書評

『蒲公英草紙 常野物語』(集英社)

  • 2020/08/21
蒲公英草紙―常野物語 / 恩田 陸
蒲公英草紙―常野物語
  • 著者:恩田 陸
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(273ページ)
  • 発売日:2008-05-20
  • ISBN-10:4087462943
  • ISBN-13:978-4087462944
内容紹介:
青い田園が広がる東北の農村の旧家槙村家にあの一族が訪れた。他人の記憶や感情をそのまま受け入れるちから、未来を予知するちから…、不思議な能力を持つという常野一族。槙村家の末娘聡子様と… もっと読む
青い田園が広がる東北の農村の旧家槙村家にあの一族が訪れた。他人の記憶や感情をそのまま受け入れるちから、未来を予知するちから…、不思議な能力を持つという常野一族。槙村家の末娘聡子様とお話相手の峰子の周りには、平和で優しさにあふれた空気が満ちていたが、20世紀という新しい時代が、何かを少しずつ変えていく。今を懸命に生きる人々。懐かしい風景。待望の切なさと感動の長編。
うらやましい。恩田陸『光の帝国』(集英社文庫)をまだ読んでいない人が、うらやましくてならない。遠くの出来事を知る“遠耳”の力、未来を見通す“遠目”の力、厖大な書物や人々の記憶を自分の中に“しまう”力といった、不思議な能力をもつ常野一族をめぐる連作短篇集なんですけど、だまされたと思って読んでみて下さいまし。感謝感激雨あられを、わたしの頭上に降らせたくなること必定の、超オモシロ感動シリーズなんですから。いいなあ、これから読める人はっ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2005年)。

で、すでに『光の帝国』を読んでいて、続編を今か今かと八年間待ち望んでいた我が同志の皆さん、感涙にむせんで下さいまし。とうとう、ついに、ようやく、やっと、出たんです、常野シリーズのスピンオフ作品が!

「僕、聡子様を『しまった』んだね?」

この台詞に胸を熱くしちゃって下さいまし。『光の帝国』に収録されている「大きな引き出し」に出てきた春田家、そのご先祖様の登場に、どきどきしちゃって下さいまし。超ド級の感動が待ち受ける最終章まで、ノンストップで突っ走っちゃって下さいまし。そんな、全国推定一億三〇〇〇万人の常野シリーズファンを狂喜乱舞させている話題作のタイトルは『蒲公英草紙』。二〇世紀を迎えたばかりの明治時代、宮城県南部の長閑(のどか)な農村を治める旧家、槙村家に常野一族の春田一家が訪れるところから、この物語の幕はあきます。語り手は峰子。槙村家の末っ子で心臓の弱い聡子の遊び相手として、屋敷に出入りしている少女です。

大らかで包容力のある槙村家当主の〈旦那様を中心にほっこりと大きな明るい光を放っているように見え〉るお屋敷には春田一家のほかにも、さまざまな人が逗留(とうりゅう)しています。日清戦争で息子と孫を亡くしている発明家の池端先生。西洋絵画を究めようとしている画家の椎名さん。ある事件から仏像を彫ることができなくなってしまった失意の仏師・永慶さん。そうした登場人物一人一人の性格や佇まいを鮮やかに立ち上がらせる、キャラクタライゼーションの妙趣で読者を酔わせながら、世界が〈私たちの与り知らぬところで、たくさんの馬に引かれて一斉に走り出し〉、日本もまた富国強兵へと向けて大きく変わっていこうとする時代の不安定な空気をも描出してみせる。恩田陸がストーリーテリングばかりの作家ではなく、人間を描くのに繊細な作家であることをよく伝える作品なのです。

槙村家にはかつて常野の血をひく嫁がいたこと。その嫁の未来を予知する“遠目”の力によって、村人が大地震から救われたこと。長くは生きられないだろうと言われている“か弱き者”の聡子が、実は先祖の能力を引き継いでおり、やがて誰よりも強い心で小さな子供たちを守ろうとして——。過去の出来事と現在が重なり合う第七章がもたらす感動は深い。村をある悲劇が襲い、春田家の小さな息子・光比古が“しまう”力を使い、悲嘆にくれる人々の心を慰謝するエピソードによって、聡子が出会ったばかりの光比古に「ありがとう」と言った意味が明らかにされ、槙村家に集った人々が新たな旅路につくこの最終章を、しかし、恩田さんは感激だけを胸に“しまわせて”はくれません。

最後におかれたエピローグ風の数ページを読むと、感涙はたちまち乾いてしまうのです。でも、『光の帝国』をすでに読んでいる人なら、この終わり方に深く共感できるはず。その後、日本がたくさんの戦争を経験する中、常野の一族がどんなに苦しい道を歩むのかを知っている読者なら。大きな感動の後につけられた苦みを伴う後日譚。老女となった峰子が最後にもらす問いの重さが、『光の帝国』表題作を覆う悲しみと呼応しあいます。どちらを先に読むかはご自由に。だって、いずれにせよ二冊とも読むに決まってるんですから!

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

蒲公英草紙―常野物語 / 恩田 陸
蒲公英草紙―常野物語
  • 著者:恩田 陸
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(273ページ)
  • 発売日:2008-05-20
  • ISBN-10:4087462943
  • ISBN-13:978-4087462944
内容紹介:
青い田園が広がる東北の農村の旧家槙村家にあの一族が訪れた。他人の記憶や感情をそのまま受け入れるちから、未来を予知するちから…、不思議な能力を持つという常野一族。槙村家の末娘聡子様と… もっと読む
青い田園が広がる東北の農村の旧家槙村家にあの一族が訪れた。他人の記憶や感情をそのまま受け入れるちから、未来を予知するちから…、不思議な能力を持つという常野一族。槙村家の末娘聡子様とお話相手の峰子の周りには、平和で優しさにあふれた空気が満ちていたが、20世紀という新しい時代が、何かを少しずつ変えていく。今を懸命に生きる人々。懐かしい風景。待望の切なさと感動の長編。

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初出メディア

PHPカラット(終刊)

PHPカラット(終刊) 2005年10月

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