複雑な感情 想像させる力
敗戦後、連合国軍に占領された日本には、米兵専門の街娼(がいしょう)がいた。彼女たちは「パンパン」と呼ばれた。「オンリー」は特定の米兵と愛人契約を結んだパンパンのことだ。パンパンをめぐる小説は終戦直後から登場し始め、GHQの占領が終了し検閲も解かれた1952、53年ごろにブームを迎えたが、時代が下るにつれ「パンパン」という言葉は死語に近づいていき、作品数も漸減していった。そして大半は忘れられた作品となった。本書は、戦後文学史に埋もれたパンパン小説の中から「戦後社会の裏面史に光を当てながら、〈売春〉という複雑な問題を根源的に考え直すきっかけになる作品」をえりすぐったアンソロジーである。次の8編を収める。
石川淳「黄金伝説」、広池秋子「オンリー達」、平林たい子「北海道千歳の女」、芝木好子「蝶(ちょう)になるまで」、大江健三郎「人間の羊」、色川武大「星の流れに」、吉田スエ子「嘉間良心中」、長堂英吉「ランタナの花の咲く頃に」。
おそらく一番有名なパンパン小説である田村泰次郎「肉体の門」が含まれていないのは「あまり読まれていないと思われる」「読み応えのある作品」を優先したためだ。石川、大江作品は比較的知名度があると思うが、その他については知る人はまれだろう。評者はある仕事でパンパン小説を調べたことがあるのだけれど、それでも数編、初見のものがあった。
「パンパンこそ戦後最初の〈新人類〉」だったと編者は書く。まずアメリカという異文化を受容し普及する媒体になったのは彼女たちだった。さげすまれる一方で、アメリカをさっそうとまとい女性の自由と自立を体現したかに見えた彼女たちは憧れの対象でもあった。
パンパンが誕生したのは煎じ詰めれば政府の責任だった。戦後70年がたった今、彼女たちに向けられた視線にどれほど複雑な感情がはらまれていたかイメージするのは難しい。本書にはその感情を想像する手掛かりが少なからず詰まっている。