書評
『貘の檻』(新潮社)
父が犯した殺人の真相を知る女が、奇妙な死を遂げた。記憶と夢の謎に挑むミステリー
伝説の獣である貘は人の夢を食うという。恐い夢を見たら貘に食わせればいい。しかし、食わせた後にぽっかり開いてしまった心の穴はどうすればいい?道尾秀介はミステリー系の新人賞出身者だが、ジャンルの制約に縛られずに幅広く活躍している作家である。彼が創作においてもっとも重視するのは、自身の作品を読んだ者の心の中に確固たるイメージを結像させることだ。それはあたかも文章によって夢を見させているようなものだ。
道尾が重視している主題の一つに記憶がある。人間の心とは記憶の集合体であり、自身の過去から逃れられる者はいない。夢が時として恐怖の源になるのは、背けたい事実を人につきつけるからである。最新作『貘の檻』は、道尾が正攻法で記憶と夢の関係を描くことに挑んだ長篇ミステリーだ。
大槇(おおまき)辰男は、離婚した妻が引き取った息子・俊也と面会したその日に意外な人物を目撃する。曾木美禰子(そぎみねこ)という名のその女性は、彼の過去におきた忌まわしい出来事と分かちがたく結びついた人物だった。
三十二年前、辰男の父・充蔵(じゅうぞう)は、村の水路からの放水が行われた際に変わり果てた骸(むくろ)となって発見された。その直前に村民の一人が変死体で発見され、手を下したのは充蔵だと見なされていたのである。美禰子は事件とほぼ同時期に失踪し、行方不明のままだった。辰男の見ている前で彼女は線路に転落し、轢死してしまう。彼女が握っている事実を、ついに明かさないまま。
辰男は離婚によって妻子を失っただけではなく、失職して未来に絶望していた。そこに聞こえてきた過去からの足音である。辰男は父が関与した事件の真相を知ろうと決意し、三十二年ぶりに生地へと戻っていく。
時間の堆積物を払い除けて事実を明らかにする作業を、道尾は丁寧に描いていく。読者の意識は常に過去の方に向けられるが、「現在」の側でもある事態が進行していく。物語が単調にならないのは、そうやって常に何かが動き続けているからだ。主人公の視座も揺れ動く。それが一ヵ所に固定されると真相が鮮やかに浮かび上がってくるのだ。
また、過去を正視することにより主人公が現在と向き合うという小説でもある。彼が夢から醒めた後に何があるのかわからないが、それでも人生は続いていくだろう。夜明けの曙光の暖かさを結末には感じた。
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