書評

『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』(阪急コミュニケーションズ)

  • 2017/07/05
「聴く」ことの力―臨床哲学試論 / 鷲田 清一
「聴く」ことの力―臨床哲学試論
  • 著者:鷲田 清一
  • 出版社:阪急コミュニケーションズ
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:1999-06-30
  • ISBN-10:4484992035
  • ISBN-13:978-4484992037
内容紹介:
聴く、届く、遇う、迎え入れる、触わる、享ける、応える…哲学を社会につなげる新しい試み。「聴く」こととしての『臨床哲学』の可能性を追求する、注目の論考。

立って読む本思わず緊張、哲学の冒険

稀(まれ)にだが私は本を立って読むことがある。貧しい高校時代、書店で立ち読みをしていたのが癖になったのかもしれない。中身の濃い本の、とくに緻密(ちみつ)な一節にさしかかると、立ちあがって読むほうが頭に入るのである。

鷲田清一氏の『「聴く」ことの力』(TBSブリタニカ)は、その意味で私をしばしば起立させた力作であった。晦渋(かいじゅう)な学術書ではなく、専門語で人を煙に巻くような本ではないが、なにぶん「臨床哲学試論」という副題を持つ思索の書である。語り口が柔らかで、考え方もしなやかであるだけに、それに寄り添って読むには逆に緊張が要るのである。

著者のいう「聴く」ことは、人の言葉に耳を傾けることだが、発言の内容を頭で理解することではない。語る人のそばに佇(たたず)み、その思いの切実さを受けとめ、相手の存在を心身ともに迎え入れることである。著者は心理療法や介護の経験を例にあげ、悲しむ人が言葉巧みな慰めよりも、ただ聴いて貰うことでいかに救われるかという事実を指摘する。

手の下しようのない苦痛に立ち会うとき、人にできることはどんな対策でも働きかけでもない。人は黙って聴いて自分の無力をさらけだし、苦痛と無力を共有していることを相手に感じさせることが、究極の慰めとなる。そしてこの「共苦(きょうく)」の働きは人間らしさの証拠として、無価値な苦痛を価値あるものに変えるのである。それはしかし、聴く側の人間にとって自己の存在を賭けた冒険になる。彼は人を外側から「見る」安全な立場、苦痛を説明して片づける傲慢な態度を捨てなければならない。それは彼の主体としての能動性、世界を見渡して説明し、そのなかで自由に行動する自我の立場を脅かすことに通じる。

いいかえれば、それは従来の認識する主体の放棄に導きかねないのだが、著者はあえてそこに新しい哲学の可能性を見ようとする。哲学は純粋な認識をめざして、すでに世界を充分すぎるほど「見て」きた。世界を上から見おろし、より普遍的な知を持つ自由な主体であろうとしすぎてきた。その限界がようやく明らかになろうとしているいま、哲学は自己を逆転して「聴く」ことから再出発してはどうか。壮大な野心を秘めたこの本は、興奮とともにさまざまな望蜀(ぼうしょく)の思いを誘って、懦夫(だふ)をして机の前に立たしめたのであった。

【新版】
「聴く」ことの力: 臨床哲学試論  / 鷲田 清一
「聴く」ことの力: 臨床哲学試論
  • 著者:鷲田 清一
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(277ページ)
  • 発売日:2015-04-08
  • ISBN-10:448009668X
  • ISBN-13:978-4480096685
内容紹介:
「聴く」という受け身のいとなみを通して広がる哲学の可能性をさまざまな形で問い直し、ホモ・パティエンスとしての人間を考察する著者の代表作。

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【この書評が収録されている書籍】
「厭書家」の本棚 / 山崎正和
「厭書家」の本棚
  • 著者:山崎正和
  • 出版社:潮出版社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(288ページ)
  • 発売日:2015-04-05
  • ISBN-10:4267020124
  • ISBN-13:978-4267020124
内容紹介:
「知の巨人」20年の集大成、圧巻の書評集。

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「聴く」ことの力―臨床哲学試論 / 鷲田 清一
「聴く」ことの力―臨床哲学試論
  • 著者:鷲田 清一
  • 出版社:阪急コミュニケーションズ
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:1999-06-30
  • ISBN-10:4484992035
  • ISBN-13:978-4484992037
内容紹介:
聴く、届く、遇う、迎え入れる、触わる、享ける、応える…哲学を社会につなげる新しい試み。「聴く」こととしての『臨床哲学』の可能性を追求する、注目の論考。

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初出メディア

日本経済新聞

日本経済新聞 2002年7月28日

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