書評
『鬱の本』(点滅社)
あれこれうまくいかない、と思う日がある。そういう日は、自分以外の人が、あれこれうまくいっている人に見える。見えるだけなのだろう、と思いながらも、「実際どうなんですか?」と聞いてまわるわけにはいかないので、自分と他人、自分と社会の距離が開いてしまう。
その後、スッと元に戻る日もあれば、なかなか戻らない日もある。誰だって、長年、自分と付き合っているのに、自分と付き合うのが簡単ではないのはどうしてなのか。
『鬱の本』(屋良朝哉、小室有矢、今関綾佳編・点滅社・1980円)は、病気としての鬱に限らず、「日常にある憂鬱、思春期の頃の鬱屈など、様々な『鬱』のかたちを84名の方に取り上げてもらって」いる本。見開き2ページで完結する短いエッセイが続いていく構成は、まさに「実際どうなんですか?」との問いかけに答えてくれるかのよう。
自分の沈み方を知っている人がいれば、どうしてこうなるのか、困惑の最中の人もいる。青木真兵が「本来、人間は『鬱』をベースに社会を構築するべきなのです」と書くように、増える情報や更新される技術に対して、「便利になった!」と興奮することが求められる社会に飲み込まれるのではなく、うつむきながら自分の足元を見ていたい。
こんな社会と距離をとって、「少し鬱になった視線が必要だ」「あらゆる悩みが正しい」と海猫沢めろんが書く。悩む=幸せから遠ざかる、ではない。悩みなんか消してしまえ、忘れようよ、という誘いは、幸せへの近道とは限らない。それぞれが抱えているわだかまりを、そう簡単に抜き取ろうとするな。この時代、ほとんど暴力みたいなお節介が多すぎる。
森野花菜が「いつまで歩けばいいのかわからなくなったとき、鞄(かばん)の中の本はそっと私を立ち止まらせてくれる」とエッセイを締めくくる。それはまるでこの本の紹介文のよう。キラリと光っているわけではない文章にいくつも会える。光っていないのに目が合う。気づいたら、本に対して前のめりになっていた。
その後、スッと元に戻る日もあれば、なかなか戻らない日もある。誰だって、長年、自分と付き合っているのに、自分と付き合うのが簡単ではないのはどうしてなのか。
『鬱の本』(屋良朝哉、小室有矢、今関綾佳編・点滅社・1980円)は、病気としての鬱に限らず、「日常にある憂鬱、思春期の頃の鬱屈など、様々な『鬱』のかたちを84名の方に取り上げてもらって」いる本。見開き2ページで完結する短いエッセイが続いていく構成は、まさに「実際どうなんですか?」との問いかけに答えてくれるかのよう。
自分の沈み方を知っている人がいれば、どうしてこうなるのか、困惑の最中の人もいる。青木真兵が「本来、人間は『鬱』をベースに社会を構築するべきなのです」と書くように、増える情報や更新される技術に対して、「便利になった!」と興奮することが求められる社会に飲み込まれるのではなく、うつむきながら自分の足元を見ていたい。
こんな社会と距離をとって、「少し鬱になった視線が必要だ」「あらゆる悩みが正しい」と海猫沢めろんが書く。悩む=幸せから遠ざかる、ではない。悩みなんか消してしまえ、忘れようよ、という誘いは、幸せへの近道とは限らない。それぞれが抱えているわだかまりを、そう簡単に抜き取ろうとするな。この時代、ほとんど暴力みたいなお節介が多すぎる。
森野花菜が「いつまで歩けばいいのかわからなくなったとき、鞄(かばん)の中の本はそっと私を立ち止まらせてくれる」とエッセイを締めくくる。それはまるでこの本の紹介文のよう。キラリと光っているわけではない文章にいくつも会える。光っていないのに目が合う。気づいたら、本に対して前のめりになっていた。
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