昭和八年、歌舞伎の背景に人間の情念を探るミステリー
チョン、と柝(き)の音。テン、テン、と太鼓の響き。
歌舞伎の世界へ招き入れられるなり、めくるめくミステリアスな展開。幕が下りる最後の一行まで目が離せない。
舞台は昭和八年の東京。折しも日本は国際連盟を脱退、「非常時」の掛け声が高まり、世情はキナ臭い。二月、作家小林多喜二が獄中死。同月、ダミアのシャンソン「暗い日曜日」が厭世(えんせい)的な気分を助長するとされ、発売禁止。三月、三陸沖地震。世界に目を転じれば七月、ドイツでナチス一党独裁が成立。八月、東京で「東京音頭」が大流行したのはカラ騒ぎだったか。そしてミステリーの舞台、歌舞伎の殿堂・木挽(こびき)座には、今日も万雷の拍手が鳴り響く。
千穐楽(せんしゅうらく)当日、歌舞伎界に君臨する六代目荻野沢之丞が至芸を披露するさなか、事件は起こる。さらに度重なる不可解な連続殺人。一連の事件の謎解きを担う桜木治郎は江戸歌舞伎の大作者の末裔(まつえい)で大学教授、前作『壺中の回廊』でもおなじみだ。築地小劇場の女優になった親戚の娘、澪(みお)子も事件に深く介入、百戦錬磨の警部や陸軍軍人を相手に丁々発止をみせる。
物語には暗雲が広がってゆくのだが、と同時に、行間から蠱惑(こわく)的な華やぎが立ちのぼる。それは、治郎や澪子の謎解きを追いつつ木挽座のバックステージを子細に覗(のぞ)きこむことになるから。歌舞伎の世界をすみずみまで知り尽くす著者ならではの趣向がとても贅沢(ぜいたく)だ。そのうえで、艶然たる「化け物」沢之丞を筆頭に、夭折(ようせつ)した天才役者、関西歌舞伎界の名優、いまをときめく女形……くせ者の役者を揃(そろ)え、それぞれの情念を焙(あぶ)りだしながら、こう書く。
思えば役者はあらゆる毒素を一身に吸収して、この世を浄化するような役割を果たすのかもしれなかった。
人間の心の暗部と芸の世界は、見えぬところで手を結び合っているということか。さらには、芸を支える衣裳方、床山、大道具方、小道具方、弟子筋、おのおのの持ち分や思惑が複雑に絡み、芸をめぐる数奇な群像劇という光を当ててみたくもなる。
舞台装置に、社会風俗をこまやかに織りこむ。澪子の見合い相手の陸軍軍人、磯田と逢うのは、吹き抜けの二階や白いテーブルクロスがモダンな資生堂パーラー。あるいは、日比谷公園の松本楼の目新しさ。切羽詰まった会話にカレーライスや珈琲の香りが五感を刺激し、往時の東京の最前線にタイムスリップする心地を味わう。
闇をまさぐるにつれ、浮上してくる反社会勢力と右翼結社とのつながり、軍人たちの密(ひそ)かな動き。時代の目撃者となって読み進むにつれ、社会の様相が現在にも通じてくる。芸と人間と政治の底なし沼にミステリーの華を咲かせる離れ業は、著者の真骨頂だ。
聞き慣れない「芙蓉の干城」の意味合いが、読後じんわりと押し寄せてくる。芙蓉は、朝うつくしく咲いて、夕方には無残にしぼむ蓮の花をも意味するという。干城とは、何かを守るもの、守ろうとするもの。儚(はかな)いうつくしさを、身を挺(てい)して守り抜くために情念を燃やす人間それぞれのありさま。その余韻のなかで再読する愉(たの)しみは、また格別だった。
せつなさの行方を、中距離に据えた固定カメラがじっと捉えて一部始終を見逃さない。