書評
『プルーストの部屋〈上〉―『失われた時を求めて』を読む』(中央公論新社)
『失われた時を求めて』の読みにくさの大半は、その文体、思想内容、形式などからきているのだが、そこで触れられている風俗的な事象が我々にとってなじみがないということも多分に影響している。したがってこの部分を「視覚的に想像し、感じる」ことができるようになれば、いいかえれば「女たちの衣服のスタイルや文様、布地の質、家具の様式やディテイルが見えてくるほど、『失われた時を求めて』は、魅力を増してくる」にちがいない。ひとことで言えば、テクストを、それが成立した時代のコンテクスト(情況)に送り返してやろうというのが、本書の意図である。この姿勢自体はこれまでのプルースト研究があまりにテクストにこだわりすぎてコンテクストを無視してきたという点からみて、大きな意味を持つものである。だが、この方法が真に意味を持つためには、コンテクストに送り返してから、そのコンテクストを特権的な形で表象する記号として、もう一度テクストを読みとるという方向性がなければならない、つまり、テクストとコンテクストを弁証法の関係に置くという作業が必要なのである。著者もその点は心得ているようで、後半は風俗をはなれて再びテクストに向かっているようだが、すべてにわたってテクストとコンテクストの幸福な弁証法が成立しているとは言いがたい。とはいえ、この種のコンテクストへの送り返しの先駆的試みとしては十分に評価さるべきだろう。
【この書評が収録されている書籍】
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