書評
『アインシュタイン交点』(早川書房)
幻の名作
まいった。テレビばかり見ていてなにもできない。まずはサッカーのヨーロッパ選手権。先月、イギリスへダービーを見に行った時、レースのスタート時間が二時二十五分なので(ふだんはだいたい三時半)「なんでや」と聞いたら、このヨーロッパ選手権の開幕戦と重なるので、時間を繰り上げたというのである。
歴史と伝統のエプソムダービーのスタート時間を変更させてしまうのだ。さすが、サッカー。
そういうわけで、帰国してからも気になって衛星中継をずっと見ていた。バレージの抜けたイタリアの守備力が落ちたのを見て悲しみ、チェコのポボルスキの脚力に驚いた。でも、最後はやっぱりクリンスマンだった!(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1995年前後)
それでもって、あいかわらず野茂の投げる試合は見続けねばならず(あの16対15のロッキーズ戦も)、おまけにウィンブルドンまで加わり、それで順調に消化されるならまだしも、途中雨が降って中断となり、待っている杉山愛や伊達公子はたいへんだろうけど、やはり待ってる視聴者のわたしもたいへんなのだ。だから、待機中は静かに『アインシュタイン交点』(サミュエル・R・ディレーニイ著、伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫)を読んで、心を落ちつかせていたのだった。
いま、なにげなく『アインシュタイン交点』と書いたが、これこそ、ぼくのような市井の一般SFファンにとっては「幻の名作」中の「幻の名作」てなものである。伊藤典夫の翻訳で出ると告知されてから幾星霜(じゃなくてざっと二十年、原著が出てからもおよそ三十年)。いつ出るのかと首を長くして待っていたが、なんの音沙汰もない。もちろん、原著に手を出すことも考えたが、やはり伊藤典夫の訳で読みたいと今日まで待ち続けたのである。
で、正直に感想を述べよ、といわれると困る。困るんだな、これが。
ここまで待ったんだから、超傑作! といってみたいのが人情である。
しかし。そういう言い方は、なんとなく憚られる。正確ではない。じゃあ、つまらん失敗作なのか。滅相もない。
この作品、いかにもディレーニイらしく、さまざまな仕掛けが凝らされている。まず表面は遠未来の地球の異星生物のストーリイ。しかし、その単純なストーリイの下に隠された神話とメタファー……ということになるんだろうし、それはそれで正しいのだが、なんかこうスッキリしないんだな。
伊藤典夫はこう書いている。
一九七一年の六月のことである。ある夜ぼくは、長いこと気になっていた『アインシュタイン交点』の再読をはじめた。……。ただし今度は、いままでにやったことのない方法を取った。……、メリルのことばに従って、これを「今この瞬間、この世界で起こっていることの物語」として読み替えていくことにしたのだ。
かくして、伊藤典夫はジャンルSFの外見の下に隠された「現在形の物語」を発見する。
さて、ぼくはこの『アインシュタイン交点』を読みながら、ほんとにうんざりするぐらい「六〇年代的」だと思ったのだった。夥しい引用、そして引用される作家や詩人の名前、作者の日記、その中の考え方。「前衛」がまだ生きて立派に機能していた頃。
若いねえ。そして、ちょっと恥ずかしいねえ。やはり素性がどこか「六〇年代的」なぼくはそう思ってしまうのだった。うーん、懐かしいなあ。さあ、今晩は伊達対グラフだ!
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする




































