書評
『鏡と皮膚―芸術のミュトロギア』(筑摩書房)
いきなりヴァレリーを引いて、「人間においてもっとも深いもの、それは皮膚である」と言おうというのではないけれど、ぼくらのからだというのはどうも、虚ろな像と薄い膜という、二つの表層でかろうじて支えられているようだ。つまり、この本のタイトルにある鏡と皮膚である。じぶんのからだだと言いながら、その全体像をぼくらは、鏡という、じぶん以外のものに映すことによってしか手に入れられない。皮膚という、一枚の薄膜が剥けるだけで、じぶんというものが壊れてしまうこともある。
鏡と皮膚。谷川渥はここで、ぼくらの表層をかたちつくるこのふたつをモデルにして西欧の美術史を再記述するという、刺激的な試みに取り組んでいる。西欧の芸術が、「模倣」を原理としてきたかぎりにおいて、〈鏡〉というメタファーがはじめから骨格として組み込まれていたというのはわかりやすい。が、まさにその合わせ鏡のようにして、〈皮膚〉というメタファーがあったというのは、新鮮な指摘である。谷川は、そういうふたつのモデルの系列を、古来の西欧絵画のなかにモティーフとしてくりかえし現われる神話や伝説と対応づけながら提示している。
前半では、オルペウスの冥界下りと、水面をのぞきこむナルキッソスと、髪を蛇に変えられ首を切り落とされたメドゥーサのうちに、つまり眼と鏡と首という形象のうちに、「芸術の認識論的隠喩としての鏡」を読む。あいだに、ベラスケスの「侍女たち」(背後の壁の上方にぼんやりと描かれた二枚の絵の意味)を論じた文章がはさまり、後半では、皮を剥がれるマルシュアスと、ヴェロニカがイエスの顔をじかに写しとったとされる布(聖顔布)と、それに連なる覆いのイメージのうちに、つまり皮膚(皮剥ぎ)と布とヴェールという形象のうちに、「皮膚論的想像力」の痕跡をたどる。
古代ギリシャ彫刻における衣紋や濡れ衣の表現から、バロックの壁をへて、梱包アーチスト・クリストにいたるまでの布の象徴作用とか、「模倣」とは異なるイメージ産出法としての「版」の伝統(聖顔布からフロッタージュまで)の分析はとても興味深いが、それ以上に刺激的なのは、美術史を縫う隠れた糸の摘出作業だ。コクトーの映画『詩人の血』とプッサンが描いたオルペウスの絵とが交叉する場、両脚を開いて藪のなかに横たわるデュシャンの裸婦とメドゥーサ神話との関係、キャンバスを裂いたフォンタナの「空間概念」とジオットの「最後の審判」の同質性、十七、八世紀における風景画と静物画と人体解剖図の描写にみられる奇妙な並行関係などの指摘には、思わず膝をたたき、じぶんまでいっぱしの美術評論家になったような気分になる。切れ味鋭いその構成においても、スリリングな謎解きとしても、凝りに凝ったエクリチュールに、ひさしぶりに分厚いビーフステーキをたいらげた心地がする。
【この書評が収録されている書籍】
鏡と皮膚。谷川渥はここで、ぼくらの表層をかたちつくるこのふたつをモデルにして西欧の美術史を再記述するという、刺激的な試みに取り組んでいる。西欧の芸術が、「模倣」を原理としてきたかぎりにおいて、〈鏡〉というメタファーがはじめから骨格として組み込まれていたというのはわかりやすい。が、まさにその合わせ鏡のようにして、〈皮膚〉というメタファーがあったというのは、新鮮な指摘である。谷川は、そういうふたつのモデルの系列を、古来の西欧絵画のなかにモティーフとしてくりかえし現われる神話や伝説と対応づけながら提示している。
前半では、オルペウスの冥界下りと、水面をのぞきこむナルキッソスと、髪を蛇に変えられ首を切り落とされたメドゥーサのうちに、つまり眼と鏡と首という形象のうちに、「芸術の認識論的隠喩としての鏡」を読む。あいだに、ベラスケスの「侍女たち」(背後の壁の上方にぼんやりと描かれた二枚の絵の意味)を論じた文章がはさまり、後半では、皮を剥がれるマルシュアスと、ヴェロニカがイエスの顔をじかに写しとったとされる布(聖顔布)と、それに連なる覆いのイメージのうちに、つまり皮膚(皮剥ぎ)と布とヴェールという形象のうちに、「皮膚論的想像力」の痕跡をたどる。
古代ギリシャ彫刻における衣紋や濡れ衣の表現から、バロックの壁をへて、梱包アーチスト・クリストにいたるまでの布の象徴作用とか、「模倣」とは異なるイメージ産出法としての「版」の伝統(聖顔布からフロッタージュまで)の分析はとても興味深いが、それ以上に刺激的なのは、美術史を縫う隠れた糸の摘出作業だ。コクトーの映画『詩人の血』とプッサンが描いたオルペウスの絵とが交叉する場、両脚を開いて藪のなかに横たわるデュシャンの裸婦とメドゥーサ神話との関係、キャンバスを裂いたフォンタナの「空間概念」とジオットの「最後の審判」の同質性、十七、八世紀における風景画と静物画と人体解剖図の描写にみられる奇妙な並行関係などの指摘には、思わず膝をたたき、じぶんまでいっぱしの美術評論家になったような気分になる。切れ味鋭いその構成においても、スリリングな謎解きとしても、凝りに凝ったエクリチュールに、ひさしぶりに分厚いビーフステーキをたいらげた心地がする。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする