ブックデザイン担当の山田英春氏。美しい本をありがとう。

二〇一八年五月十五日 谷川渥
愛の日本史:創世神話から現代の寓話まで / アニエス・ジアール
愛の日本史:創世神話から現代の寓話まで
  • 著者:アニエス・ジアール
  • 翻訳:谷川渥
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(496ページ)
  • 発売日:2018-06-25
  • ISBN:4336062706
内容紹介:
異文化の眼差しがあぶりだす日本の愛の本質。古事記から三島由紀夫まで夥しい文献を渉猟して、日本における“愛”の驚くべき豊饒性を気鋭のフランス人研究家が明らかにする。日本に“愛”は存在するのか?西洋では普遍概念であるはずの“愛”は日本ではどんな形で可能なのか?『記号の帝国』に比肩する画期的な日本文化誌、待望の邦訳。

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