書評
『月の裏側』(幻冬舎)
堀割が毛細血管のように入り組み流れる九州の小さな水郷都市で、一年に三件の失踪事件が相次ぐ。消えたのはいずれも堀に面した家に住む老人だったのだが、不思議なことに三人とも数日後にひょっこり戻ってきたのである、失踪中の記憶を失ったまま。事件に関心を抱く元大学教授の協一郎とその娘の藍子、かつての教え子の多聞が、謎に迫るうちに明らかになる驚くべき生命体の偉大な戦略とは――。
作者の恩田陸といえば、出身作家のクオリティの高さで名高い日本ファンタジーノベル大賞最終候補となった『六番目の小夜子』でデビュー以来、ホラー、ミステリー、SFといったジャンルの境界を軽やかに横断するエンターテインメントを次々と世に送り出してきた、現在もっとも期待される作家の一人。本書もまた、SFの名作ジャック・フィニイ『盗まれた街』(ハヤカワ文庫)を本歌取するという趣向がよく活かされた秀作なのだ。
作者自ら、作中で『盗まれた街』へのオマージュぶりを明らかにしている上、帯の惹句でもネタばらしスレスレの情報を流しているとあっては、謎解き面に関しての意外性は期待できない。でも、当たり前の話だけれど、物語は結末だけで成り立っているわけではないのだ。水郷都市の古い伝承とSF的な設定をリンクさせることで、時間軸のベクトルを過去と未来の双方向へと延ばしてみせる見晴らしのいい語り口こそが、この小説を読む醍醐味というべきなのである。〈人間もどき〉に乗っ取られる恐怖を、侵略される嫌悪感だけではなく、ひとつの意志に吸収され自我というやっかいな代物から解放される甘美な喜びをも視野に入れながら描いている多面的な展開もまた見事。SFファンならグレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』(ハヤカワ文庫)の大団円を想起するのではないだろうか。
惜しむらくは、せっかく九州の地方都市を舞台にしながら、方言が活かされていないこと。方言がちりばめられていたら、先述した時間軸のベクトルに空間軸のそれも加わって、一層味わいが深くなったにちがいないのに。惜しい、惜しすぎるっ。
【この書評が収録されている書籍】
作者の恩田陸といえば、出身作家のクオリティの高さで名高い日本ファンタジーノベル大賞最終候補となった『六番目の小夜子』でデビュー以来、ホラー、ミステリー、SFといったジャンルの境界を軽やかに横断するエンターテインメントを次々と世に送り出してきた、現在もっとも期待される作家の一人。本書もまた、SFの名作ジャック・フィニイ『盗まれた街』(ハヤカワ文庫)を本歌取するという趣向がよく活かされた秀作なのだ。
作者自ら、作中で『盗まれた街』へのオマージュぶりを明らかにしている上、帯の惹句でもネタばらしスレスレの情報を流しているとあっては、謎解き面に関しての意外性は期待できない。でも、当たり前の話だけれど、物語は結末だけで成り立っているわけではないのだ。水郷都市の古い伝承とSF的な設定をリンクさせることで、時間軸のベクトルを過去と未来の双方向へと延ばしてみせる見晴らしのいい語り口こそが、この小説を読む醍醐味というべきなのである。〈人間もどき〉に乗っ取られる恐怖を、侵略される嫌悪感だけではなく、ひとつの意志に吸収され自我というやっかいな代物から解放される甘美な喜びをも視野に入れながら描いている多面的な展開もまた見事。SFファンならグレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』(ハヤカワ文庫)の大団円を想起するのではないだろうか。
惜しむらくは、せっかく九州の地方都市を舞台にしながら、方言が活かされていないこと。方言がちりばめられていたら、先述した時間軸のベクトルに空間軸のそれも加わって、一層味わいが深くなったにちがいないのに。惜しい、惜しすぎるっ。
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初出メディア

TOKYO★1週間(終刊) 2000年5月9日
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